第200話
いろんな魔物がいる領域を抜ける頃にはもう第二層の太陽は西へと沈みかけていた。
とにかく広い領域で、安全地帯のようなものもないので昼食を摂ることもできなかった。そこはミミルも覚悟していたようで特に腹を空かせて機嫌が悪くなることもなかった。
もしかすると、空中で俺の戦いを見ながら菓子パンでも食べていたのかもしれないが……。
ほぼ、八時間くらい魔物を相手し続け、漸く
日中に寝転がると気持ちよさそうだ。
そこでまた野営の準備を始め、食事の用意をする。
ダンジョン内で料理したものを食べきってしまいたいというのもあって、今日は残っていたルーヨの煮込みをメインにすることにする。もちろん、マッシュポテトは添えるつもりだ。
買ってきた魚介類では鰹が残っているのでカルパッチョに、残ったパスタ生地が一人前くらいあるので、それを使った料理にしよう。
まずは前菜となるカルパッチョ。
一般に初鰹というと、この時期の鰹を指す。黒潮に乗って北へと回遊するのを捕まえたもので、脂が少なくてサッパリとしている。
身がもちもちとしていて、旨味も濃い魚なので生でそのまま使いたいところだが、寄生虫も多い。
ダンジョン内だと微細な生物は魔素に耐えられないとミミルは言っていたが――捌いてみればわかるだろう。
カッティングボードの上に、まるごとの鰹を載せる。
鰹は止まると死んでしまう魚で、死ぬと鮮度はどんどん落ちていく。だが、ミミルの空間収納では時間停止するので、鮮度は市場で買ってきたときのまま――あの街で買える鰹としては最高レベルだ。
さて、鰹を捌くのは結構たいへんだ。
鱗が硬くて、そのままでは包丁の刃が立たない。
だから、最初に鱗を剥がす作業から始めるんだが――鱗落としなどで剥がせるほど簡単ではない。包丁を鱗の隙間に入れ、皮を残して剥ぎ取るという技術が必要だ。
この作業は、研ぎ澄まされたキャンプ用のナイフでもきつい。
では身体強化して力任せに剥ぎ取ってしまえばいいかというと、力任せにやってしまうと身が柔らかいので身崩れしてしまう。
だからこの場合はナイフの魔力強化をするしかない。
魔力視を発動したら、大きく深呼吸をして魔力を全身に巡らせる。
全身に魔力が行き渡り、身体強化が終わればキャンプ用のナイフへとその魔力の流れを拡張――できない。
魔力視を見る限り、身体強化はできている。でも、キャンプ用のナイフに魔力が流れ込んでいかない……そんな感じだ。
同じナイフでも短剣といえるほど長いミミルお手製のナイフは簡単に魔力が通るのだが……。
〈――どうした?〉
キャンプ用のナイフを片手に唸っている俺に気がついたのか、ミミルが声をかけてきた。
〈このナイフなんだが、魔力強化できないんだよ〉
〈素材がチキュウで採れたものだからだろう。魔素を少しでも含んだ素材で作れば魔力の通りが良くなるからな〉
〈そうなのか。じゃぁ、こっちを使うか……〉
腰から短剣を抜く。
赤銅色をした刀身はどんな素材でできているのか気になるが、これなら何度も魔力強化してきたので問題ない。
だが、魔物を切った短剣で鰹を捌くと思うと少し抵抗がある。
でもいまから地上に戻って包丁を持ってくるわけにもいかない。
仕様がないので左手で水球をつくり、マイクロウェーブで沸騰させる。
薄い膜のようなものがあり、その上に水球ができるので火傷をする心配がない。その沸騰した水球に腰から引き抜いた短剣を入れて消毒する。
そんな俺の作業を見つめていたミミルは少し呆れたようだ。
〈何やら面倒なことをしているな……〉
〈念の為に殺菌消毒しているだけだ。こういうのは気持ちの問題だからな〉
〈ふうん……〉
ダンジョン内では微細な生き物は生きることができないと信じ切ってるミミルには無駄な作業に見えると思うが、
一分程度で熱湯消毒を終え、いよいよ鰹の鱗剥がしに掛かる。
短剣に魔力を注ぐと、刀身がいつものように緋色に輝き始める。
俺はそれを確認して、短剣の刃を鱗に差し込んだ。
刃がスルリと入り、まるで粘土の表面を削るように鱗を剥がすことができて、思わず笑ってしまう。
こんなに楽な刃物があるなら、ミミルに頼んで専用の包丁を作ってもらいたいくらいだが……店で使っているときに包丁が緋色に輝きだしたら騒ぎになるな。
鱗を剥がし終えると、腹ビレを切り取り、背骨を断って頭を落とす。
なかなか骨が太いので普通は苦労するが、ミミルが作った短剣なら力を入れる必要もない。
続いてハラモ――腹身の一番薄い部分――を削ぐように切り落とし、内臓を取り出して身を洗う。
「……やはりな」
テンタクラリア――
人が食べても無害だが、ほぼすべての鰹の腹回りにいるといわれる白い蛆のような寄生虫だ。
確認すると、ミミルの言うとおり魔素にやられて死滅している。
しかし、この様子だとやはり火を入れた方が良さそうだ。
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