第60話

 ゆっくりとそこで時間を費やし、至福の時を過ごした俺たちはまたもや灼熱の外へと出なくてはならない。


 結構な勢いで体力が消耗しかけたのだが、水瀬はどうやら大変にこの場所が気に入ったようで、熱いのでさっさと帰ろうという俺の提案を無視して併設されている庭園も見ると言って聞かない。


 熱中症で倒れたら看病してくれと冗談を言いながら庭園まで行くと、池に落っことしてあげるわと言われた。熱中症になぞなるものかと、胸中で盛大に悪態をついた。


 しかしその素晴らしすぎる庭園を見ていると、池にぷうかぷうかと浮いている緑色のみょうちきりんな生物がいた。


 俺は、それを盛大に無視する予定でずかずかと歩いたのであるが、目ざといそいつは俺のことを見つけると、キュートな花柄のシャワーキャップを取り出して頭にかぶり、ペタペタと歩いてやってきた。


「水瀬。河童がいて面倒だから、俺は早足で庭園を抜けたい」


「河童ちゃんがいるの?」


「あっちから歩いてくるのだけれども、忌々しいから蹴り飛ばしてもいいか?」


 だめに決まっているじゃないの、と思い切り頬をつねられて、俺が河童を蹴っていたらつねられても文句を言えないが、まだ未遂なのでつねられ損である。世の中は、不平等でしか成り立っていないとはこのことだ。


『よお飛鳥。結婚式の下見か?』


「はあ、結婚式?」


『せや。最近は若いカップルも、ここで結婚式よお挙げるんやで。白無垢なんか着たら、ええ女すぎて横に立っている飛鳥は、塵かゴミと間違えられてまうわな』


「余計なお世話だこのクソ河童!」


 塵とは何たる言い草だと俺が掴みかかろうとすると、さすがに逃げ足が速くて水瀬の後ろにひょいと回り込まれてしまう。俺は手が出せないまま、振り上げたこぶしを所在投げに下ろすしかなかった。


「何、結婚式?」


 自分が塵のようにかすんで見えるという部分は大いに割愛して、河童との会話を伝えると水瀬は驚いた後に目を瞬かせて、河童の場所を聞いてきた。教えると水瀬はかがみこんで、河童に向かって何やらありがとうと呟いており、俺は眉をしかめる。


「何をぶつぶつ独り言いってるんだよ?」


「河童ちゃんにお礼を伝えていたの。飛鳥との結婚式場は北野異人館にしようかと思っていたけれども、ここも良いわねと思って。悩むけれども、候補が多い方が楽しいじゃない?」


「待て待て待て。俺がいつ水瀬と結婚すると言ったんだ!」


 それに水瀬は半眼になると、あっかんべーと舌を出しててくてくと歩いて行ってしまった。


「ちょっと待て、本気かよ……」


 それ以前に水瀬の父親の果物ナイフが恐ろしい。生きて行ける気もしない上に、例えもし万が一水瀬の家に挨拶にでも行こうものなら、鹿県に帰るころには、人体の三枚おろしにされているに違いない。


 しかし、追いかけた水瀬の肩を掴むと、振り返った彼女のあまりにも嬉しそうな笑顔に、俺は一瞬で熱中症になりかけてしまい、言葉が続かなくなった。


「どこにするか、ほんと楽しみ」


 俺は水瀬の笑顔の衝撃に驚いて、肩から手を外してしまった。それにお構いなしに水瀬はルンルンと庭園を歩き始めてしまう。


 俺は頭をぽりぽりと掻きながらも、水瀬のドレスと白無垢姿を想像して、まあ悪くないと思ったのであった。

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