死霊使いの革命哲学

月餅

第1話 死者の世界で生者に誓う

 少年は本に囲まれていた。 

 天井まである高さの本棚に、ぎっしりと本が詰め込まれ、そんな本棚が辺り一面を覆いつくしている。

 少年は市立図書館の机の前で、本を読みふけっていた。

 机の上には色々な本が乱雑に置かれている。本の多くは日本人の哲学者の物や古代中国の思想家の物である。これらの本は既に読み終えているが、図書館に来ると自然と手に取ってしまうのだ。

 そして既に読んだ本に目を通しながら新しい本を読む。少年は毎回こんな読み方をする訳ではないが、今日はそんな気分だった。

 少年は古夜見伊吹こよみいぶきと言う、姓が古夜見で名が伊吹だ。

 伊吹は常に奥の席を好む、そして今日もいつも通り奥の席だ。

 今日も柔道の稽古が終わった後で少し疲れていた、そして新しい本を熟読していた為に頭も疲れてしまっていた。

 伊吹は図書館の机を枕にして眠ってしまった。眠っている事に気付かぬ程に深く……誰の声も届かない、物音一つ聞こえない。


 図書館は炎に包まれていた。

 事務所で使うコピー機の電源ケーブルから漏電していて、裏に溜まった綿埃に引火して火事になったのだ。

 だがその原因を知る者はいない。

 職員が火事に気付いた時には手遅れであった。

火は見る見るうちに燃え広がり、夕刻のニュースには全国ネットで放送される程の大火災となっていた。

 けたたましく鳴るサイレンの音の中、激しく怒号が飛び交う。

「中に人はいないのか!」

「奥にまだ残ってます!」

 関係者たちが図書館利用者の安否を確認しあっている。

「まだ中に人が!」

 図書館職員と思われる女性が消防士にすがる様に叫んでいる。

 

 伊吹は周囲の異変に気付き、ようやく目を覚ました。

「なんだよこれ……」

まだ事態を飲み込めていないようだ。

伊吹はまず、この場で何が起こっているのかを把握するために、周囲を見回した。

火事であることは一目瞭然である。

 あたり一面火の海と化してしまい、茫然としてしまった。このままここに居れば確実に死ぬ、直感で悟った。

 伊吹は手元にある本を咄嗟に抱えて走り出した。本で覆いつくされた図書館では、火の手が回るのが速い、しかしそんな事に構ってはいられない。

 とにかく出口に向かって走るしかなかった。伊吹には考える余裕すらなかった、ひたすら走るしかないのだ。

 そして出口へ向かう途中の階段の踊り場までやってきた、一階のホールを見ると燃え盛る炎で埋め尽くされ、最早進む道が閉ざされていた。

 黒煙が伊吹を包み込む、伊吹は呼吸すら困難な状況となってしまった。何度もむせ返りながら、その場に横たわってしまった。伊吹はこの世界に於いて二度と目を覚ます事が出来なくなってしまった。翌日のニュースで各種報道機関が、大々的にこの図書館火災を取り扱った。

 死亡者一名、古夜見伊吹。


 ここは山の麓に小さな農村が点在する地域にある、とある村である。そこでは人々は穀物等を育てながら暮らしていた。

 そんなのどかな日常の風景の中、最も山に近い場所に小さな建物がある。その建物の一室には藁で編んだ寝具の上に、一人の少年が横たわっていた。

 少年の年齢は十八歳前後と言ったところだ、しかしこの世界のこの身分の者達にとって、年齢などは意味をなさない。

 少年の横には一人の少女が膝を抱えて座っている、歳は少年と同じ位に見える。

「先生、この子は助かるのかな?」

「どうだろうな、外傷は全て処置したからな。後は彼の生きる意志がどの程度残っているのか? と言う問題だけだな」

 少女の向かいに少年を挟んだ形で胡坐をかいている三十代後半位の男が、無表情のまま答えた。

 膝を抱えて座っている少女の名はハルカと言う、姓はない。身長は158㎝程である。何処か小動物的な雰囲気を醸し出している少女だ、目ははっきりとした感じで、真っ直ぐに見る目線が何処か印象的である。


 伊吹は森の中を歩いている、そこは伊吹にとって初めて目にする景色でありながら、何処か懐かしさを感じていた。

 暫く歩いていると、周りに人が徐々に増えてきた。その場で座り込んでいる人、木に寄り掛かり談笑している人達等、様々な人達がいる。伊吹は直感でここが死者の集まる場所であると理解した。

 暫く周囲を観察しながら歩いていると、大樹の根元に胡坐をかき項垂れている少年に声をかけられた。

「君はこれから何処へ行くのかな?」

 少年は伊吹と目を合わせない。

「どうだかな、何も考えてないよ」

「すごく楽観的な答えだね、とても死者の言葉とは思えないよ」

「そうかい? 確かに元々は死ぬつもりは無かったからね、死者という意識は薄いかもね」

「それは気の毒だったね。もしも君が良かったら、僕の体を使って僕の代わりに生きてみるつもりはないかい? 僕の体はまだ生きることが可能だよ」

「他人の体なんて使えるものなのか? それよりも体が生きてるなら自分で生きれば良いじゃないか」

「君の疑問はもっともだ、しかし僕は死を受け入れてしまった。僕はじきに消えてしまう、しかし君は生きている」

 伊吹は暫く考えた。

「そうか……なら遠慮しないよ」

「ありがとう、僕がこの場を離れたら、君の前に門が出現するからその門をくぐって先へ進むといいよ」

「ありがとう」

 少年は項垂れたままだ、微かに口元がほころんでいるのが確認できる。伊吹は少年を見下ろしている。

「僕が消える前にまだ時間がかかるようだ、少しの間だけ話し相手になって欲しい」

「わかった」

「僕の名はマルクだ、よろしく」

「俺は古夜見伊吹だ、伊吹と呼んでくれ」

「驚いたな……君は姓を持つのかい? さぞかし位の高い身分なのだな」

 伊吹は姓を名乗った事に対するマルクの反応に違和感を覚えたが気にしなかった、そう思う社会背景もある事は知識として知っていたからだ。

 暫く両者は雑談を続けた、伊吹にとって知らない世界の話だ、伊吹の好奇心は大いに刺激された。雑談の最中もマルクは項垂れたままだ、伊吹は話に夢中になり自分の話も沢山した。

 中学から始めた柔道の事、高校生の頃はレスリング部との合同合宿をして非常にきつかった事、高校を卒業した先輩から教わった総合格闘技の事など様々な内容の話をした。伊吹は大学が柔道推薦で内定していて、大学卒業後に総合格闘技に挑戦したいと思っていた事など様々だ。

 その時の高校の先生方が総合格闘技に理解を示していて、レスリング部・柔道部・ボクシング部・空手部の先生方が集まり、不定期ではあるが技術指導を行ってくれたこと。しかし先生方は運動ばかりでは駄目だと言って勉強の成績が悪い者は厳しく指導された事など実に多くの事を話した。

 マルクは項垂れたままであるが楽しそうに聞いていた。

「マルクはさあ、正直な話なんで俺に声をかけたの? 本当は何かして欲しい事とかあるんじゃないの?」

「声を掛けたのは本当にただの偶然だよ、あえて頼みたいことがあるとすれば、自由に生きて欲しいって事かな。僕には出来なかった事だから」

「自由か……案外それが一番難しいのかも知れないけどね。できる限りのことはするよ」

 伊吹はマルクと話して思い出を語っているうちに、自分が本当に死んだのだと自覚した。しかし過去を思い返すうちに、あの頃に夢見た未来を鮮明に思い出してしまった。そして伊吹はもっと生きたいと思っていたのだ。

 マルクは音もたてずに立ち上がり、伊吹の顔を見て微かに微笑んだ。

 マルクの顔は伊吹の顔と、うり二つであった。まるで双子の様に同じ顔をしていたのだ、むしろ同一人物と言ってよい。だが伊吹は何故か驚かなかった。

 伊吹の前でマルクはその存在感を消失していき完全に消えた時、伊吹の前に少し大きな門が現れた。

 伊吹は門を開け、その先へ歩いて行った。

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