あまりの距離に気の遠くなるような鉄骨の階段を降り、地面に足をつけ、湿った石畳の道を踏みしめる。先ほどまでまとわりついていた霧はもう無く、澄んだ視界の代わりに、石炭と蒸気のむせるような匂いがあふれていた。歩く人の姿は見えない。オレンジ色の街灯が支配する街。かつての栄華が身を潜めたロンドンとはなんと哀れなのか…

「人の姿が見えないね…」

「みんな働きにいってるの。」

「こんなに早い時間から…」

「ここでは働く以外にすることが無いもの。男達は鉄鋼工場に、女達は機織りのために集団工場に。上層の下請けばっかり。人々の生活を支えてるって言ったら聞き心地は良いけど、実際にはただの奴隷よ。」

 僕は煙を上げ続ける数多の煙突を眺める。途切れることの無いそれは、抜け出すことの出来ない永遠の監獄を思わせた。


   *


 再び路地に入る。建物の壁に囲まれながら、人一人がやっと通れる細い道を歩く。右に曲がって、左に曲がって、また右に曲がって…まるで迷路のような道をひたすら歩く。自分がどの方角からやって来たのか、すぐに分らなくなった。

 ぬかるみとゴミに足をとられる。清潔感のかけらも無い道を歩く。

 その時。

 いきなり僕の右腕が引っ張られた。驚いて目をやると、そこにはガリガリになった老人が、地面に座っていた。

「うわっ!」

 心臓が飛び出そうになる。骨まで見えそうな老人は、気持ちの悪い笑顔で僕に話しかける。

「はあ、はあ…きっ君…食べ物を、おお、持ってないかね…?」

「うわあああ!」

 僕は老人から離れようとするが、僕の腕を握る彼の手の力は、より一層強くなった。

バランスを崩して転びそうになったところで、老人の腕が、ホワイトによって蹴り上げられた。バキッ、っと鈍い音が、老人の悲鳴と共に路地裏に響き渡った。

「ほら、行くよ。」

 そう言うと、僕はホワイトに腕を引っ張られ、その場を離れた。


   *


 あれから幾分ほどたっただろう、ホワイトは、道の途中にある建物の扉の前で立ち止まった。木の扉の上には、小さな看板がたれていて、そこには「Bar」の文字。

ホワイトは扉を開けて中に入った。隙間から漏れる淡い光。僕は彼女の後を追って、その扉をくぐった。


   *


 中に入ると、そこは、看板の通り、普通のBarだった。かすかにお酒の匂いがする。木製の壁に、円い机が四つか五つ。正面には、たくさんのお酒が壁の棚に飾ってあり、その手前にはカウンター。そこには、ガタイのいい一人の男がいた。

「おお、アリス。戻ったのか。」

 男はカウンターから立ち上がり、僕たちに歩み寄った。

「ただいま、レオ。」

「ああ、おかえり。」

 ガタイのいい男は、ホワイトの知り合いらしい。男は、彼女の後ろにいる僕を見て、口を開いた。

「君は…アリスのお友達?それともお客さん?」

「あ、えっと…」

「新しい仲間よ、レオ。ダッドリーで拾ったの。名前は…」

「ロック。アルベルト・ロックっていいます。」

「そうか…うん、よろしくねロック君。僕はレオ・ウィリアムズだ。」

 ガタイのいい男、いや、レオは笑顔で右手を差し出した。

「よろしくお願いします。」

 レオは、僕でもわかる作り笑いで手を握った。

 たくさんの疑問がある。ここはどこで、レオと名乗る男は一体何者なのか。不安な僕とは裏腹に、ホワイトは会話を続ける。

「ロックをみんなに紹介したいの。集まれる?」

「ああ。今はちょうど奥に全員集まっているよ。」

「よかった。じゃあ行きましょう。ロック、着いてきて。」

 ホワイトは僕を一切見ないで、歩き出した。レオとホワイトは、カウンターの奥の扉に向かっていく。僕は彼らに遅れないように、小走りでついて行き、薄暗い扉をくぐった。


   *


 真っ暗な廊下を、ろうそくを頼りに進んでいく。床板のきしむ音が廊下に響く。たくさんの分かれ道を進んだ先に、小さな光が見えた。だんだんと近づいていき、それが部屋の電気の光だと気づく。二人の背中を追って、部屋に入る。

 そこには…

 壁に寄りかかる長身の黒人女性、机に向かう丸眼鏡の白人男性、両手で拳銃をくるくると回すドレス姿の少女。

 理解が追いつかない僕に、ホワイトは口を開いた。


「ようこそ、革命軍へ。」

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