第一章 揺れる水面 第3話 徹とかの子
(ん? 何かおかしいんとちゃうか) 山本徹の胸が一つトンと鳴った。旧姓に戻って田村かの子となっている彼女が頻繁に両親を訪れていて、それはたとえ出会うことがなくても徹には喜ばしいことだったのだが、夜遅くまであかりが灯っていたり、男の怒声や、子供の泣き声が風に乗ってふっと聞こえることが重なった。父親の田村の親父さんがそんな声を出すわけはなく、別に暮らしている息子のなんとかいう人も見かけただけだが愛想の良さそうな人柄である。
そや、と、所在ない時外国のテレビドラマをよく見ている徹には曲がりなりにも思いつくことがある。(ひょっとして前夫のドメスティックバイオレンス?)(接近禁止令? 日本にもあるはずやが)と思って外を見透かしたが、その夜は静かだった。次の日の夕方、坂を早足で降ってくる田村かの子の姿があった。笑ってはいない、そのまま徹に会釈して去っていこうとするのを、
「ち、ちょっと、ちょっとあれですけどね、万事オーケー?」
と茶化した風に尋ねてみた。ドラマの真似になってしまった。
「あ、あの、今夜夜勤で、私がね、子供をこっちに預かってもらおう思うてね。今から急いで仕事に行くとこで」
無理な笑顔になっている。
「そうでっか、気ぃつけて」
と見送ったが、自分こそ田村家の様子に気をつけようと思うのであった。
寒い夜になった。十時ごろ、いきなり大声が北側から聞こえたので、徹はすわ、と立ち上がった。気が良くて、人助けを気軽に始める性格であるのは知っている。しかし今回は田村家ということもあるせいか、どこか胸が潰れるような不愉快な気持ちを感じて、山本徹は大きく息を吸った。
(ボクは合気道の黒帯二段や、というのはかなりのものや、けど何しろ大動脈が壊れかかっている身であるしなあ、それがこの変な気持ちと関係あるのやろうか)きちんと動きやすい靴を履き、身に添った上着を着た。人助け、は代償が、自分がその時に得るものが大きいのだ。それは自己満足かもしれない、と冷静に判断している、しかし今は、妙に不安だった。無力感さえあった。(おかしいで、ちょっと。どうしたんやボク、いつも鷹揚にしてるやろ、こら、)
突然
「くそっ!」
と心から言葉が出てきた。「くそオヤジめ!」
だ、誰や、くそオヤジて、、、母親が亡くなってからは、すっかり忘れていたはずの記憶だったのが急に噴き出してきたらしい。
典型的だった、酒、母への非難、叩く音、母の息遣い、それらを隣の部屋で聞いていた。母を守りたかった、小学一年という自分が不甲斐なかった。恐怖と怒りで小さな拳が震えていた。幸いにも、オヤジは家を出て、どこかで行方もわからなくなった。そうかあ、いわゆる抑圧してたみたいやな、ボクも。心理学の本も読んだことがあるし、テレビの教養番組などでも知っている。オヤジがいる間は、安心して母親に甘えることもできなかった、むしろいつも見張っていたのだ、だれかが危害を加えないかと感じて。
徹は少し自分に混乱しながら、でも、お母ちゃんは安らかに亡くなりはった、それでボクもそろそろ気が落ち着いたはずではあるけど、と忙しく考えを走らせた。
目の前ではしかし、二つの影がもつれ合っていた。田村さんと大柄な男がお互いに腕をつかみ合っていたのだ。
「どしとんのや!」と徹は思わず怒鳴った。
「お前、お年寄りに何しよんや!」
「関係ないやろ、すっこんでろ!」
「暴力に関係ないはないぞ」
「俺の子ぉや、返せ、会わせろ、ゆうてんのんじゃ!」
「そんな様子では無理やろ、たとえ会わせてもいい、思うても」
男は短気らしく、徹に詰め寄って来た。
「一応ゆうとくけど、ボクは合気道二段でな」
「俺かて空手やっとったんや」
「武道するもんが老人を掴んでどうする!」
「こいつ、関係ないわい!」
と、叫ぶと同時に、徹の胸に向かって、かなり鋭いつきが入って来た。
稽古からしばらく遠ざかってはいるが、伸びてくる相手の腕に添うように、徹の胸が半身になって、それを避けた。同時に片手が相手の腕に上から触れた、別の手は相手の脇の下にずずっと入り込む。肩が寄り添うと、男の重心はもう前倒れになり、ひとりでに前にタタラを踏んで走り込んだ。危うく土手から落ちそうになり、男はかっとなって振り向くと、両手で襲って来た。
徹はそれを下からポンと跳ね上げ、ついでに両腕を大きく開いた、しかしその高さに左右の高低があるので男の重心がまた偏る。慌てて元に戻そうとする力に、同じ方向に徹の腕の力が加勢したので、自分の加速力で飛び出そうとしたところを、引き止められ、今度は大きい円状に遠心力で引き回される。そこでまたそれを防ごうして、男がまさに抵抗した方向に徹の力が加わり、もう頭から倒れるほかなくなってしまう。頭をぶつけたくなければ、徹の力の導くままにでんぐり返しをして転がるより他ない。
でんぐり返しの練習は空手ではあまりやらないので、男はしたたかに腰を地面に打ち付けた。戦意喪失。ちょうど呼ばれて、自転車で警官が到着、一件落着。
ほんとは、もっと英語でうまく話せたらいいんやけどね、シュートさんの奥さんのマリーさん、お世話になりました。ボクが勝手に憧れて、多分恋心みたいな気持ちになってしもうてたんですが。ほとんど知らない人を恋するなんて妙なことやとはわかっても、わかっても心が、頭が暴走しよるんですな。アホらしいエネルギーの無駄。ま、とんでもないことに発展する前に、かの子さんが現れてくれてほんま助かりましてん。
これはもう太鼓判でっせ。万に一つの快挙に当たったとしても、元々が恋心は利己的やないですか? お返しが欲しい、愛を返して欲しい、そこにしか目的はないんですから。
もちろんボクはかの子さんが大好きやから、暴走ポイントへと切り替えるのはできるでしょう。いいや、そんな阿呆らしいことしまへん。ソウルメイト。彼女の幸せがボクの願いです。其のためなら身を引いてもいいんです。(身を引く、というほど近づいてはおりまへんけどね)彼女が頑なだったり、意地悪だったりしたらボクもこんなに好意は持ちまへん。
あ、ちなみにボクの武勇伝はお聞きでしょうが、投げ飛ばしたというてもかっとなったわけじゃないですからね、ちゃんと良さそうな場所を見て転ばしたんでっせ。
なぜか女性と深い縁がなく若い盛りを過ごし、辛苦を共にした母親の他界、自身の病、道ならぬ恋心、乱闘騒ぎ、悪いことを数え上げたら確かに不運ばかり、「と思うやろな」と、山本徹は妹の冴子にいきなり言って、一人で頷いている。
「そう思うやろ、冴子も」
「は? なに急に」
「いやナ、ボクの人生不運ばかりみたいやろ」
「まあな、わたしかて似たようなもんやんか」
「でもダンナも子供も授かったしな」
「まあね、少し強運や」
強運というほどでもないが、と山本徹は心のうちで笑った。世に妹のいる男はたくさんいるだろうが、勘が良く愛情豊かな妹がいてくれることはこの上なくめでたい、と言わざるを得なかった。
いわゆる不運と不運の間には、しかし例えば最近ではかの子さんとの交情があり、これはもう最高なのだ。シュートさんには男の友情を、マリーさんには恋心を、感じた、これも美しい出来事であった。病の前には合気道という深い楽しみが付け加わって、人の体と人の精神、さらにその奥の何かの意味を思わされ、形而上学的な人生の味が加わった。
その前からずっと母親の病気と死の間も仲間で歌うことができた、歌うのは実によかった。何よりも、人生の良いことを感じて忘れず、真剣にそれらを数え上げ、ありがたく、感謝の気持ちまでになること自体、とんでもない幸運やないか。
「でっしゃろ?」とまた幻のシュートさんが徹の話し相手である。
大げさに言えば、娘ほどの歳の差があるかの子と結婚までするのかどうか、形式はわからないが、今後もずっと交渉が続くことを二人ともに願っているのであった。会うのが楽しみで、会うことになると嬉しく、会うとただただ楽しく充たされると彼女が言うのを、徹は完全に己を解き放って聞いている。自分もそうだと返す。疑いや不安はなく、親友のようで、家族のようで、いつの間にか腕をくっつけあって並んで座っている。ふと気づくと暖かい若い腕であった。頭を寄せ合うとまるでカップルのようだ、しかしそれ以上を求めて焦がれるのではなく、すでに十分に幸せであった。
「なんやろな、これは、この感じは?」
「そうやなあ」
「世間の瑣事とは縁遠いなあ」
「世にも稀、という」
「だいたいボクらはずっとそばに暮らしてたんや、でもいつもお隣の小さな女の子やった」
「なあ、今夜あたし夜勤外れたし、おうちへ泊りにいこか」
「いいで、そうしよう。どうなるかな、ボクら。どうなるにしても幸せな気持ち、それは間違いないし」
「ふん、そうそう」
その後、すぐに肉体的に結ばれたわけではなかったのも面白いことであった。どちらも性経験のある大人でありながら、いわゆる性的絶頂のみを目指していないのである。あれこれの段階を楽しんで踏んでいった。そこまでのところでなんら不満が残るわけではなく、次回、そこから少し新しい体験があるだけでおおいなる充足であった。
田村さん夫婦は二人が熱々だと笑っていた。近所もそうみなしていた。が、そんな関係ではなかった。もっと熱々だった。
人類の最大のテーマ、生と死と性と神について人類が編み出してきた考え、あるいは嘘は、少し私のデザインとは異なる。しかし異なるのもまた私のデザインである。人類のDNAを十分に混ぜて、種々のパターンが生じるよう、暴走する性欲を考案した。結婚という形式も老婆の長生きも子供の発育環境を考えての配慮である。
ところで、完璧の神の存在は必要だろうか? このままのカオスでいいとも言えないか? 神という定義を創造したのは人類のその脳のみであったとか? あとは脳神経の構築した幻像であり、それでいいのではないか?
完璧の神霊、完璧の鏡像、しかし寸足らずの人類幻像からなる宇宙には、この三層の重複した関係性を統べているいわば法則がある。一つには形而上学的霊的な仕組み、別には物質の法則(これは人類がかなり追求してきている、ほとんど神性とのすれすれの境界までに)、さらにはすでに触れたが、糾える縄の如き、諸関連の働きの法則。断言しよう。神は法則である、とてつもない法則。
ホーキング博士が「神は必要とはいえない、神はいなくてもいい」とか、ややこしい表現を使ったそうだが、人類の欲する「慈悲深い情愛に満ちた救いの神」のあり方が存在するかどうかは、不可知である(それを欲するように造作したと言う皮肉な見方もある)。人類の感じかたは様々に分裂しているとしても、とりあえず法則だけで十分完璧に進行していっている(そうは見えないだろうが)。しかしそうでなくては完璧の存在とは言えない。それは確かだ。
法則は何一つ滞りも間違いもなく働いている。光の世界と物質の世界において、私は存分に存在しかつそれを感じている。それが神聖ということである。どう考えても結論は、唯一、神霊しか存在しないということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます