第68話
何やらとてもうれしそうにミミルは朝食を摂った。
所詮は店で買ってきた出来合いのサンドウィッチなので、今度はもう少し凝った料理を食べられるようにしてやろう。
そうだな……カルシウムたっぷり、ビタミンDもたっぷりなもの……生しらすのトルティーヤを挟んだサンドウィッチとか、鯖のフリットを挟んでもいいだろう。
自分の料理を嬉しそうに食べてもらえるのを見るというのは、料理人にとって最も幸せな瞬間だ。パン酵母が育ったら、自家製のパンで美味しいサンドイッチを作ってやることにしよう。
いや待てよ……。
地球の半日がダンジョンの第二層だと五日になるのなら、五日間かけて作るパン酵母を仕込んでダンジョン第二層に置いておけば、半日で仕上がるってことか?
「ミミル、酵母というのを育てているんだが、五日かかる。ここに持ってくれば、地上時間の半日でできるってことかな?」
『コウボ?』
「酵母は目に見えない微小な生物なんだが、図鑑に掲載されているはずだ。図鑑を見れば――」
『びしょう、いきもの、まそ、たえる、ない』
まっすぐ俺の目を見つめてミミルが伝えてくる。
ミミルの伝えてきた言葉を頭のなかでつなぎ合わせ、俺はようやくミミルの言うことの意味を理解できる。
「微小な生き物は魔素に耐えられない。つまり、全部死ぬと……」
『ん――』
これまでミミルから聞いた話だと、ダンジョンに入れば成長が止まり、成長しすぎた状態でダンジョンに入れば最適化される。
魔素のない世界に暮らしていた者は身体に魔素を取り込んで、魔力を宿す身体に変わる……そのような変化を細菌やウィルスのような微小な生物では耐えられず、死んでしまうということか。
そうであれば、パン酵母などを持ち込んだところですぐに死滅してしまうだろう。試さなくてよかった。
「そうか……じゃぁ諦めるしか無いな」
『ん――わたし、トイレ、もどる。しょーへい、ここ、まつ?』
トイレに行きたいから地上に戻ると――小用ならダンジョン内で済ませていたが、そっちじゃない方ってことか。
おっと、そんなことを詮索してたらまた殴られそうだ。
俺は先ほど小用は済ませたが、さてどうしたものか。
『ちじょう、じゅう。ここ、ひゃく』
ミミルがつい忘れがちなことを教えてくれる。
地上に戻って十分間トイレに入っていたとしても、このダンジョン第二層では百分間も待ち続けることになる。
「もちろん、俺も地上に戻るさ」
それはたぶん苦痛でしかない。
スマホがあっても時計としての機能と、メモ帳やカメラの機能くらいしか使えないのだから、間違いなく退屈で死にそうになることだろう。
ミミルと共に地上に戻った方が気楽に待てるというものだ。いや、俺も済ませておいたほうが良さそうだ。
食べ散らかしたサンドイッチなどの包装を拾い集めると、俺とミミルは入口部屋へと向かう階段を下り、店の庭にあるダンジョン出入口へと転移した。
◇◆◇
従業員用のトイレで用を済ませ、俺は厨房へと移動した。
時刻を見ると、二三時――やはり地球時間は二時間しか過ぎていない。
ダンジョン内で一泊したというのに、とても不思議な感覚だ。
冷蔵庫を開いて中を確認する。
ビールやソフトドリンクなど、飲み物を配達してくれる業者――酒販店は五日後に初回の納品に来る予定なので、この中に入っているものは自分で買い込んできたものばかりだ。
だが、ここで一度冷やしてしまえば、ミミルの空間収納に入れて冷たいまま保管できるはず。逆に、沸騰したお湯なども保管できると思うが……まぁ、ヤカンとカセットコンロのようなものを持ち込んだ方が他にも用途があるので気が楽だ。ウサギの煮込みも間違いない料理なので、ミミルにどんな調理器具が空間収納にあるのか確認しておこう。
とりあえず、紅茶と緑茶、缶コーヒーくらいは持っていくことにしよう。追加は――。
スマホを取り出して大手通販サイトを開き、追加の注文をポチポチと入力したところで、バッテリーが減っていることに気がついた。もう赤い表示に変わっている。
ダンジョン内で基地局を探すために電波を出し続けているののだから、電池が減るのが早くなるのだろう。電源を切ってしまうと時間がわからなくなるので、機内モードにするようにしよう。通常モードに戻せば時刻同期してくれる。機械式の腕時計は好きだが、ダンジョンから戻る度に時刻を修正しないといけないのは面倒だからな。
「ううむ……」
唸るような声を出してしまった。
このあともダンジョンに戻るつもりなのだが、充電が切れてしまっては時計代わりにダンジョンへ持ち込むわけにはいかない。
明日になればどんな用事で電話がかかってくるかもわからないからだ。
少なくとも、明日はピザ窯の仕上げにまた職人が二人でやってくるはずだし、エスプレッソマシンの搬入設置もあるはずだ。
律儀な業者なら搬入直前に電話で連絡してくるだろうし、やはり電話には出られるようにした方がいいよな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます