65 あなたに愛して欲しかった
「ねぇ、亘。もっと早く会えてれば良かったね」
ミシェルに手を引かれながら帰る道中、呟く彼女を亘は見上げた。
「そしたら亘のこと、すぐにでも私の子供にしたのにな」
もっと幼少の頃に会えていれば、寂しい思いをすることも、虐待されることもなかったかもしれない。そんなことを言っても詮なきことだが…
「ああ、でもダメか。そしたら私、亘を誘拐しちゃうかも!それじゃ犯罪だもんね」
ミシェルは茶目っ気のある笑顔を向ける。可笑しな話だが、亘にとって陰鬱で最悪な経緯がなければ、今の関係に辿り着けなかったかもしれない。
「ミシェル
確かに俺の人生、ろくでもないよ。生まれてこなければ良かったって思ったことは何度もある。
けど、今はそんなこと思わない。ミシェルに出会えて変わったから」
ミシェルの顔は嬉しさで綻んだ。亘は顔を伏せて一呼吸した。
「だから、その………」
"ありがとう"と言いたかった。
けれど、気恥ずかしくて言えなかった。いつか、心の底から感謝の言葉を言える日が来るだろうか。
ミシェルは亘の気持ちを察して話を晩ごはんのことに切り換えた。
二日後の月曜日、17時過ぎに亘の母が再び店を訪れた。他に客はなく食器を片付けている途中のミシェルは、彼女の姿を見たがすぐに作業を続けた。
「亘はまだ帰ってきてませんよ。それともまだ私に文句があります?」
振り向かずにつっけんどんな態度のミシェル。彼女は俯いたまま答える。
「あの子は、あなたを信頼してるのね」
「お互いがお互いを必要としてるんですよ。
亘は自分を愛してくれる人を、私は側にいてくれる人を欲していた。
でもね、亘が本当に欲しかったのはあなたの愛情です。誰かではなくあなたに愛して欲しかった。
けれど、それが得られないとわかった時の亘の失望は計り知れないものがあったでしょう」
「私だって…!
私だって努力したわよ!
けど、どうして…うまくいかないのかしら。ただ、幸せになりたいだけなのに…」
彼女は疲れた顔で言葉をこぼした。転落してしまった自分の人生を嘆き悲観する。ミシェルは彼女に近付き優しい声で諭す。
「あなたが亘を連れ戻したい気持ちはわからなくないですよ。
一人の寂しさに勝てず誰かで孤独を埋めたいと思う心の弱さは、誰にでもある。私にもそんな時がありました。
でもね、独り善がりな想いは相手に見透かされてしまうんですよ。お互いの気持ちが通じていなければ、本当の意味で幸せではないのでしょう」
彼女の言葉は憐憫でも、ましてや見下すでもなく、彼女という人間に対する真っ直ぐなものだった。彼女は肩を落とし黙って出ていこうとしたが、ミシェルが呼び止める。
「
ミシェルは彼女の名を呼ぶ。
それが亘の母の名前だった。香菜は振り返り微笑むミシェルを見る。
「あなたがもし、亘との関係をやり直したいと言うのであれば、私は二人が会うのを止めたりはしません。
亘を一人の人間として接するのであれば、あの子はきっと、あなたの気持ちに答えてくれますよ」
香菜は少しだけ考えたが、何も言わずにドアを開けて帰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます