第92話 怜の愛した男-3

 怜は立ったままで窓のそばに寄った。火星の砂漠……大地のここそこにところどころに大気調整池の光がぽうっと灯っている、その風景を見ながらぽつりと怜はこう言った。


「もうあなたに会うことはないわ、亘平」


 僕は顔を上げて怜を見た。


「ごめん、怜。ちょっと意味が……」


 怜は今までにない真剣なまなざしでつづけた。


「あなたを巻き込むつもりはなかった。ごめん。でも、ちかいうちに争いがおこる。『火星世代』がそのときどうするのか分からないけれど、おそらく私たちは戦わなければならない」


 僕は頭の中を必死で整理した。私たち? それは『はじめの人たち』を意味するのか、それとも僕と怜を意味するのかは僕にはわからなかった。

 オテロウの言っていたイリジウムの増産。『開拓団』の併合。……そして、『犬』。なんのためにそれほどの『犬』が作られるのか?


 僕はぞっとして言った。


「争いって……、怜。『センター』の計画は、君たちが目的なのか?」


 怜は頷いた。


「『センター』は私たちをこの火星から消し去るために、最後の戦いを仕掛けてくる。そのことはずっと分かっていた」


「なぜ……なぜ『センター』はいままで君たちを攻撃しなかった?」


「私たちが彼らの喉から出るほど欲しいものを持っているから」


「『開拓団』に出入していたのもそのためかい……?」


「……私が砂漠で初めて出会ったとき、目的はあなたじゃなかった。たまたまあなたがいて……私が殺しそびれただけ」


 怜は相変わらず暗い砂漠の方を見つめていて、僕の方を見ていなかった。そうか、僕はやっぱり怜に殺されるところだったのか。僕は思わず笑った。


「ウェルズのおばけ」


 怜はそのとき、はじめて僕の方を振り返った。


「えっ?」


「『火星世代』では、砂漠でウェルズのおばけに出会うと跡形もなく消えてしまうという話があるのさ。……なぜ僕を殺さなかった?」


 怜はいっしゅん口ごもった。


「目的の人ではなかったわ」


 僕は直感的に、それは嘘だと思った。目的の人間じゃなくても、僕を殺す必要を感じたなら、怜はためらわなかったろう。それと同時に、たぶん会うのはこれが最後だというのもなんとなく僕は理解していた。


「怜……僕は怜が好きだ」


 僕は怜の目を見つめながら、はっきりとそう言った。怜は僕をちらっと見ると、すぐさま話題を変えた。


「情報を持ってきたの。ジーナにつながるかもしれない。ビジネスリングを……」


「怜さん、はぐらかさないでくれ」


 そうだ、たぶんあの『かわます亭』で僕が謝ったときも、怜はわざと話を聞いていないふりをしたのだ。僕は怜がこちらを見るのを辛抱づよく待った。


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