81 "ママ"って呼んで!

 亘が目を覚ますと、ベットに横たわり、くぼんだ壁の照明を眺めていた。体を起こすと頭痛がして気分がスッキリとしなかった。鼻から変な匂いがして顔をしかめていると、スマホから目を離したミシェルが声をかける。


「目が覚めた?」


「ミシェル?俺、寝てたのか」


 ベットから足を下ろして立ち上がろうとした時、自分がここで寝ている状況に至るまでの記憶がないことに気づく。


「いつ、宿に戻ってきたんだ?」


「さぁ、いつかしら?」


 素っ気なく返事をするミシェルに眉をひそめる亘。


「逆に聞くけど、亘はどこまで覚えてる?」


「えーと、清水寺に行って、三年坂を下りて、ああ、ミシェルとはぐれて、連絡をとってたら…」


「その後は?」


「えーっと…」


 思い出そうとしたが、何故かその辺りの記憶が不明瞭ふめいりょうであった。頭を抱える亘にミシェルは組んでいた足をといて亘をソファーの方へ呼んだ。


「亘、こっちに座ってくれる?」


 亘は言われた通りにミシェルの隣に座る。怖いくらい静かなミシェルが問いかける。


「亘、清水寺で私とはぐれてる間、あの女の人と何を話してたの?」


「えっ?いや、たいした話はしてないよ」


 曖昧あいまいな返答にミシェルは亘の後ろの背もたれを勢いよく叩いた。顔を近付けて低い声色で迫る。


「ねぇ、亘。誤魔化したり省略したりせずに、きちんと説明してほしいの。じゃないと、事実が見えてこないからね」


 覆い潰されそうなほど深い鉄紺てっこん色に亘は恐怖し、彼女との会話を包み隠さず話した。


「ふーん、そういうことね。

そもそも亘、どうして"同種か"なんて聞いたの?」


「え、いや、なんとなく。同種なのかなと思って、ダメだったのか?」


「ダメよ。そのせいで君、さらわれそうになったのよ」


「え?」


 かどわかされそうになったという事実に亘は青ざめる。薬をがされ同種二人に連れて行かれる途中で、ミシェルに助け出された経緯を聞く。


「なんで?俺を?」


「亘が彼女を同種と見破ったからよ」


「そんなことで?」


「西の同種はね。かなりの秘密主義なんだって。

昔、伊邪那美いざなみさんに聞いたことがある。決して人に同種と悟られずに交わり、自分の正体を明かさない。気づかれたら、最悪相手を殺すこともあるって」


 亘の顔は引きつった。

 あのまま連れ拐われていたら、自分はどうなっていただろうと想像し、おぞましくなった。


「どうして、そこまでするんだよ」


「特に珍しいことじゃないよ。

歴史的に見ても同種は人に強いたげられることのほうが多い。


我欲を満たすためだったり、政局に利用されたり。または、不死身の肉体で戦いに駆り出されたりね。


そういう人間達の負の歴史を見てきた者にとって、同種だと明かすのは不利益でしかないの。だからこそ、徹底した秘匿を強いて同種達を守ってるんだよ」


「………」


「まあ、私も人間に監禁されたことがあるから、気持ちはわからなくもないけどね」


「そっか」


「流石に亘を殺すつもりはなかっただろうけど、何らかの薬物を使って記憶を混濁こんだくさせようとはしただろうね」


 何にせよ危ない状況だったことには変わりなく、ミシェルが駆け付けなければ無事ではなかっただろう。


「亘、君は親切心で彼女に話しかけたんだろうけど、でも不用意に同種に血を与えるようなことはしないでほしい。


相手がどんな奴かもわからないのに信用できる?もし、そのまま殺されちゃったらどうするの?」


「ごめんなさい」


 深く反省する亘。

 自分の失態をちゃんと理解していると判断したミシェルだったが、ついでだからともう二点注意をする。


「あと、亘。ケリーに血をあげるのも止めてくれないかな?」


「………それとこれとは話が違うだろ」


「同じよ。ケリーをいつまでも甘やかさないでくれる?」


「何でわかったんだよ」


 小さくぼやく亘の声をミシェルは聞き逃さなかった


「私が気づいてないと思ったの?噛み傷が肩にあるのくらい、前から知ってたわ」


「なっ、いつ見たんだよ!」


 亘は右肩を押さえる。

 手首や首筋だと目立つので、ケリーには服で隠れる場所に噛んでもらっていた。


「それと、人前で"お母さん"って呼ぶのは止めてよ。なんかおばさんみたいで嫌なんだけど」


「そうは言っても、おまえは俺の母親だろ」


「そーだけど、嫌なものは嫌なの。どうせなら"ママ"って呼んで!」


 亘はミシェルを心底気持ち悪いと思った。100年も生きてる老齢のくせに、自分を若くて可愛いと思っている。いつもなら在り来たりな悪態しかつかないが、今回は最上級の嫌味を考えていた。


「わかったよ、"おばあちゃん"」


 ミシェルの顔は笑顔のまま張り付いた。上手く切り返せたとしたり顔をする亘。ミシェルは何より老人扱いされるのが嫌いだった。


「ふっふふふふ、なるほど、なるほど。そうくるのか、はははっ」


 顔を伏せたまま笑うミシェルに亘の顔は強張こわばる。彼はまだ虎の尾を踏んでしまったことに気づいていない。


「確かに私は長寿だけれども、年齢に置き換えた呼ばれ方をされるのは好まないな~。

亘はちょっと嫌味を言っただけだろうけど、私としてははらわたが煮えくり返るようよ」


 凍てつくような藍色あいいろの目に亘は恐怖し、即座に逃げ出そうとしたが、その場でミシェルに捕まりソファに押し戻される。


「あっと、逃がさないよ~」


「放せっ!」


「だ~め。君には罰を受けてもらうよ。私を老人呼ばわりしたんだからね!」


 ミシェルは亘の体を触ってくすぐり始めた。亘が叫ぼうが謝ろうが手を止めようとはせず、亘が本当に観念するまでくすぐり続けた。

 その後、体を触り倒された亘の機嫌がひどく悪かったのは言うまでも有るまい。







 夜半を過ぎた頃、ミシェルは窓を叩く音で飛び起きる。誰かが外から窓を一度叩き自分達に警告したようだった。

 ミシェルは窓のほうを睨み付けていたが、人の気配はなくなっていた。隣にいる亘が静かに寝てるのを確認してから、ゆっくりと窓際に近付きカーテンを開ける。

 窓ガラスに紙が張り付いているのを見つけ、窓を開けて手に取ってみる。和紙に包まれた文を受けとり、ミシェルは外に人がいないか確かめ静かに窓を閉めた。




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