ひまわり3 益子焼の縁

 竹藪の道に入るまで、アスファルトの熱を帯びながら、壽美登くんとのこれまでを振り返っていた。

 レモンティーを少し口に含むと、甘酸っぱさが広がる。

 彼の優しさは、きっとこの味に似ているのだろうと身に沁みる。

 春も夏も秋も冬もいつも温和で微笑んでくれた。

 香月菊江には最上の友人、那花壽美登の座は誰にも譲れない。

 学校が変わる度に去って行く友人だった方、新しく出会った浅い方、それらとも関係なくだ。

 壽美登くんに一言ずつ呟いてみよう。


私立しりつ上千代乃かみちよの幼稚園ようちえんでは、お遊戯のお手本が隣の私だったって知っているよ」


「仰る通りで、恥ずかしいです」


 私達は二人とも三月生まれで、壽美登くんは三日、私は七日が誕生日だ。

 ダブルでおっとり魚座のO型、小柄だったし、何をするにも遅かった。

 大好きだった遊びは、泥団子作りだ。

 一緒に作っていて、壽美登くんは必ず最後に一番綺麗なものを贈ってくれた。

 まんまるでさらっと仕上げに灰色の砂で彩ったのが特徴的だった。


 ――ありがとう、一生大事にするからね!


 砂場の一角にある宝物置き場に隠したものだが、もう幼稚園へは戻れないのが残念だ。

 一生大事にするのは想い出だけとなる。

 

益子ましこ町立ちょうりつみなみましこ小学校しょうがっこうでは、私は喘息があったからどうしても休む日があったわ」


「お辛かったでしょう」


 そんな日は、お隣だからか、プリントや今日の授業を纏めたものを渡してくれた。

 卒業のときに、壽美登くんは健康だから六年間の皆勤賞を貰ったのだと思ってしまった。

 けれども、私のサポートをする為だったと高一になって聞いたのには驚きを隠せない。


「益子町立あきあかね中学校ちゅうがっこうでは、男女に垣根を作らない私と友達でいてくれたね」


「それは普通にですよ」


 那花家の別荘がある千葉ちば九十九里浜くじゅうくりはままで、お互いの家族揃っての二泊三日が楽しかった。

 水着もまだ恥ずかしくなかったなんて、遅咲きなのが今は恥ずかしい。


「高校では、母達と花戸祭へ引っ越した為、私がお弁当を作れるようになるまで、壽美登くんが二人分を作ってくれたわ。美味しくて、優しい気持ちに胸が打たれたのよ」


「香月さんのポテトの肉巻きやチーズささみのフライ、美味しそうです。胸が痛いといけませんから、僕のことは気にしないでください」


 親切王子に困った。 

 壽美登くんの肉じゃが、本格的な和食でプロかと思った。

 甘えてばかりだったことを反省する。


「いい人に巡り合えたのなら、手を離してはいけないの。これからもいい友人でいて欲しいわ」


 自分に言い聞かせるように胸をとんと叩いた。

 今の言葉、届いただろうか。

 私は、暑さに根負けして、アイスティーを飲み干した。

 壽美登くんのは、程々に飲み残してある。


「な、泣いてなんかいないからね! ただ、壽美登くんは優し過ぎると思うわ……」


「泣いていません。香月菊江さんは毅然とした方です」


 私の嘘なんて、けろっと見破っている。


 ◇◇◇


 飛び石を踏みながら竹藪の中に入って行くと、四角い竹が迎えてくれた。

 門扉だ。

 引き戸から上がらせていただく。

 スリッパが沢山あったので、那花なばな工房こうぼうの方も多くご利用なのだろう。


「お邪魔いたします」


 廊下には、一際ひときわ天の才を感じる皿がケースに入って飾られていた。


「これは、一点だけですが那花家で求めた濱田はまだ庄司しょうじ人間国宝の皿です。ろくろと釉薬ゆうやくながけが特徴で、僕は吸い込まれるように作陶さくとうの世界に入りました」


 壽美登くんはじいっと見入っていた。

 そっとして置きたいと三歩下がる。


「話したことがありますが、板画家の棟方むなかた志功しこう先生とも関わりがあるのですよ。棟方志功先生のご子息と濱田庄司先生のご令嬢は、何とご家庭のえにしでご結婚なさっておられます」


 この話は二度目となるから、彼にとってはビッグニュースなのだろうか。

 もう直ぐセンター試験で皆がピリピリしていた頃だ。

 壽美登くんだけが満面の笑みで、楽しいことを見付けたとお昼休みに私の席にやって来た。

 お弁当が揺れるのに机をバンバン叩いて、休み時間一杯を使って版画家と陶芸家の縁を語っていた。

 こんなに明るく元気な壽美登くんは珍しく、鮮明に覚えている。


「そうね。棟方志功先生はファン・ゴッホになりたいと将来の夢として語ったこともあると聞いたわ。『ワだばゴッホになる』と。本当にファン・ゴッホそのものを指したかどうかではなくとも、縁を感じるわね。一度じっくりと青森まで行って版画を目にしたいわ」


 偉大な陶芸家と版画家の件には、私もときめいたものだ。

 内緒にしていたけれども、あの後に図書館で調べた。

 分からないことを放って置くことは、研究家肌としてはムズムズするから。


「そして、私の出自に関して意外な繋がりも見つけたのだわ。七ツ井ななついにある高乃川たかのがわ家が祖母の祖母が暮らしていた住まいだということ。一九七七年に濱田庄司先生の住まいを活かして、濱田はまだ庄司しょうじ記念きねん益子ましこ参考館さんこうかんを開いたことと深い関わりがあるらしいわ」


「それは初めて聞きました」


「私も初めて話したわ」


 子どもの頃、織江ママと一緒に訪れた。


「それからね、私の祖母、キイおばあさんが一晩で二着を縫い上げる和裁の職人さんだったのね。濱田庄司先生の所で家事をなさっていた方が、結婚前におばあさんの所へ花嫁修業としてお針を習いに来ていた方なのよ」


 最近になって、織江ママが亡き祖母を偲んで知った。


「それは初めて聞きました」


「私も初めて話したわ」


 私は、彼と目が合うと、きゅっと目を細めて笑った。


「僕は、香月さんと全く縁がないとしょげていたけれども、そうでもありませんね」


「しょげるの?」


 意外な台詞を拾ってしまった。


「ま、まあその。ええ、そうです……」


「益子焼を通じて、壽美登くんと私は、無縁ではないと思うわ」


 那花の青い屋根の家は増築を二度していた。

 懐かしい地下迷宮のような廊下を更に行く。


「こちらにはお久し振りでしょう」


 奥のとこに通された。

 美樹お父さんは、家の風情にも拘られる方で、とこは正確には床と呼ぶと教えてくれた。


「わ! これは――!」


 暫く呼吸をするのも忘れてしまった。

 蹴込けこどこに、背を魅せた孔雀のじくがある。

 傍にある壺からは、後光さえも感じた。


「花を失った壺があるわね」


「それが、ひまわりの壺です」


 唾を一つ飲んだ。


「ひまわりの……。ひまわりの壺なのね」


「やはり、現物をご覧いただいてよかったと思います」


 その壺は、あの東京にあった『ひまわり』を彷彿とさせる色合いだ。

 絵の中では、下半分が黄色で上が濃い目の黄色い釉薬ゆうやくで引き締められた壺がどしりと据えてある。

 ファン・ゴッホが花瓶の柄をそのままに描いていたとは限らない。

 もしかしたら、模様が入っていたのかも知れないし、住まいだった黄色い家に合わせて選んだものかも知れない。

 けれども、この花瓶は絵の中から這い出て来たかのようだ。

 似たような壺を用意することもできる。

 しかし、それにしても存在感が重い。


「この壺なのですが、先程の赤井様が骨董品店でもなくオークションでもなく、営業先の鬼首おにこうべ様から譲り受けたそうです。その苗字は秋田あきた県南けんなんにある土地名と同じですから、ご出身がそこからかも知れません。話は展開します。鬼首様は、海外から来たと名乗る骨董品の訪問販売があり、ファン・ゴッホの壺だと箱に入れた状態で持って来られ、急いでいるからお代は後でと預けて消えてしまったそうなのです」


「辿れるルートの最後が鬼首さんになりますね。訪問販売の方が逃げて行くようなのが謎めいているわ」


 だから、不可思議なのか。

 大抵は、価値のあるものは対価を求めるものだ。


「それに、まさかと思われるでしょうが、これは益子焼なのです」


「嘘!」


「本当です」


 作風も益子焼ではないし、ファン・ゴッホの時代からいい状態で残っている訳がない。

 そうか、謎が謎を呼ぶってある。


「これ以上誰かの手に渡り、不幸が起きるとか秘密にされている何かがあって、壺を流転させないように気を配らなければならないわ」


「僕もそんな推理をしていたのです。香月さんには説明要らずでした」


 明日は期末テスト、ゆっくりもしていられない。

 ああ。

 折角懐かしい那花工房へ来たのだから、少し寄って行きたい。

 

「陶芸教室を再開されたのよね」


「ええ、お陰様で。ありがとうございます」


 小学生の頃以来だ。

 地震でのぼがまも駄目になったと聞く。

 今はどうなっているのだろうか。

 かまぼこ型だと楽しく見学したあの日も眩しい想い出だ――。

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