ドラマ『イエス・キリストの生涯』
『イエス・キリストの生涯』観終わりました。ドラマの中に、専門家の解説などがちょくちょく入るので、分かりやすかったです。途中に入る解説は、ドラマとしては新しい形だなぁと思いました。
宗教とは無関係な生活を送ってきていたので、本当にキリストの生涯って詳しくは知らなかったのですけど、何となく謎だった部分が解けました。どんな人物だったのかとか、なぜ磔刑になったのかとか。
観た感想としては、神の子と称する宗教家だったのですね。古代は今よりも神々の存在が身近だったようです。神の子が救世主(メシア)として現れる。自身も神の子と思っている。彼に心酔する人々もそう思っている。両親もそう思っている。現在で言うカリスマ性がとてもあった人で、その事がローマ帝国やユダヤ教の司祭などに怖れられる。市民が影響されたらと。心酔していない一般の市民にはどう映っていたのだろう?変わった人だなぁくらいに思っている一般人もいたのでしょうか?
生まれつき盲目の人を触れただけで、治してしまったり、病死した人を生き返らせたり、皮膚病の人を触っただけで直ぐに治したり、その辺はやはり弟子たちが後から語った伝説なのだろうなぁとは思いました。大きく言っているけど、本当の所は日数としては何日も掛かったけど熱心に祈ったり、手当をしたりする優しい人だったのではないかな?などと思ったり。それを弟子たちが誇張して言っている?と。あくまで想像ですが・・・。
磔刑の場面は観ていられない。ああ言う場面は苦手です。ホラー映画とかは怖いので観ないくらいですから。でも、私は聖母マリアが見ていられなかった。刑場で我が子のその様を見ているのですけど、耐えられなかっただろうなぁと彼女の気持ちに涙してしまいました。長年大事に育ててきた息子があんなことになってしまったのですから。刑死の数日後、復活して弟子のマグダラのマリアの前に現れて、1日だけ他の男性の弟子たちの前にも現れてとも言われていましたが、もし、それが本当ならあれは弟子たちが悲しみのあまり幻影を見たか、それともあまりに嘆くからイエスが幽霊になって慰め?に来たのかなぁと思いました。
カリスマ性があり、同じ神の子を称するならアレキサンドロスが私としては頭に浮かびました。アレキサンドロスは王族の生まれだったので自身の軍隊もあったし、物凄い野心家。世界制覇を夢見ていた。同じカリスマ性でもイエスは心が清すぎた。もしイエスが野心家で狡猾な人だったら、もっと司祭や皇帝や将軍などに上手く取り入って、上手く立ちまわり、死刑にもならず、もっと別の歴史になっていたかもしれないなぁなどと思ってしまいました。まあ、そうならないで命を投げ打った清い人物だったから今も残る世界宗教になったのでしょうけどね。キリスト教が広まるには死ななければならなかった、結果論なのか、必然なのか。本人もこれを受け入れるとも、死刑にした人たちを赦すとも言っていましたし。
私の感想はキリスト教の人からは怒られそうですが、まあ無神教が興味を持って見てみたと言うところに免じて許してほしいです(笑)
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