空に走る ―自由な世界へ― 【詞編】

カクヨムを春まで休みます@愛果 桃世

第1話 自由にどこまでも

 俺はもうすぐ空に走って行く。



 病院のベッドの上で、俺、つかさ純吉じゅんきちは戦友への手紙を書いていた。もう手には力が入らない。


 俺は七十歳を過ぎた老人で、体はガンにおかされている。ここ数日で、体力と集中力が一気に衰えてきた。


 医者と家族は何も言わないが、自分のことだからよくわかる。迎えが来るのはもうすぐだ。


 死ぬのは怖いが、俺は戦争に行った時、命を捨てる覚悟をしたこともある。怖いのは今さらだ。


 紙にペンを走らせていると、走馬灯のように子供時代のことが頭によみがえってきた。



 今は病気で走ることもままならないが、俺は小さい頃から「かけっこ」が好きだった。風が顔にビュンビュン当たるのが面白くて、ひたすら友達やきょうだいと野原を駆け回ってた。そして、どこまでも広がる青空を見上げては思ったもんだ。


 いつか空を走りたい、って。


 戦時中、海軍に志願したのも飛行機で空を駆けてみたかったからだ。


 そして、俺は大日本帝国海軍航空隊に配属となり、戦友のあおい昭蔵しょうぞうと出会った。当時、俺と同い年の十八歳。


 ちなみに俺は三男だけど、あいつは長男ゆえか落ち着いて見えた。父親が小学校の教師ゆえか勉強ができて、そのうえ走るのも速い。


 俺は近所の連中に足の速さでは負けたことがなかった。でも、軍事訓練で走っていると、葵には勝ったり負けたりという、微妙なところである。


「今日は俺が速かった」


 と言えば葵も負けじと「明日は僕が勝つよ」という。


 いま思えば「走る勝負」は、つらい軍隊生活の中での楽しみだったんだろうな。俺にとっても、葵にとっても。


 戦場は命のやり取りが日常的におこなわれる場所だ。朝食を一緒に食べてた仲間が、昼にはいなくなってる、そんな世界。


 不安で頭がおかしくなりそうだったが、頑張れたのは葵のおかげだ。あいつは上官がいないところでいつも「絶対に生きる」って、呟いてた。「お国のために」っていう時代だから、人が多いところでは言ってなかったけどな。


 俺は軍に入隊した時点で命を失う覚悟はしたが「生きたい」って思えたのはあいつのおかげだ。そうそう、いつだったかこんな話をしたこともある。


「なぁ葵、この戦争が終わったら世界を走ろうぜ」


 そう言った時、あいつはきょとんとしていた。


「世界?」


「ああ。飛行機に乗ってるとさ、世界って広いなって思うんだよ。俺はまだ見たことがない国にいってみたい。鉄砲玉が飛んでこない場所で、思いっきり走ってみたいんだよ」


 自分で言っておきながら、夢みたいな話だなと思った。そんな時代くるんだろうか、って。


 でも、葵は穏やかに笑って頷いてくれた。いつか行きたいね、と。



 


 終戦後も葵とは交流が続いたが「世界を走る」という夢は果たせないままだった。


 お互い仕事が忙しかったし、俺と葵の実力じゃ地域のマラソン大会に出場するのが精一杯だ。英語も喋れないから海外旅行に行くのも難しい。


 だから、俺の夢は次の世代に託そうと思う。


 俺の息子はあまり運動が得意じゃないが、孫娘の美帆は運動神経がいい。今、小学六年生だが、運動会のリレーではいつもトップだ。


「じいちゃん、金メダルもらったよ」


 と、いつも嬉しそうに見せてきた。じじ馬鹿と笑われるかもしれないが、あの子の足は本当に速い。俺が行けなかった「世界」にいけるんじゃないか、ってそんな気がしてるんだ。


 俺が入院するまでは、美帆と一緒に走っていたが、いまあの子はどうしてるだろう。そして……俺がいなくなったらどうなるだろう。


 走り続けるだろうか。それともやめてしまうだろうか。


 そして、葵はどうなるだろう。この年になると、葬式に出る機会も増える。葵は友人がひとりいなくなるたびに、元気をなくしていた。俺がいなくなったら葵は走る気力をなくすんじゃないか。


 だめだ、二人とも走るのをやめないでくれ。


 俺は病院のベッドの上で葵に手紙を書く。震える指でペンを走らせた。もう集中力がなくて、短い文章を書くのが精一杯だ。


 そして、俺は倒れこむようにベッドの上に横たわる。健康な時ならばなんということはない作業が、病気の身にはひどく堪える。少し疲れた。


 しばらく眠ろう。





 目が覚めた時、家族が泣いている姿を。彼らが取り囲んでいるのは、病室のベッドに横たわる「俺」だ。目はかたく閉じられている。


「あなた……」


 声を震わせる妻の肩に触れた瞬間、手がすり抜けた。


 ああ、俺は死んだのだと違和感もなく受け入れる。


 それでも家族が悲しんでいる姿を見るのは、心が痛んだ。


「父さん、まだ早いだろ」


「じいちゃん、何で死んじゃったの?」


 息子や孫の美帆が、ベッドに横たわる「俺」に声をかける。その姿を見るといてもたってもいられなくなって、思わず叫んだ。


「俺はここにいるぞ!」


 しかし、その声は誰にも届かない。


 人生を終えるというのは、こういうことなのだ。


 それから、葬式などであっという間に数日が経ち……葵が俺の家にやってきた。

 

 葬式に出られなかったから、線香を上げに来てくれたらしい。


 しばらくまともに寝てないのか、目にはくまができていたし、明らかにやつれていた。動作もゆっくりだ。


「葵さん。ありがとうございます、どうぞ」


 妻が出迎えると、硬い声で「お邪魔します」と言って家に上がった。


 仏間に案内された葵はきつく目を閉じて、白木の位牌に手を合わせる。いまにも泣き出しそうな顔に見えた。


 葵が閉じていた目を開いた時、妻が静かに言った。


「主人が亡くなる二週間前、医者に『余命は一ヶ月単位だ』って言われたんです。それで、息子たちと話して、余命の告知は本人にはしないでおこうって決めました」


「そうでしたか……」


「すみません、葵さんにもお知らせできなくて。急に色んな人が会いに来たら、主人が変に思うんじゃないかとおもったんです」


 なるほど、そういうことか。だから家族以外は見舞いに来なかったんだな。


 俺は半年前にガンだと言われたが、ずっと自宅療養を続けていた。体調が悪化したのは二週間前で、緊急入院することになったのだ。


 病院で過ごしても、体力は衰えていく一方だった。余命宣告されなくても、悟らざるをえなかったさ。「俺はもう長くない」って。


 家族の気遣いが正解だったのかはわからない。でも、戦友に弱ってる姿を見られなかったのは良かったと思う。正直、もう喋る気力もなかった。

 

 そして、線香の柔らかなけむりが和室を包み込んだ頃、妻が白い封筒を葵に差し出した。俺が病院で最後に書いた手紙だ。葵はその場で封を切り、読み始める。


『葵へ。世話になった。そろそろ迎えが来そうだ。俺が死んだら、孫と一緒に走る人間がいなくなる。どうかあいつを世界に連れて行ってくれ』

 

 すまんな。もっと言いたいことがあったんだが、あのときはこれが精一杯だったんだ。


 俺がいなくなっても、戦友と孫娘には走っていてほしい。


 それが手紙に込めた想いだ。


 読み終わった瞬間、葵は何とも言えない顔で苦笑いしていた。でも、さっきまでは無表情で元気がなかったから、これはいい傾向じゃないか?



 葵は帰り道、ゆっくりとではあったが走り出した。良かった、と俺は胸を撫で下ろす。短い文章に込めた想いが届いたらしい。


 ふと葵が空を見上げたので、俺も同じように見上げる。


 日照り雨が降っていた。


 太陽の光を受けてきらめく雨粒が、俺達に降り注ぐ。雲間からは、幾筋もの光が見える。まぶしい輝きが俺を照らした。


 ああ、俺もそろそろ行かなくちゃならない。


 向こうに行っても、ずっと見てるからな。お前達がピンチの時には空の上から飛んでくるさ。


 



 魂になった俺は、世界中のあらゆる場所を駆け抜けて行った。


 原っぱを、その次にはどこまでも広がる海を。


 風よりも軽く、光よりも速く。


 ――俺はまだ見たことがない国にいってみたい。鉄砲玉が飛んでこない場所で、思いっきり走ってみたいんだよ。


 少年時代の夢は、いま叶った。


 肉体から解き放たれて、これからはどこへでも、どこまでもいける!


 

 そして、俺は光あふれる空を目指して走って行った。



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