幾分ほどたっただろう。扉をたたく気力も無くなり、床に座り込んでいた時、廊下から足音が聞こえた。

 その足音は次第に近づいてき、扉の前で立ち止まったのか、音が途切れ、おもむろにドアノブが回った。

 扉から現れたのは、見知った顔だった。

「ほら、行くわよ。」

 彼女は僕を一瞥した後、足をもと来た方向に変え、歩き出した。

「ホワイト…ちょっ、ちょっと待って…」

 僕は慌てて彼女の後を追った。


   *


「ホワイト、捕まったんじゃ…」

 彼女は軽くため息を吐いてから僕の問いに答えた。

「たかが男二人。あんな奴らに捕まるわけないじゃない。馬鹿ね、あんたも。まんまとはめられたって訳ね。」

 まるで何事も無かったかのように、そう吐き捨てた。

「じゃあ、あの老婆は…」

「私たちを裏切ったってこと。どうせ私の首に目がくらんで、待ち伏せでもしてたんでしょ。甘いったらありゃしない。…こんなところで捕まってたまるもんですか…」

 彼女は続ける。

「もちろん、裏切り者は駆除したわ。」

 暗い廊下から、もとの店の売り場に戻る。そこで初めて感じたのは、吐き気がするほどの血の匂いだった。

「うっ…」

 むせかえるような香りの方に目をやると、そこには、真っ赤に染まったドレスに埋もれる一人の老婆の姿があった。

 吐き気を抑えつつ、服の間を通り抜ける。

「いい気味ね。大好きな赤のドレスに囲まれて幸せそうじゃない。」

 彼女は、どこか面白おかしくそう言った。

 僕にとっては、面白くもなんともない。だって人が死んでいるのだ。さっきまで生きていて、話していた人が。僕はこの状況を、まだ理解出来ないでいた。

「死んでる…こっ、殺さなくても…」

「じゃあどうしろって?こいつは男二人に私を襲わせたのよ。もちろんそいつらも殺したけど。」

「っ…」

「それに、あんたが私に何か言う権利があるの?あんたは捕まってただけじゃない。何かやったの?」

 彼女は淡々と言う。

「あんたの助けなんか期待してなかったし、別に戦闘要員で革命軍に引き入れたわけでもないし。あんたが、まんまと捕まったことには何の感情も抱かないわよ。この事件は、私が対処した。それでおしまいな訳。わかった?わかったなら、さっさと入り口の荷物を持って、一階層に帰るわよ。」

 彼女はそう言って、僕に背を向けたまま、店を出た。

 僕はその時、なんと言えば良かったんだろう。ぐちゃぐちゃな感情は、未だに整理できていなかった。

かすかな記憶をたどる。

なにか…ホワイトに…

「あの…さ…このお店、…ホワイトが助けたん…」

 彼女は僕に振り返った。

 目が合う。

 綺麗な瞳とは裏腹に、鳥肌が立つような、どこか、死んだ魚の目のようだった。

「裏切りは絶対に許さない。…たとえそれが家族だったとしても。」

 

 彼女は再び歩き出す。


 もう正午を回っているだろうに、霧の都ロンドンの視界は、曇天のように、より一層、悪くなっているようだった。



   3話 完

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