第86話 距離

あゆみが美香に暴露した定時後、二人は急に仲良くなったように、揃って帰宅していた。


ユウゴはそれを見て「あゆみが犬に見える」と言い、ケイスケは「確かに。 美香ちゃんも小動物っぽいけどね」と答えていた。



その日の夜、またしても大高から電話があり、あまりにもうんざりして着信音をミュートにしていた。


寝る直前に携帯の着信をチェックしていると、一つだけ【兄貴】と表示されていて、血の気が引く感覚に襲われた。


慌てて兄貴に電話をすると「どうかしたのか?」と聞かれ、「大高の電話攻撃に迷惑している」と言うと、兄貴は呆れた声で「お前もか… そっちで何とかしてくれ」とだけ言い、仕事の話を切り出してきた。



結局、ミュートにし続けることが出来ず、遠くから聞こえる着信音を耳にし、寝不足のまま朝を迎えた。


朝の準備をしていると、浮足立つような浩平が誰よりも早く出社し、すぐに切り出した。


「車のカギ返せ」


「はぁ? なんで?」


「必要なら電車で行けよ。 返さないと盗難として扱う」


浩平は「ほらよ」と言いながら、ポケットからカギを出し、ごみのように投げつけてきた。


この瞬間、ブチっと来てしまい、思わず浩平の胸ぐらをつかむと、出社してきたユウゴが慌てて止めに入った。


ユウゴに宥められながらも休憩室に行くと、ユウゴは「また寝てねぇの?」と聞いてくる。


「ああ」と言い切ると、ユウゴは「どうしたもんかねぇ」と言いながら、ソファに逆さまになって座った。


ソファで寝転がった後、大きく息を吐くと、美香は休憩室に入るなり、ユウゴを見て「またむくみですか?」と聞くと、ユウゴは「うん。 足痛い」と答えるだけ。


美香の声と表情に少し癒されていると、美香はユウゴに切り出した。


「腎臓やられてるんじゃないですか? 足むくむって言いますよ?」


「やっぱ内蔵系かなぁ… 最近ビール飲むと足痛くなるんだよねぇ」


思わずユウゴに「お前の場合は飲みすぎなんだよ」と言うと、ユウゴは「えー」と言いながら、普通の座り方に戻っていた。


美香が更衣室で着替える中、二人で資料の整理をしていると、【担当:田豪崗花音】と書かれている資料を見つけた。


『相変わらずスケジュールがタイト…』と思いながらも、更衣室から出てきた美香に「ご指名来てたぞ」と言いながら美香に資料を渡す。


すると美香は資料を見た後、「かおりさんの案件だぁ」と言いながら、嬉しそうな表情をしていた。


『癒される…』と思っていると、ユウゴがいきなり吹き出し、美香は「なんですか?」とユウゴに聞いていた。


「いや、カノンって書いてカオリって読むの、珍しいよな」


「カノンっていうと怒るから気を付けたほうが良いですよ」


美香はそう言うと、嬉しそうに休憩室を後にしていた。


ユウゴは美香の姿を見た後「案件もらってあんなに喜ぶものか?」と切り出してくる。


「指名料とMVPだけでも、浩平より稼いでるからな。 複数から指名来てるから、指名料だけでもかなり稼いでるよ」


「MVP… それって俺ももらえたりする?」


「役職は手当ついてるけど、MVPはどうなんだろうな? 今度聞いてみるか」


そう言いながら立ち上がると、大高と浩平が休憩室に入ってくる。


無言でユウゴと事務所に戻り、美香に「納期近いけどいけそうか?」と切り出した。


美香は資料を指さしながら「ここのところなんですけど…」と、質問をしてくる。


片手をデスクにつき、もう片方の手を美香の座る椅子の背もたれに乗せると、シャンプーのにおいが鼻をくすぐる。


『すんげーいい匂い… 髪も艶々してて綺麗だし、最高に癒される…』


そう思いながらも仕事の話をしていると、大高の「社長、近すぎますよぉ」と言う甘えた声が聞こえた。


完全に聞こえない振りをしながら、「その方向で行こう」と言うと、美香はすぐに作業を開始し、俺も自分のデスクに座って作業を始めた。


美香と同じ資料を見ているだけで、大高は「社長、距離が近すぎますよぉ」と声をかけ、その度にイライラする始末。


『こいつマジうぜぇな』と思いつつも、イラっとしたまま、長い一日を終えていた。

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