2章

旅立ち



 アースリア魔術学園の入学式を翌日に控えた日のこと。

 俺ことアベルは、窓辺にある椅子に腰かけて、外の景色を眺めていた。


「アベル様。準備は整いましたでしょうか?」


 不意に背後から声をかけられる。

 スラリとした体つきが特徴的な銀髪の美女の名はリリスである。

 

 色々と事情があって俺は、200年前に命を救った『魔王の娘』であるリリスと同居生活を送るようになっていた。


「ああ。問題ない。荷物は既にまとめてある」


 現在、俺たちが何をしているのかというと引越しの準備である。

 

 アースリア魔術学園は、全寮制の学園だ。

 

 この辺境の地からは距離があり過ぎる為、学園に通うためには生活の拠点を王都ミッドガルドに移す必要があった。


「……名残惜しいですか?」


 リリスに問われた俺は、返事の代わりに無言のまま窓の外の景色を眺めた。

 二階から見える景色は、この時代に来た時から何も変わらない。

 

 あの稜線も、森の木々たちすら変わって無いように思える。

 

 この土地は、取り立てて何も語ることのない平凡な土地だ。

 

 だが、この場所に2年以上も暮らすと、流石に愛着が湧いてくるというものだ。


「夏季休暇の時期にまた戻ってくることになりますよ」


 リリスが少し優しく笑顔を見せた。

 俺は何も返答せず、窓のカーテンを下し、鍵を掛けた。戸締りも、これで最後だ。


「おーい! 師匠!」


 どっがーん、と快音が響き、扉を開けられる。

 

 入って来たのは、俺より少し背が低いべっこう飴が焦げたような金髪を持つ少年、テッドである。

 

 俺はこの二年間、様々なことコイツに教えたが、扉を静かに開ける方法だけは終ぞ身に付かなかったようである。


「早く行きましょうよー。馬車が行っちまうッスー!」


 相変わらずに騒がしい奴だ。

 テッドは兎のようにぴょんぴょんと飛び跳ねて急かしてくる。


「というか、お前。どうしたんだよ。その荷物」


 俺はテッドが両手に携えた紙袋を指さした。

 何を詰めたのか、テッドが手にした4つの紙袋は、風船のように膨れ上がっている。


「へへーん! よくぞ聞いてくれました!」


 テッドは紙袋を床に上に置いて、中に入っているものをゴソゴソと取り出した。


「これはランゴバルト領名物! 『雪玉まんじゅう』ッスよ!」


 「…………」


 いや、知らんがな。

 

 2年以上もこの土地で暮らしていた俺ですら一度も聞いたことない。 

 果たして、そんなものを『地元の名物』などと呼んで良いのだろうか。


「お前……。学園で商売でも始めるつもりなのか?」


「違いますよ! これは学園でできた友達に配るんです!」


「凄い数ですね。これだけの量を配るのは大変ではないでしょうか」


「心配ないッスよ。リリスさん! なんと言ってもオレ、学校で友達100人作るつもりでいますからね!」


 ニカッと歯を見せて無邪気に笑うテッド。


 100人の友達か。

 俺にとってはおよそ興味のないものだな。


 俺はただ、誰に注目されることもなく、目立たず、平穏に学園を卒業できればそれでいい。


「ほら、師匠、行きますよー!」


「アベル様。お荷物はお持ちいたします」


 二人に声をかけられた俺は腰を上げ、椅子から立ち上がる。 


 馬が嘶き、馬車が行く。

 暫くすると、俺たちが長年住んできた小さな家が随分と遠くに見えて来た。


 こうして、俺たちはランゴバルト領を出る。


 馬車の窓から景色を覗くと、長らく積もっていた雪は溶け、大地の上に新しい命を芽吹かせていた。

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