第3話 伝えたいこと

午後の授業も無事に終わり、部活がない人は帰宅の準備をする。


「修、またなー」

「おう、また明日。」


ホームルームが少し長引いたせいか、蓮は小走りで教室をでていき、グラウンドに向かう。


「芹ちゃん、またあしたねー!」

「うん。さようなら。」


いつの間に下の名前で呼ぶ仲になったのか、桜崎さんも部活へと向かう女子を見送る。


教室にはまだ人がいて、他のクラスの人と一緒にスマホゲームをやっていたり、テストが近いからか黙々と勉強をしている人もいた。教室に残っていてもやることはないし僕はカバンを背負って教室を出た。


「修くん!」


階段を降りかけていた時、桜崎さんに呼び止められて僕は立ち止まり彼女の方を見る。


「やっと二人きりになれた。」

「どうしたの?桜崎さん。」

「なにかしこまってるの?約束、覚えててくれた?」

「約束?」

「ほら、あの時にした約束。まさか、忘れちゃったの?」


彼女は少し呆れたような口調で僕に問いかけ、僕に詰め寄る。だが、約束もなにも桜崎さんと出会ったのは今日が初めてだし、さっきはお礼をいわれただけで約束を交わした覚えはない。僕は彼女が何を言っているのか分からなかった。


「ごめん。僕たち、どこかであったのかな?」

「何言ってるの?そういうのいいから、早く帰ろ。」


桜崎さんは少しムッとした表情を浮かべながら両手で僕の頬をつまむ。


「いや、冗談じゃなくて、本当に君とは今日初めて会ったと思うんだけど。 きっと人間違いとかじゃ──」

「もういい。」


桜崎さんは冷淡に、ふるえた声でそう言い放ち、階段を掛けおりる。


「待って!」


僕は叫んで桜崎さんを呼び止めた。


「僕とどこで会ったのかだけ、教えてくれないかな。」


そう聞くと、桜崎さんは目にいっぱいの涙をうかべながら僕の方を見る。


「本当に忘れちゃったの?」

「ごめん・・・思い出せない。」

僕はそう言って俯く。

「・・・・っ!」


彼女はいたたまれなくなったのか、走り去っていった。もしも本当に彼女と会っていたのなら、僕は絶対に思い出さなくちゃならない。でないと、彼女に申し訳が立たない。


唐突に、頭の中にある情景がうかんだ────


それは病院の個室のベッドで僕が目を覚まし、一人の女性が僕の手を握っていた。


『よかった・・・本当によかった。

女性は泣き崩れていた。


『無事でよかったわ。修・・・』


修とは一体誰なんだ。もしかして僕は───


ああ。そうだ。

ずっと昔のことだったから忘れていた。


忘れていたかった。


思い出したくもなかった。


思い出したら胸がズキズキと痛み、嫌な気分に苛まれた。だから早く忘れたかった。でも桜崎さんのことを忘れてしまった理由はこれしかなかった。


僕は無我夢中で走り、桜崎さんを追う。学校から最寄りの駅のホームで、電車に乗ろうとしていた桜崎さんを見つけた。


「桜崎さん!!!」


必死に彼女の名前を叫んだ。だが、周囲の騒音に掻き消され、その声が彼女のもとまで届きはしなかった。


「くそっ!」

急いで駅をでて、また走る。どこに向かっているのか自分でも分からない。ただ無意識に足を動かしていた。




学校を出た時よりさらに太陽が沈みかけていて、空はオレンジ一色に染まっていた。何キロ走ったのかさえ覚えていない。ここが何処なのかも分からない。


ただ頭の中にあったのは、桜崎さんの涙を浮かべた表情と、絶対に会わなくちゃいけないという意思だけだった。だがもう足が動かない。運動もしない奴が一度も休まずに知らない街まで走ってきたんだ。こんな時、蓮だったらまだ探し回れるんだろうな。


「こんなところで、やめるわけにはいかない。」


そんなことを口にしても、体は言うことを聞かない。少し止まっただけでは、足はまだ動かなかった。


「し、修くん?」


聞き覚えのある透き通った声が僕を呼ぶ。


「桜崎さん・・・!」

「なんでこんな所に・・・」

「よかった。また会えた・・・」

僕はなぜか泣きそうになったが、ぐっと堪える。


「どうして・・・どうしてそこまでして私を探していたの・・・?」


桜崎さんは少し涙を浮かべてつぶやく。


「きみに、聞いて欲しいことがあるから。」

「聞いて欲しい・・・こと?」

「そう。聞いて欲しいこと。」


僕は荒くなった息を整えて深呼吸をする。


「僕は───────」






『中学三年の春に、記憶を失った────』


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