19 母親と呼ばなきゃならないことか

 翌日、ミシェルの言う通りに刑事達に事情を話すと、彼らは少し残念そうな表情をした。裏取りのために卓人にも話を聞き、証言が一致したので事件の可能性はないと判断された。

 結局、ミシェルが蜂須賀はちすかに取り成さなくても事故として処理されてしまった。例の連続殺人とは何の関わりもなかったので、警察もそれ以上の捜査はしなかったのだ。

 亘は胸を撫で下ろし、怪我の療養りょうように専念した。





 退院するまでの間に養子縁組の手続きが進んでいった。病室に相談所の人が何回か来て用紙の記載や説明をしていった。

 その時初めて知ったのは、ミシェルの戸籍上の名前が"永岡雅美ながおかまさみ"であることだった。ずっと外国人なのだと思っていたが、日本生まれの日本育ちであった。

 では"ミシェル"というは何かなのかと本人に聞くと、"ミシェル"が本当の名前だと優しく微笑む。

 よく考えたら、自分はこの女性のことを何も知らない。こんな得体の知れない人物と共に暮らして、本当に大丈夫なのだろうか……。





 退院と同時に正式にミシェルの養子となった。車で迎えに来た彼女と共に家へ向かった。一ヶ月前にいたずらを仕掛けた店が、まさか自分の家になるとは思わなかった。

 裏手の搬入口となっている玄関を入り、階段を上がた一室が亘の部屋だと案内された。元は客間としてわれていたので、ベットと簡易的な机が置かれ、施設にあった自分の荷物や服がすでに運ばれていた。

 施設に戻りみんなに別れを告げることも、卓人と顔を合わせることもなく、新しい住みかで暮らしていくことになった。

 風呂場やトイレ、リビングを案内され、キッチンでコーヒーを入れているミシェルを亘は凝視ぎょうしする。


「しかし君もつくづく、不運だね。

母親の結婚相手からは虐待され、学校ではいじめられ、兄弟同然に思っていた相手からは腹を刺される。これ以上の悲劇があるのかな?」


 ドリップされたコーヒーをマグカップに入れ多めに牛乳を入れてスプーンでかき混ぜる。亘は椅子には座らずミシェルをずっと睨み付けていた。


「そうだな。

得体の知れない女性を、母親と呼ばなきゃならないことか」


 カップを二つ持ちミシェルは振り返る。その笑顔はいつも通り見蕩みとれるほど美しかった。


「母親なんて呼ばなくていいよ。今まで通りミシェルって呼んで」


 ミシェルはマグカップを亘に差し出す。亘は黙ってそれを受け取る。


「これからよろしくね。亘」


 亘は目の前の女性が恐ろしくて仕方なかった。行動の全てが度を越しており彼女の真意が分からない。天使のような微笑みは亘には悪魔のように見えた。それでも、自分はもう彼女を頼って生きていくしかなかった。


 自分のために甘めに入れてあるコーヒーに口を付け苦い気持ちを押し殺した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る