第一章 揺れる水面 第4話 錐子オババ
「人間という言葉が示すように(当然ながら日本語という限定で)、出会いによって綴り合わされている「人生」だ。無垢の赤子にとってすら、すでにその両親との出会いが決定的な影響を(すでに胎児の時から)持つ。それを心の履歴書の第一ページと呼ぶことができよう。例えばあたしの場合は。」
と、書く気満々だったけれども、両親について書き並べてみても月並みで退屈なだけなのに気づいた。代表的なシーンを置くだけで十分かも。
「土曜日、お天気だと半ドンで帰宅した父も一緒に、おにぎりとお茶を持ってどこか、近所の公園に出かけたものだ。そこで写した白黒の写真にほっぺをピンクにするすべを母が編み出した。
夕食、丸いちゃぶ台を4人で囲むと、弟が嬉しそうに言った。「うちはみんな可愛いねー、お父ちゃんもお母ちゃんもお姉ちゃんも僕も」私にも本当にそんな風に見えた。みんなが頷いて幸せだった。
父がそんな時言った、「うちみたいにお父ちゃんとお母ちゃんが仲の良い家族で本当によかったんだよ」私は、その前後、父母は一緒にお風呂に入ると近所に言いふらして(自慢ではなく単に事実として)両親にかなり気恥ずかしい思いをさせたらしい。
今から思うと可笑しなことに、少女の私には家事の手伝い、女性らしい身のこなし、花嫁になるという憧れ、など母からも全く刷り込まれなかったのである。それどころかあるとき、十歳くらいだったろうか、病気がちだった私が、「将来は看護婦さんになろうかな」と言った時、父の反応は、「なんだ、看護婦になるくらいなら医者になれよ」であった。驚いたよね。驚いたことで、社会からすでに女としての洗脳を受けていたのが今ならわかる。
そしてこの一言は、職業選択の壁を打ち破らせた。大学進学を控えての希望職種調査欄には、父自ら書き込んでくれた。「研究、思索的仕事」 これは父自身への願いであったのかもしれない。
さらに、これまたややおかしいのだが、小学校の校長の朝礼の訓示?を覚えている。覚えているそのことがおかしくもある。それは「群集心理に惑わされるな」という内容であった。こんな内容を強く記憶していることもさらにおかしい。
ともあれ、その時からまさに大海のごとき可能性が広がったのである。」
(と、大見得を切ってみても所詮庶民のあたしであった。こう書いているのは、最近、上記のアラサー時代の原稿を見つけた老婆の同じあたしである。こうして漠とした時の流れを見渡していると、この文章の一つ一つに形容しがたい時の分断を認めざるを得ない)
(またアラサーの頃の話に戻って)
「高校時代の、いや恐らく一生を通じての(確かにそうだがやがて影響を乗り越えた)一冊の本、それはロマン・ロランの「ジャンクリストフ」である。私は受験勉強そっちのけで、ページをめくるのが勿体無く思われたほどに、一行一行をむさぼり読んだ、のちに親友が「舌なめずりしながら」という読書姿勢を教えてくれたがまさにそんな感じで。私の目からまさに鱗が落ちた。人間の精神性、内面性の扉が重々しく開かれたのである。それまでのセンチメンタルな少女趣味はいつの間にか遠ざけられた。自分の将来の姿が、可愛く優しく女性らしく、とは想像できなかったなあ。」
と読んで、昔の自分の思いを思い返しながら、オババのあたしは過去の最初をしばらく彷徨っていた、あの頃始まったことが今ここに繋がっているのだろうか、青臭い問い、人間がある意味は何?生まれて死んでどうするの? それがここまで続いている、やはりそうなのだろう。少しでも真剣に生きようと思えば。
そして今、目の前の男を見つめている。ドイツでニュルンベルクの田舎で。
悲しみをたたえた眼差しの、左側の横顔を、つい正面から見つめたくて左に部屋を移動してしまう。その横顔がこの小さな、数百年の古い村の、特に壊れかかったペンションの一室に現れたとき、あたしは本当に文字通り目を見張った。
イエスは岩山のような小高いところに腰掛けて、あたりには野の花がそれぞれの花の形と色のさまにそよいでいるようだった。左手の遠くには満月らしき円形が半ば見えている。雲に覆われてもいるがその光の静けさは、あるいは心を寄せられたかのような優しさは暗い空の頼りであった。
真っ白な長襦袢のような衣服の上に、暗い色のローブのおなじみの姿である。髪は肩に軽くかかるほどで、額を見せている。両手を膝の上で軽く組んで祈っているようだった。足は素足である。それが痛々しい感じに思われた。
白い顔色となだらかな眉、どこか下に向けられた目元、鼻筋がほどほどであり口ひげが髪の色と同じである。こんなユダヤ人がいるような、いないような、柔らかくて優しい、何よりも悲しげである。自分の運命を思ってなのか、人々の感じている苦悩を哀れんでいるのだろうか、そのどちらとでも見る人によって解釈される。
画家の名前は書いてない。名もない昔の、イエスを愛する画家であろう。今ここでこの日本人のオババに見つけられて、心から愛されてしまったその絵の中に生きるイエスの その心情と命と愛と信仰が、そよ風のように、その場所に吹き渡っている。
いくら写真に撮っても、実際の色より褪せて見える。農家の寝室に飾られたイエスの姿は、妙なことにしかし、テレビドラマに出て来るルシファー役の俳優と似た感じがした。彼はかってないほどにこの八〇歳のオババの気に入った俳優であった。そのドラマでは、顔自体、と言うよりその設定のキャラクターと、もちろん神(悪魔ルシファーは神のお気に入りの長男?)とのエディプスコンプレックス的な関係が、悪と死と罰というキリスト教(善悪二面の功罪があるが、死の恐怖に対してのやや慰めになったのは人類の必要にかなったのだろう。これはあたしの注釈)問題の探求者であるオババにとってはこの上なく愉快で興味深かった。
そうか、このオババが今も、ここに至ってもかくもこの男、つまり夫だが、に引っかかっているのは神のプランであるとしか言えないのかもな。とっくに捨て去ったとしても、どこかでわかっていた、同じ無駄な時間がまたやってくるだけだと。またこの国に戻ってキリストに対面する、それがプランだったのだ。やっとそのための心の調整と準備が整っている。
先日、いつものように変数XYZの未確定な一次方程式に捕まっていた時、あたしは自分の中にあるはずの、あるしかない神霊を感じようとして、一つの幻を思い描くことができた。
神霊は光の存在である。光が全方向に発せられる、その末端には光の無い影が生じるであろう。だってここ、地球上では、物質が至るところにあるので、ぶつかってしまう。光のジエンドである。物質で反射するので、色と生じた影をお互いが感得する。それぞれが自分の感得した他の存在の影を見て、それが実在だと思う。そんな仕組みである。自分一人の感得世界しか知らないが、知らずにお互いに影響し合うのだ。そうして現在の地球のような総合的な、物質が仮想する仮想の物質世界が構築されるのだ。
その上にまた一つ、人類が神の能力を発揮してしまったインターネットの世界が、「仮想であり実在では無いのに実在化された世界」が構築された。何というこの世の仕組みであろうか。問題は人類がそのことを知らない、意識していないということである。
そもそも宗教は、教会は、いわゆる聖職者はこの仕組みを伝えるために存在しているのであっただろう。しかし何故にそれどころでは無い悪や愚までも犯すような宗教となっているのか、地上の権力欲、そんなものだろうか。聖職者は、こんなにまで人類を操り愚行へと仕向けていることが地獄行きに値するとは思わないのか、それとも本当は神霊の仕組みを信じていないのだろうか。
あたしゃその時を待っているんだ。答えが湧いてくる、というか、答えを自分が思い出すその時を、逃さぬように。まあ、どうせ肉体が滅び、神霊として形而上学的世界に戻れば全ては明らかにわかってくるから、まあ、待てばいい話だけれども。別に焦らずに、、、、そうか、オババもさっさと死ねばよかったのか、健康に気をつけて長生きしてこの世で真理を知るまでは、などと思うのも愚だったかも。いやいや、そんなはずはない。何故なら、それでは物質世界の創造が無意味になってしまう。その意味こそ、創造の意味こそ神霊存在の意味と同義であるはずだ。神霊はそれそのものである物質世界において神性を実感しようとする。
人生のいろいろな局面で、あたしは本当に呑気坊主だった、能天気だった、後ろ髪など引かれず意気揚々と前進して次のステージに登ったものだ、別に舞台に立ったわけではないが。
子供時代に転勤ばかりの父について家族で各地を回ったときも、引越しが決まると、わーいと叫んだ。別に嫌なことが起こっていたからではなく、冒険精神と言おうか。高校、大学、就職、結婚、出産、ホイホイと喜び楽しみながらの人生に恵まれた、のであろう。それどころか、離婚してドイツにまで渡った。ここまでが上り坂だったかな。この後にも楽しく面白いことが起こると楽しみにしていた。
そうではなかった。人に批判されたことなどなかった甘えん坊のあたしだったのに日々批判され怒鳴られるようになった。これまでのように行動することが今度は許されなかったのだ。七年我慢した、それも密かに相手を打擲しねじ伏せる祈り(実は相手の素晴らしい真の姿を拝み出すという趣旨であったのだが)によって。
そこへ次の転機がきた。不思議にもまた日本に戻れることになった。夫がいい職を得たのだ。やっと暗いトンネルを抜けるのだと思った。
しかし、そうは問屋が卸さない、という典型になった。あたしが死の床にいる父親に会いに行き、翌晩父が身罷ったまさにその刻に、ヤツは待ってましたとばかり女を作った。あろうことか男女として相性が良く、決して別れようとせず、あろうことか妻妾同居すら計ったのであった。その後に起こったことはただただ恥であった。不倫関係が終わったのは、ヤツが心筋梗塞を起こして入院してからだ。
その後は、後五年の余命、と言われるままに、それなら、となお結婚を持続した。
ある日の不吉な電話が、あたしの全人生を破壊した。前婚の長男が将来を果無んだのであった。あたしとの親子関係は考えられないくらいうまく行っていた。ただヤツが邪魔だった、居るだけで邪魔だったのだ。あたしのやりたいことを邪魔する存在だった、それのみの存在。
数十年して、やがて五年などではなく、すぐにも頓死、と医者に言われて、老後のための引越しをする羽目になった。その後五年余り経つが、まるでそれが癖、とでもいうように、また不自由が極まったし恥も忍ぶしかなかった。
そして、今、あたしとヤツは、八十をすぎたあたしは、重病のヤツを連れて、数歩歩けるだけで、紫色の唇になり息切れする薬漬けの男を車椅子に乗せ、スーツケース諸々と、全ての手配をドイツ語でしながら、ホテルからホテルへ、街から街へと、白刃をわたるような、神経のすり減る一月を過ごして、しかも目的を果たせないままでいたのだった。
目的とは、ヤツを大往生させるためのドイツでの住まいを見つけることであった。
誰でもがその無謀さ、無計画さ、不可能さ、絶望を知っていた。諌められ忠告された。あたしととりわけヤツだけが、そんな事実を知りたくなかった。実際はもっとひどかった。あまりに無知で準備が整っていなかった。おまけにヤツは、ニュルンベルクで入院することになったりした。医者は退院させまいとしたが、ヤツはその頑固な医者不信から治療を断り、病院を逃げ出した、というのも我々には、ドイツでの健康保険がかかっていなかったのだ。
あたしゃ妙に元気だった。新しい、より意味ある自らの創造の道を歩むゆえだったのか、あるいは不整脈の錠剤と精神安定剤コンスタン、それにヒアルロン酸とDHAプラスセサミンのサプリメントを真面目に飲んでいたせいか、つまりそれも自分の創り出した現象だったが、快眠快食快便であったし、ドイツ語を意外にも闊達に喋ることもできた。何語で話しているかわからないくらい自然でもあって少々のアクセントや間違いを自分の魅力にすらできそうだった。オババの魅力と容認されやすさを発揮。。。ふふふ
ドイツ放浪生活、時に明日の宿も知れぬ日々が二〇日続いていた時、場所はドレスデンに移っていた。さくらんぼや、りんごやすももの花盛り、新芽の若緑、鳥の歌、暖かい日光が燦々と子供達の金髪に降り注ぐ、この世のパラダイスさながらの、視線が合えば微笑みを交わす人々、通りで倒れている人をみんなで助けようとする街角、そんなドレスデンに住むあたしの旧友と、彼女の不運に見舞われたにもかかわらず精一杯生きている夫に会うことができたにもかかわらず、彼らの危惧と助言(確かにヤツは十分に要介護状態三以上であろう)もすでに遅く全ての介護施設は満杯であって、しかもたとえ空きがあったとしても住民票も保険も病歴も記録されていない移住者に簡単な道であろうはずもなく、ヤツはやたらと毒づくばかりでその道をそもそも嫌がるばかりで、あたしは世界中からあらゆる方向から責めを押し付けられ解決へと動くことが要請されていたにもかかわらず、まず第一歩の次のホテル獲得に難儀していたのだが、それはなぜかというと、ホテルと言っても、我々の条件としてはまずクレジットカードを要求されず、キャンセルの余裕があり、ネット環境とエレベーターありという、この4点をクリアしなくてはならない、そのどれかが欠けてもおおごとになるから、それで時間に迫られて予約してしまったのを、後悔してすぐにキャンセルし、また後悔して申請し直す、その時にさらに介護施設を斡旋してくれる団体からの返事を待つのに、まだ泊まっているホテルにもう一泊延長可能か、をまず確認し、クリアし、それから日にちをずらして次の(と言っても単にヤツに押し切られただけの保養地であるが)ホテル、先にキャンセルしたばかりのところへ申請し直す、という不確定変数を一つずつ祈るような切迫性を秘めて決定していきながら、いつも絶えず、ヤツの体調という変数が全てをおじゃんにする確率も計りながら、死ぬことを願いながらあるいは今死ぬなと罵りながら、それが半日の経緯なのである。
待っていた電話は来ず、必須の条件、心臓にその地の空気が良いという経験のある(と言ってもヤツの愛する祖母のこと)小村バートミュンスター を列車で目指すためにドレスデンを発つ事になった。目的地はあくまでも小さな可能性であった。
ネットで調べると、道中またニュルンベルクで一泊、さらにマインツで乗り換えてバートクロイツナハという中都市まで行くのだが、車椅子客をそれごと持ち上げる箱があるのでその都度の手配をしてもらう。これは無料である。これは前々日に駅で済ませた。
前日にスーツケース二つをニュルンベルク駅近くのホテルに送り出しておく、その時郵便局すらどこにあるかわからないので、ネットで探してタクシーで行くとそこは美容院が片手間にやっているところで、書付けの方式が揃っていなかった。
たくさんのタクシーに乗ったが、皆おじさんたちは親切であった。あたしは老女の魅力を利用してうまく立ち回り、うまく会話し、情報を得、チップを弾んだ。すると思い荷物を持ち上げてくれるのだ。
思い出す、右の耳がほとんど聞こえないあたしには、ただでさえ困難な方言の違いはほとんど気にならなかった。何故なら耳に届いていないからである。適当に雰囲気でうなづいておく。本国人であるヤツはここにきてすら、あたしに頼る癖が抜けずぼんやりしているので、皆あたしに話しかける。ったく!
話が前後するが、ドレスデンへの途中で、イエスに導かれたニュルンベルクのボロボロのペンションの大男が一泊延長を受け入れてくれほっとしたのち、次のニュルンベルク市内のホテルの一見軽薄そうな息子が一泊延長を受け入れた時、不覚にもあたしは泣いた、そして彼を祝福した。
全てにこんなに大げさに反応するのは、恩寵という感激を思い知るからばかりではなく、この世の仕組みの中で、こんなにも蔓延しているスマホなるものが、全くスマートではなく、国内しか通用しない、国際的に使うととんでもない料金となるのだが、当然少しやり方を工夫できるようにまでは進展しているが、そのカラクリがまったく理解できない、理解できないままでも使えればいいのだが、そうでもない、そういう日常当たり前の電話が、あるいはクレジットカードがないばかりに、あちらでぶつかりこちらで頭を抱えるのであった。
例えば、ボロボロペンションの大男に電話するのに、公衆電話を見つけ、硬貨を入れ、番号を回して通じるまでにどんな苦労と冷や汗があったか、経験したものでないとわからないだろう。しかも一刻を争う、という状態で。
遅れたら宿無しになるのだ。やっと宿無しを避け得て、ホッとした途端に気づく、大事な大事なヤツのインスリンをペンションの冷蔵庫に置いたままで、もう誰もいないので取り出せないということに!!
思えば、羽田を発つとき、前婚の次男が親切にも見送りに来てくれていたのに、インスリンを家の冷蔵庫におき忘れたままだったので、全員が青くなり、息子が車でかろうじて時間内に取りに行ってくれ、せっかくの逢瀬に話もできなかったのであった。憎らしいインスリン!!!
そして、にもかかわらず全てを統率して進ませてくれた?多分?あの世から仕組まれたこの世の良き仕組みあり。
そうそう、次男にはその後もお世話になった。
例のあたしを泣かせたホテルの予約にクレジットカードが要求されていた(これは当たり前の現象らしい)のに、ヤツが入院先にカードを持って行ってしまっていたので、あたしのクレジットカードを使うほかなかったのだが、なんとその日本の口座にここ一月ほとんど入金がない状態だった。
一計を案じ、次男に十万円借金した。彼がネットでなんとか私の口座にお金を補填したのだ。そうでなければ2千円ほどしか残っていなかった。上手くいったからよかったようなものの。
小村バートミュンスター の、ホテルクローネのマネージャーは、低音のいい声であった。何度か電話してエレベーターや階段の様子を確認した。というのもそこは主に山登り好きの根拠地であるらしく、車椅子は考慮していないというのだ。どこに登るか? ツークスピッツェではない。
二百メートルほどの切り立った崖のある岩山、ドイツではまさに奇観である。空の半分がそんな山で閉められたバートミュンスター、まさに珍しい。普通ならば低い丘と林が延々と果てしなく続くドイツの野原風景なのだ。
ともかく、その空気の良さそうな高台のホテルクローネについたとき、あたしはどうしてか、本心から嬉しかったのでマネージャーにそう告げたのであった。
リラの花がドレスデンと同じくらいの開き加減で何気無い風情でどこにでも茂っていた。ここに長逗留する覚悟はできていた。ヤツの好きなようにさせると。
バルコニーから奇岩を眺め、あまりの景観に笑い合ってから、早速パソコンに向かう我々であった。あたしとヤツは思いを一つにした。ここで住居を見つける。それから日本に帰り、貸家を整理し本格的に引っ越す。
あたしの母が半年前に施設で高齢で亡くなったのが有り難くさえ思われる。何故なら母を置いて日本を去ることはとても出来なかっただろうし、母が亡くなったからこそこうしてとんでもないことをまた始めたのであった。心配する人がいないので。しかも、あたしには亡き人たち、父母、弟、長男の気配が嬉しく感じられた、一緒にいることがわかった。
それにしても、よく考えると今更ながら言うのも愚かしいが、なかなか無理難題であった。家を買うとすると、我々の予定三カ月では終わらないだろう、家を借りるとすると、クレジットカードの他に借金がない、家賃を怠ったことがないなど三種類の証明書類が必要なのに、その何一つ無いのだ。
ヤツはバカだ。結婚証明書も忘れたので、あたしのビザは観光ビザしかない。むざむざと、無駄に大金を使って帰国する羽目になることは大いに可能性が高かった。先ごろ思いついて手続きした無借金証明はなんと日本に送られているはずだった。
そこまで思い至ったとき、この現実はぶち当たって初めてわかったことだったので、ホテルに着いてから理由もない安堵と決意を感じたのちではあり、急に不意に強い絶望に襲われた。
それでも、何もしないわけにいかない、二ヶ月間は帰国できないと言うチケットに縛られている。
あたしはこの老いた体の中に一粒光を放っている神霊を感じようとした。とりあえずヤツを大往生させること、みんなに嫌われないであたしにも嫌われないで、少なくとも。
これはあたしの練習でもあるのだろう、神霊の仕組みがそうさせると言うのではなく、あたしが素晴らしい仕組みにうまく合致していくための日々の一歩一歩なのであろう。呼吸するように。
呼吸の目的がこの仕組みの認識であること。思考も行動も意識も。つまりいわゆる神霊以外に存在はない、それのみで、この物質世界もかの見えない世界もただそれのみで成っている。
そうだ、もう一つ、ヤツが自分を愛し、母親を許し、みんなと世界と和解し、愛されていること、愛していること、愛のみがあることを感じることができるように、それが肝心のことだ。この完璧の世界の仕組みはまさに神業である。ただ我々の意識するものはかなりめちゃくちゃだ。ここをどう乗り越えるか。あたしなどにはわからない。できることをするのみだ。
ここ、ドイツならざる、空気の澄んだ、海水の育んだ塩分の神秘に満たされているここ、ここに住みたい。今度こそさらなる坂道を転げ落ちたりしない、神霊との一体を忘れず、本分と実相と真性を思い出そう。ヤツに曲げられてはならない。
到着は二千十八年四月二十四日水曜日であった。
奇岩は窓からあたしを覗いていた。あたり中にある感嘆措く能わずと言うシステムを賛美する覚悟ではいても、ただ人類の見る不景気な様相のみが問題になっている。それが嘘であり、非実在であり、夢幻だと宣言する勇気は相当きつい。
二十五日にはネットの最新の「仲介抜き賃貸情報」にホテルから数百メートルの家があり、応募には自身の紹介を書いてくれるよう要請されていた。流石にヤツが頑張って自己紹介を書き申請した。
二十六日には見学、あれこれウマが合って内定を得た。階段があるのはヤツには避けるべきところだったが、余りに齟齬がないので相手の了承を受ける以外になかったのは何の手配だったのか。
二十七日には契約書に署名し、こちらの申し出により一年分の部屋代を支払ったのであった。ちょうど同じ額を損失したばかりだという家主は、この奇遇に出逢う所以を持っていたのだろう。普通必要とされる証明書は要求されなかった。
ともかく残りの時間をこの追及にかけようとして眠ったある夜、おとといのことだ。
目が覚めて、驚いた。自分のミス、エラーが突然わかったのだ。あり得ない間違い、大ボケ、アホだあたしゃ。
誰にであれ、何に対してであれ、心を開き神霊の光を感じ尊さに共感と感涙を捧げることができるようになったと言うのに、ただ一人例外があった。
思いもしなかった、ただただあたしを苦しめ、不自由にし邪魔ばかりする人物がいて、しかし彼も神霊の現れであることを全く考えもしなかった。誰あろう、あたしの夫であった。
あたしは、済まないような気持ちで、改めて見るように横でいびきをかき、苦しげに浅い息遣いをしている夫をこっそり見つめた。真正面から見るのは気が引けた。横目でチラチラ見た。
この男も神の光そのものであるのか。これは大変だ。あたしが変化しなきゃなんない。オーマイゴッド!
これまでも同じことを読んだり聞いたりしたであろうが、初めて心の奥底に落ち込んだ。水面に映る岩山の姿、ある時は美しくそのままに、ある時は乱れて暗い、それが人類の感得する(と思っている)物質世界である。
あたしにはかの子の生んだひ孫がいるんだ。本当に賢くて何かが違う。あの子を授かるためにこのダメ男(と思い込んで来たが)と娘を作り、婿の田村との間に孫娘かの子が生まれた。
今、一筋の幸せの道を思い出したあたしの身内が、ささやかな貢献を周囲に広げていると思う。
あたしだって、いく先々で全てを祝福して歩いている。
自己満足、詮なきことであってもかまやしない。まずはそれが肝心である。
死んだらもっと楽しいダロナ。
「揺れる水面」了
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