第60話 ヴァンパイアスレイヤー、俺に力を貸せ

 母に手を引かれ、村を出る。大剣が入った袋をぎゅっと握り締めながら、アルベールと母は、息を切らして走り続けた。


「母さん、僕たち、どこに走ってるの!?」


「この先に、父さんがいつも行っている街があるの。そこまでいけば、きっと衛兵さんが守ってくれるはずだよ」


 父親が仕事をしている街。そこまで行けば、自分はこの恐怖から解放される。そう思って、アルベールは心の中で少し安堵した。


「うっ……!」


 その時、母が顔をゆがめ、腕をぎゅっと抑えた。


「母さん!?」


「大丈夫だよ。ちょっと痛むだけ。街に着いたら直してもらいましょう」


 母の腕にあるのは、痛々しい見た目のひっかき傷。幼いアルベールではとても耐えられなそうだが、母は気丈に笑って見せた。


「さ、行こう。急げば夜明けまでには着くはずだよ」


「うん、わかった!」


 母に手を引かれ、アルベールはさらに走る。夜も遅く、すでに全身に疲労感がたまっていたが、アルベールは走ることしかできなかった。



「見えた……!」


走り続けること数時間。少し先に、ようやく街の外壁が見えてきた。あれが、母が言っていた街なのだ。


 生まれて初めて見る街。父が話してくれたよりもずっと大きく、アルベールは驚いた。


 普段なら高揚感に溢れていただろう。しかし、この時のアルベールは違う。街に来た喜びよりも、ようやく恐怖から逃れることができるという安心感の方が強かった。


「おいそこの二人! どうした!?」


 街の方から、鎧に身を包んだ兵士が駆け寄ってくる。アルベールは緊張がほどけて、目から涙を流した。


「僕の村が変な男に襲われて! 母さんも怪我をしてて!」


 とりとめのない言葉で事情を説明するアルベール。兵士のところへ行こうとしたその時、母が足を止めた。


「……母さん?」


 アルベールの母は、肩で激しく呼吸をしている。その様子は疲れているというよりも、過呼吸になっているようだった。


「アルベール……どこにいるの?」


 顔を上げた母を見て、心臓が跳ね上がった。彼女の瞳は、街を襲った男と同じ、真っ赤になっていた。


「……嘘だ! 母さん、しっかりしてよ!」


「君、近づいちゃ駄目だ! もうすでに吸血鬼になっている!」


 兵士は腰から片手剣を引き抜き、母に斬りかかろうとする。


「待って! やめてよ! 僕の母さんなんだ!」


「違う! あれは君の母さんじゃない! 吸血鬼だ!」


 アルベールは何も言い返すことができなかった。自分の母だったそれは、あの時村の中で見た男たち――吸血鬼のようだと思ってしまったからだ。


「食らえ! 化け物!」


 兵士の男は、母の肩に袈裟斬けさぎりをし、真っ二つに切り裂く。


「母さん!」



 地面に倒れた母は、真っ赤な目から涙を流して、喋り出す。


「……アルベール。父さんと母さんのことは忘れて、幸せに生きなさい。友達を作って、好きなことをやって、自由に生きて」


「無理だよ! 僕は二人がいないと何もできないんだ!」


「そんなことはない。母さんたちは、ずっとアルベールのことを見守ってるからね……」


 母はそう言い残すと、朝日の光を浴びて、灰になって消えてしまった。吸血鬼は日の光を浴びると死ぬという話を、当時のアルベールは全く知らなかった。しかし、母が死んだことは、肌感覚で理解していた。



 それから、街の教会に引き取られたアルベールは、たくさんのことを知る。


 自分の村を襲ったのは、吸血鬼という種族のモンスターであること。そして、自分が見たのは吸血鬼の真祖であるということ。


 父が持ち帰ってきた剣はヴァンパイアスレイヤーと言い、教会からの盗品だったということ。盗んだ犯人は貧民街の少年で、二束三文で売りつけられたものを仕方なく、買い取ったのだという。


 そして、村には誰一人残っておらず、もぬけの殻になっていたということ。


 アルベールは、一人で部屋にこもって考えた。どうして自分がこんな目に会わなければいけなかったのだと。自分はこれから、どうやって生きていけばいいのかと。


 考えていくうちに、真祖の言葉にぶつかった。


 『物を守るためには力が必要だ。力がないやつは何も守ることもできない。失い続けるだけだ』。


 憎むべき相手の言葉だったが、アルベールの心には深く突き刺さっていた。


 自分が家族や村の人たちを失ったのは、力がなかったからだ。あの時、真祖にヴァンパイアスレイヤーを突き立てていれば。奴の首を切り裂いていれば、助けることができたかもしれない。


 すべては、自分に力がなかったせいだ。自分が臆病おくびょうでなければ、何も失わずに済んだのだ。


 だったら――強くならなければならない。



 アルベールは、人に心を開くことをやめた。これまで他人に割いていた心の容量を、力への渇望で満たした。


 進むべき道は修羅だった。血を吐くこともあった。全身がボロボロになることもあった。それでも止まらない。アルベールにとって、力こそがすべてだった。


 必ず、吸血鬼の真祖に復讐をする。復讐のみが自分の生きる意味だ。強さを求め続けろ。そんな言葉を自分に言い聞かせ続ける。


 気付けば、彼は渇いた狼になっていた。


 ある日彼は、かつて父に託された剣の前に立った。これから、さらに強さを求めて進む。吸血鬼にも復讐をする。そのためにも、この力が必要だ。


 8歳のアルベールは、自分の背丈の何倍もある剣の柄をぎゅっと握り、言い放った。

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