第五章 陽光と影

兼久と直武

 橙路とうじ逢松あいまつ郡の若鶴わかづるという城下町。若鶴城が建つ飯蔵山いいくらやまふもと、武家屋敷が並ぶ区画に、守遣兵しゅけんへいの一隊が滞在していた。

 隊を率いるのは境田兼久。色護衆しきごしゅうの中枢たる十三家のうち、四大武家と称される武家の一つ、境田家の一人息子である。……より詳細に言うと、血縁のない義弟が一人いるが。

 卯月二十日の夕刻。彼は貸し出された屋敷の一室で、通信用の呪具に連絡が入るのを待っていた。律義に座って小箱に向き合う好青年の姿は、事情を知らない者からすると奇妙に映る。呪具も持ち主と揃って、連絡が入るのを待っていた。

 待機状態は長く続かず、寄木細工のような模様が特徴の小箱から雑音が漏れ始める。


『――こちら、麗部うらべ直武。兼久君、聞こえているかな?』

「はい、問題ないですよ、先生」


 独特な響きを伴って聞こえてきた声に、兼久は親しげな挨拶を返した。

 直武を先生と呼んだが、二人は仕事の面から見ると、師弟というより同僚に近い間柄にある。というのも、彼らの所属である麗境山れいきょうさんは、麗部家と境田家、そしてこの二家を補佐する四家の計六家が従えているためだ。


「それで、沢綿島さわたじまで何があったんですか」


 彼の声と表情が親しげだったのは束の間。どちらもすぐに引き締められ、単刀直入な問いが投げられる。呪具を起動させて待っていたのは、昼過ぎに直武から連絡があったからだった。問題が起きた旨を伝えてきた時の声色から、良くないことが起きたということは把握している。


『凶暴化した三十匹のいたちが急襲を仕掛けてきた。洗脳されていたため意思の疎通は叶わず、島在住の狸たちと協力して始末した』


 無駄な前置きは無く、淡々とした事務的な声で返答がなされた。

 常に穏和な直武の声が温度を失うと、情け容赦とは縁遠く、どこか悲しくなるような音色になる。けれど、そういう声で話す時は努めているからであり、本当はひどく心を痛めていると、彼を知る者はほとんどが知っていた。

 痛んだ心が上げる叫びに鈍くならず、それでいてよく鬱屈と歪んでいかないものだと、兼久は感心せずにいられない。もっとも、当の本人からは、自分はある意味狂っていると言われたのだが。


『鼬の体には小さな蜘蛛が張り付いていてね。それが鼬の凶暴化を促していたようだ』


 追加の報告を彩る声は、聞いているだけで胸裏が寒くなるようなものではなかった。戻って来たいつもの声音に、安心感を覚えつつ応じる。


「ああ、利毒りどく蜘蛛くもですね。こちらでも確認しています」

『やっぱり把握済みだったか。とはいえ君のことだ、雷雅が動いているという時点で、水面下で動いている妖怪には目星が付いていたのだろう?』


 口の端を上げているらしい直武の姿が目に浮かび、兼久も口角を上げた。「もちろん」と返す声は自然なものだが、表情と相まって余裕をかもし出している。

 雷雅が動く時は、人間の手に負えないモノが動いている時。物の怪であれば人間側が即座に把握できるため、妖怪の中でも危害を加えてくる可能性が高い存在――人間が呼称を付けている妖怪が候補として上がる。ある程度は疑うべき相手が分かるのだ。


「こちらでも凶暴化した鼬の襲撃を受けまして。彼らの遺体を調べたところ、利毒が従えていると思わしき蜘蛛と、かの鬼が以前に提出していた毒物が発見されました」


 呪具の製作技術を提供する、独自に妖怪たちの動向を探るなど、人間に協力的な雷雅と同じく、利毒も薬学の面で協力の姿勢を見せている。利毒の場合、自身が発見あるいは生成した毒物を資料として提出していた。

 が、そういったやり取りがあっても、呼称を付けられた妖怪は姿勢を裏返す可能性があるため、常に動向を警戒されている。


「ですが、利毒が裏で糸を引いているにしては、何がしたいのかよく分からないですね。研究一辺倒な性格ですから、何かしらの調査が目的ではあるのでしょうが、沢綿島に鼬を差し向ける必要なんてありませんし」


 爽やかな顔に浮かんでいた真剣寄りの表情が、不思議そうな表情に変わる。声からも、少し張り詰めていたような響きが無くなっていた。


『沢綿島の襲撃については、利毒の思惑ではないだろうね。かの鬼が妖獣に興味を示した旨の報告は上がっていないし。おそらく、利毒とは別の何者かの目的だったんだろう』

「そうなりますよねぇ。たぬきを襲う動機がある妖怪なんて、狐くらいしかいませんが。何にせよ、難儀なのは個を特定する作業ですけどね」


 妖怪は単独で動くモノが大半を占めるが、中には人間のように寄り集まり、徒党を組むモノもいる。特に妖獣は、群れを作り重んじる傾向が強い。

 今回の件に妖獣が関わっていた場合、まずはどの地域を根城にしている、どの種類の獣たちなのかを探り当てなければならない。そのためには、地道な作業が必要となる。細々とした作業を嫌ってはいないものの、これから掛かるだろう徒労を予想して、思わず兼久は苦笑を浮かべていた。


『さて。私からの報告はこれくらいにして、そろそろ君からの報告を聞きたいところだな』

「了解です。まずは鼬の動向ですかね」


 今日までの五日間――兼久たちが若鶴にやって来た卯月十日余り五日から、兼久は直武と連絡を取り合っていた。それまで鼬の動きに目立つようなことは無かったため、今回の急襲は予想外の一言に尽きる。何せ、襲われたのは自分たちがいる場所ではなく、海を渡った別の場所だったのだから。


「先ほども申し上げましたが、本日の昼前に鼬の襲撃がありました。襲撃規模は沢綿島の半分ほど。そちらと同様、相手との意思の疎通が不可能でしたので、殲滅せんめついたしました。不意を突かれた見張り兵二名が軽傷を負いましたが、それ以外に大きな被害はありません。むしろ、相手の方が重傷でしたね」


 直武と同じく、内容に反して平淡な口調と声色で話す兼久だが、爽やかな顔はしかめられている。

 吐血しながら、体中に血をにじませながら――憐れにも、意識が消え切っていなかった一匹は、「殺してくれ」といながら――命尽きるまで動かされる鼬の姿は痛々しかった。あの状態が故意的に作り出されているという事実が、不快なことこの上ない。


「それと、以前報告した鼬の首魁しゅかいの容体ですが」

『ああ、弥重郎やじゅうろう殿といったね』


 弥重郎とは、風尾かざお弥重郎という名を持つ鼬の首魁のこと。沢綿島の狸たちの頭が「双岩団史郎」の名を継ぐ狸であるように、鼬の頭も「風尾弥重郎」の名を継ぐ鼬なのだ。

 しかし、当代の弥重郎は人間側に保護され、手当てを受けている。兼久たちがやって来る前からこの状態であり、隊が到着した時点でも重篤なままだった。


「その弥重郎殿の容体ですが、ようやく安定しました。あとは本人の目が覚めるのを待つだけです」

『良かった、さすがは茉白ましろ君と言ったところかな』


 安堵と信頼が入り混じった声に、兼久は思わず頬を緩ませる。手当てに尽力した天藤あまふじ茉白は義弟の許嫁、将来は彼の義妹になる少女だ。血の繋がりは皆無だが、身内を褒められることを何より喜ぶ兼久にとっては、茉白への賛辞もまた喜ばしい。


『彼女の体調に変化は?』

「問題なしとのことです。朝昼晩の自主報告に加え、木下が抜き打ちで検査を行っていますので、本人が不調を隠しているということは無いかと」


 というか、嘘も隠し事も通じないお姫様に気に入られていることですし……と付け足しかけて、やめた。そのお姫様についての報告は済ませてあるため、直武は自然と察しているだろう。

 代わりに、兼久はお利口そうな顔に似合わず、自分の聞きたいことを訊くことにした。


「ところで先生。芳親の近況はどうです?」

『任務と関係ないから言わない』


 地味に容赦がない即答だが、苦笑しているらしいことが窺える声色で直武は続ける。


『君も好きな人のことになると長いからね。あと数日も待てば合流するし、迎えも寄越してくれるんだろう?』

「待ちきれないので、いっそ沢綿島から転送陣で一気に来てくださいよー」

『なるほど。それじゃあ芳親には、兼久君が早く来てほしいと言っていたから、道中のご飯は食べられないと伝えておこう』

「すみませんでした、予定通りの移動でお願いします」


 優しい笑顔を浮かべているのだろう直武に、兼久は思わず頭を下げて謝っていた。芳親に好きなものを我慢させるのは辛い上に、それが原因で嫌われるなんてことがあれば、仕事中以外ずっと寝込みかねない。

 青い顔をしていることなどお見通しなのか、『ふふ』と笑い声が聞こえた。


『芳親は元気だから、心配いらないよ。私や紀定に叱られてはいるけれどね』

「あー、逆に安心できます。報告から察するに、弔意の薄さが露呈ろていでもしたんでしょう?」


 兼久から見た義弟の数少ない欠点、その中でも看過できない一点に、笑みは自然と暗くなる。脳裏に焼き付いた、不思議そうに見上げてくる幼い双眸。からっぽな牡丹色の瞳は今でも、芳親の決定的な欠落を示している。

 連鎖して思い出される糾弾を振り払い、蓋をするように問いを投げた。


「沢綿島の狸たちに、迷惑かけませんでしたかね。芳親が何かしたなら、僕も謝らないと」

『団史郎は何回も謝られるのは好きじゃないから、君の出番はないよ』


 明確ではないが、やはり何かやった、あるいは言ったらしい。妖雛ようすうである以上、何もやらかさない可能性は低いのだが。


「ありがとうございます、先生」

『お礼を言われるようなことじゃないさ。それじゃあ、次は逢松で』

「はい、失礼いたします」


 通信が切れ、呪具は細工の美しい小箱に戻る。兼久は座ったままぐっと伸びをし、そのまま後ろに倒れ込んだ。

 芳親の、空虚で底の見えない陰が潜んだ牡丹色の目。今まで気に留めたことが無かった双眸が記憶に刻み込まれたのは、初めて葬式に立ち会った時のこと。

 その葬式は、兼久の母を弔うものだった。短い間ではあったが、芳親も世話になっていた人。そんな故人と永久に別たれる儀式で、妖雛の少年は、ずっと首を傾げていた。


『……人間、って。……目、から、水、流すんだ……初めて、見た』

『かなしい? ……初めて、聞いた。……ねえ、それ、何? どういう、もの?』


 無邪気に聞いて回る姿は、何も知らない幼子のようではあった。けれど、人間の幼子より、底知れないうつろを抱えていた。

 妖雛という存在は、何度も見たことがある。妖雛が儀式を経て兵となった人妖兵じんようへいとも、何度も顔を合わせている。だからこそ、そういう存在が抱える「人とは違う何か」を知っていた。その上で察したのだ、芳親の空虚は、その手のものともまた違うのだと。


「……志乃ちゃんも、そうなのかなぁ」


 背から頭へと染みわたる、板張りの床の冷たさ。悪寒にも似た冷感に、義弟に抱いた恐怖も思い出しながら、ほとんど何も知らない少女のことを呟いた。礼儀正しく素直な少女だと、直武から聞いてはいるが……。

 しばらくぼうっと天井の木目を眺めていた兼久だったが、反動をつけて起き上がる。


「ま、今は待つとしますか。鼬も少なからず痛手を負って、動きにくいだろうし」


 言いながら呪具を仕舞い、兼久は笑顔で部屋を後にする。妖雛たちへの心配はあるが、それを打ち消しうる期待もある。


「ふふふ。旧武家の子は好青年だったし、素敵な友情を見られるかもしれないなぁ」

「独り言とか気色わりーんだけど」


 唐突な声の刺突を受けて、兼久は「うおあぁ!?」と情けない声を上げた。慌てて声の出所を見れば、別の通路から合流してきた人影があった。


「お前、基本的には優秀なんだからさー、もっと気ぃ引き締めろよ」

「うっ、ごめん宗典むねのり……ん? でも、いつもは優秀って褒め言葉だよね!? ありがとう!」

「いちいち反応してんじゃねーよ、やかましい、鬱陶うっとうしい」


 勝手知ったる間柄ゆえに、兼久に容赦のない物言いをするのは、凶悪な顔つきをした三白眼の男。名前をたき宗典という彼は、四大術家の一角にして、境田家に仕える瀧家の術者だった。


「まー、でも。あの坊ちゃんが良い奴なのは、そーだな。どこぞのクソガキとも気ぃ合いまくるのが目に見える。けど、会いてーからって迎えに名乗り出たの、例の新顔人妖兵が理由なんだろ?」

「ああ、うん。志乃ちゃんだね。どんな子なのか気になるよねぇ。芳親と仲良くしてくれてるのかな。っていうか、芳親が何か嫌なことしてないかな。可愛い義弟が嫌われてたら、僕すっごいこたえるんだけど……」


 人差し指を突き合わせ、兼久はああだこうだと不安を言い連ねる。見慣れた姿ではあるが、宗典は盛大なため息をつくと、無視して先に進んだ。慌てて追いかけてくる兼久の情けない言葉たちも、綺麗に無視されてしまっていた。

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