「こんばんは…ん?」

 時計塔内部。いつものように夜の点検をしにやって来たのだが、今日はやけに静かだった。そうだ、老人がいない。あの、仕事をしていない(であろう)男の姿が見えなかった。不思議に思いながら作業服に着替える。まあ僕の仕事に支障は無いのだが…

 時計塔の中枢部、大小様々な歯車がひしめき合う場所に足を踏み入れる。金属のかみ合う音だけが響く大空間。小さな窓から漏れ出す頼りない月明かりを頼りに、歯車の軸となる柱の上を歩く。

深夜、いつも通りの時計塔の調整作業が始まった。


   *


 決められた作業を終え、ドーム状の明るい空間へ戻り、帰る支度を済ませる。やっぱり老人の姿は見えない。今までこんなことは一度も無かった…。まあ、気にすることじゃないか。作業はしっかり終わらせたし、明日また来よう。


 いつものように電気を消して、出口に足を向ける。扉を開けようとドアノブに手を伸ばしたその瞬間…

=====

僕はその時の光景を、生涯忘れることは無いだろう

=====

 月明かりがガラス片に反射したのか。それは光に包まれながら舞い降りた、さながら、世界で最も美しい天使のように…


   *


パリーン

 甲高い音が空間に響き渡った。反射的に窓に目を向ける。ガラスが割れ、黒い塊がカケラと一緒に落ちてきた。床にたたきつけられる黒いもの。月光とともに入ってきたそれを「人」だと認識するのに時間はかからなかった。

「だっ、大丈夫ですか!」

 いきなりのことで頭は回ってなかったが、それに駆け寄った。しかし、安否を確かめようと近づいた僕に向けられたのは拳銃だった。

「近寄らないで!」

「うわっ」

 銃口を突きつけられぎょっとする。それ、いや、「少女」は上体を起こして僕をにらみつけた。

「くそっ…こんなところで…!」

 少女はまるで怒った猫のようにうなる。僕に銃口を向けながら、立ち上がろうとするが、足に怪我をしているのか、うまく起き上がれていない。

「くそっ…くそっ!」

「お…落ち着いて。怪我してるんだったら無理しちゃだめだよ!」

「うるさい!どっかいって!」

「そっ…そんなこと出来ないよ。いっ、今助けを呼んでくるから!」

 駅にはまだ人はいるだろうか。分らないが、怪我をした女の子を放っておくことは出来ない。

 扉に足を向けた時、少女は叫んだ。

「助けはダメ!誰も呼ばないで!」

「え…」

 少女に振り向く。その時、割れた窓の外から声が聞こえた。


「どこに行った!見当たらないぞ!」

「この近くにいるはずだ!絶対に確保しろ!」


 その声の正体は何だったのか、何を意味していたのかは分らなかった。

 目の前の少女を見る。

 無意識の行動だったのか、僕は反射的に少女を抱きかかえていた。

「やめろ、はなせ!撃ち殺されたいのか!」

 僕は必死だった。守らなきゃと思ったんだ。わめく少女を抱えたまま、部屋の隅にある小部屋の扉を開けて中に入った。扉を閉める。

「もう…大丈夫だから…」

 暗い部屋に僕の声だけが響く。なにもかもが必死だった。

 少女を下ろす。

 よほど怖い思いをしたのだろう。少女は気を失っていた。

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