自分を見つめる時間

今、ハウツー本のようなものを読んでいる。最近は、毎日が変化が無さすぎて、何も思い浮かばない。何も考えないと毎日ボーッと無駄に時間を過ごすことになるので、ボケてしまいそうだ。先週は節約を始めたと言う事を書いたが、節約動画の解説の人が、「本は読まないとバカになる」と言うから新しい本を2冊買った。そこは節約してはいけないらしい。必要経費だそうだ。本を読まないと情報を得ることも出来ないし思考をする為の知識を得ることが出来なくて損をするらしい。


ハウツー本のようなメンタルを考える物は好きだ。面白い。そう言った本を読んで、自分をゆっくり見つめてみる。私ってどう言う人間なんだろう?息子に聞いてみる。「変人」と言われた。「変人って、どう言う変人?」息子曰く「どう言うって、なんか親らしくない」言動が親らしく無いのだそうだ。突拍子もない事を言うらしい。至って私としては普通だ。その場で思いついた事を言っているだけであって、そんなつもりはない。でも、大体自分の歳は考えていない。私は変人って言われるのは実はそんなに嫌いじゃない。むしろ好きかも。変わった人。個性がある人と無意識に取っているのかもしれない。愛のある「変人」が好きだ。小馬鹿にされた意味の「変人」は好きじゃない。この意味わかるだろうか?


私が「変人」になるのは大抵気を許している人。そうでない人には大人のように、いや大人らしく常識を持って振る舞う。当たり前じゃないと言われればそれまでだが、私は変人の反面、クールでもある。クールと人から言われる。クールは別にそうしたいわけじゃないけど、人との距離を保ちたい。付かず離れずの関係。だから、相手にはつまらないと思われることも多々あるみたいだ。


子供の頃から、大抵3人で仲良くなってグループになったとしても、いつの間にか、私以外の2人が親友のようになったりして悲しい思いをしたり、悔しい思いをしたりする。そして、その2人が喧嘩したりすると負けた方が私のところに戻ってきたりする。その時私は内心「安息地帯じゃ無いんだけどなぁ」と思う。でも、そう言うことは言わない。いや、言えないと言うのが正直なところ。


高校1年の時にそう言うことがあった。4人グループで1人の子を取り合うと言うことが。おしゃれで、可愛くて頭も良くてアイドルみたいな容姿の彼女の親友になりたい2人が取り合いを始めた。私は1人蚊帳の外でいち早く弾かれてしまった。そして私はそう言う人の心の変化に疎い。私はいつもの4人の穏やかな関係が良かったけど、3人はそうではなかったようだ。仕方がないので、私は別のグループに入って友達を作った。しばらくすると元のグループでまた喧嘩なのか権力争いなのかが起こったらしく、1人がまた除け者になった。その除け者になった子が私を追いかけてきたので、私は突き放した。色々謝っていたけど、どうしても許すことができなかった。かなぐり捨てようとした。そうしているうちに、私の新しいグループの友人たちが「可哀想だよ!」と言う。私に受け入れてあげなよと。「私は寂しいながらも1人で頑張って新しく1から友達作ったんだから、Nもそうすれば良いじゃない。今更ムシがいいよね」と。でも、彼女は1年が終わるまで諦めてくれなかった。なぜか散々酷い目にあった私が、新しい友人達に「可哀想だよ」と責められると言う。何故?可哀想なのは私のはずなのにと思った。


そう言うことが何度かあると、人との関係がめんどくさくなる。距離を取るようになる。それで距離を取っていると、いつのまにかいなくなっていると言う事に気付く。そしてクールと言われる。わちゃわちゃと群がってワイワイしたいと思ったりして、その場面を想像すると、やっぱりめんどくさいと感じる。煩わしいのはごめんだ。でも、気付いた時にはいなくなっていて、つまらなく虚しいなと思うこともある。そして、自分は寂しがり屋の人嫌いだと言う事に気付く。


そんな事を考えていたらまた深夜になってしまった。自分を見つめる時間、大事なことかもしれない。


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