第57話 面倒

ケイスケから限局性健忘と系統的健忘の話を聞いてからというもの、少しだけ美香に近づく事が怖くなっていた。


『今まで散々、頭に手を置いたりしていたけど、本当は嫌で仕方ないんじゃないか?』とか『実は怯えているのを隠してるんじゃないか?』って思うと、近づいていいものか悪いものか、わからなくなっていた。


といっても、毎日兄貴の元で作業をしていたから、直接顔を合わせることがほとんどない状態。



兄貴は相当参っているのか、日に日にやせ細り、顔色が悪くなっていく。


帰りがけ、佐山さんに「兄貴、大丈夫なんすか?」と聞くと、佐山さんは「ご自宅でも作業をされているようですし…」としか言わなかった。


『そっか。 佐山さんは知らないんだ』


そう思いながら少しだけ会話をした後、事務所に戻ると、ユウゴが一人で作業をしていた。


「よぉ。 おかえり」


「まだやってたのか?」


「切り悪くてねぇ。 そういや最近、浩平が営業あるって直行直帰ばっかで事務所に来てねぇぞ」


「は? どこに行ってんの?」


「知らね」


「わかった。 日報書かせるようにしてくれ。 あと、ホワイトボード置いておくから、そこに予定を書かせるようにしよう」


「うぃよ~。 そっちはまだかかるん?」


「もう少しだと思うんだけどなぁ… そういや、美香って正社員になってからどんな感じ?」


「美香? 相変わらずだよ? 超真面目ちゃん。 なんかあったら怖いから、定時に帰すようにしてるけど、キリが悪いと残業してる」


「そっか…」


それ以上は触れることなく、自分の作業を始めていた。


ふと『ドラレコとナビになんか記録されてないかな?』と思い、ドライブレコーダーをチェックすると、浩平はドライブレコーダーをオフにして走っていたようで、何の記録もない状態。


ナビの走行軌跡もリセットしてあり『バレたらやばいって自覚はあるんだ… サボるときは面倒なことでも、抜かりなくやるんだな…』と思いつつも、ため息をつくことしかできなかった。



翌日、兄貴の元で作業をした際、「浩平の給料、手渡しにしてくれないか?」と切り出してみた。


兄貴は「なぜ?」と聞き返してきたが、「最近、直行直帰が多すぎるんだけど、ドラレコもオフにしてるし、ナビの走行軌跡もリセットしてるから、本当に営業してるのかわからないんだよね。 面倒だけど、せめてそれくらい取りに来させたい」と言うと、兄貴は「わかった。 給料日の午前中はこっちに来てくれ」と、すぐに了承していた。


自宅に帰ってからは、事務所に残っていたユウゴやケイスケと情報交換をするばかり。


『美香に会って癒されたい…』


そう思っても、帰る時間が遅くなってしまっているせいで、顔を合わせることなく、毎日が過ぎていた。



そんなある日のこと。


石崎さんと打ち合わせに行った帰りに、兄貴から電話で「明日からの連休中にそっちの会社、内装工事に入るから空にしておいてくれ」と言われた。


『またいきなり… 毎日会ってるんだから、事前に言えよ…』


そう思いながらも、すぐにユウゴに電話をして、兄貴から言われたことを伝えると、ユウゴは不貞腐れながらも「わかった」とだけ言っていた。


電話を切った後、石崎さんは「光輝社長、大丈夫かねぇ…」と独り言のようにつぶやいた。


「かなりやつれてますもんね…」


「俺らが証拠を潰しちゃったからねぇ… 本当に申し訳ないことをしたなぁ…」


「別居ってできないんですか?」


「証拠があればできるけど、今のところ決定打になるものが無いらしいからねぇ… しばらく泳がせないと、向こうが悪いことしてるのに、こっちが慰謝料を払うことになりかねないから。 向こうも警戒してるみたいだし、最近は毎日ちゃんと仕事に来てるけど、また休みがちになったら興信所に頼むんじゃないかな?」


「なるほどね… なんかめんどくさいっすね」


「まぁ仕方ないよ」


石崎さんはため息交じりに言いながら、車を運転し続けていた。

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