第73話 ストリート・シーン-3

「とんでもないこと? それが引っ越しの理由?」


 僕は自分の身の危険をどれだけ怜に話していいものか迷った。怜に心配をさせたくなかったからだ。


「実は『センター』が……」


 その言葉を口にしたとたん、怜は手でそれから先をさえぎった。それからするどくあたりを見回して、話題をすぐさま変えた。


「遥さんたちはきょうは来るのかしら」


「さあ……。鳴子さんは駅の客が長引いてるのかもしれないし……。仁さんはここのところ忙しそうなんだ。開拓団も荒れててね」


「そう……じゃ亘平の家に行きましょ!」


 僕はうなずきかけて止まった。


「えっ……」


「家に行きましょ。亘平の新しい家も知らないし」


 怜はさっさと自分の飲み物を飲み干して僕を店の出口に招いた。


「怜さン……怜、いま来るの?」


「なによ、問題?」


 僕があわてているあいだに、怜は怜で勝手に想像をめぐらせたらしかった。


「ああ、ごめん……うとくて。誰かと一緒に住んでる?」


「いや、そういうことじゃなくて、仁さんたちがいないから……」


 怜はなぜかにやりと笑ってこう言った。


「二人きりになるから行くんでしょ!」


 僕は目をつぶって深呼吸した。この言葉の意味をたぶん、深読みしても、たぶん、僕の希望する意味はたぶん、出てこないのだ。この笑みにも深い意味はないのだ。


 開拓団の通りは、前より閑散としていた。というのも、ギャングがのさばるようになったので、みんな警戒して夜の街はあまり出歩かないのだ。そのせいで、通りは少しさびれているように見えた。


「ジーナは元気?」


 怜は歩きながらそう言った。僕はうなずいた。ジーナは元気だし、遥さんの家によく行くようになって機嫌がいいし、なんならジャンクヤードで力をつけて家の中も飛び回るようになったし、で実際は第五ポート駅にいたころよりもずっと幸せそうだということしか言えなかった。

 だけど、怜が家に来たらジーナはどうするだろう……ヘソを曲げないだろうか……。怜が嫌いだというわけではないけれど、怜とジーナとのあいだに妙な緊張関係があることだけは確かだった。


 そんなことを考えながら歩いていると、むこうからものすごい勢いで黒い影が走ってきた。そしてそのうす暗い遠くから


「リングを摺られた!」


という叫び声。


 僕はとっさに怜をかばうように通りの方に体を張ったけど、当の怜はもうそこにはおらず、僕の腕をとりながら何食わぬ顔で走ってきた男の足に自分の足をかけた。

 全速力で走ってきた男は文字通り揚げ足をとられて、そのまま宙に飛んで地面に激突した。


「あら、ごめん! ごめんなさい!」


 怜は申し訳なさそうな顔で男に駆け寄ると、男の腕を自分の肩にかけて、僕にも手伝うように目で言った。


「ごめんなさい、ほんとに、大丈夫?」


 怜は体を起こした髭の男に、大げさにまるで子供にするように怪我がないか確かめた。男は息をととのえ、怜をにらみつけると


「気をつけろバカヤロウ!」


とつぶやき、後ろを一瞬ふりかえった。


 そしてまだ追手が来ていないのをいいことにまた怜と僕を振り払って走り去ってしまった。

 僕があっけにとられていると、男が見えなくなったところで怜はおもむろに手品のように袖をさぐると、リングを取り出して掲げて見せた。開拓団には珍しい、真新しいピカピカのリングだ。なんと、怜はスリからリングを摺り返したわけだ。


 しばらくして、摺られた本人らしいやせっぽちの男がこちらにとぼとぼと歩いてきた。


「さっき叫んだひと?」


 怜は男に近づくと単刀直入にそう聞いた。男はぼんやりと怜を見つめ、それから僕を見た。


「スリはこっちに来ましたか」


 男は力なく言った。まるで走って追いかける気力もないといった様子だ。怜はリングを男に差し出した。


「さっき、髭の男が走って行ったんだけど、これを落としって行ったの」


 男はリングと怜と僕を交互に見た。


「これです。奴が落として行ったんですか」


 怜はにっこり笑ってうなずいた。男は受け取ると、何度も礼を言って離れて行った。


「あんな新品じゃ、手に入れるのも苦労だったろう」


 僕がそういうと、怜は少し渋い顔をしていった。


「どのみち盗品だったわ」


 僕が怜をみると、怜は僕をちらっと見てこう言った。


「開拓団のものではなかったもの。みんな生きるのに必死なのよ」


 怜は真剣なのに、僕はとうとつに笑いの発作に襲われた。怜は笑いをかみ殺してる僕の顔を怒った顔で見上げた。


「なんで笑うの?」


「いや……自分の取り越し苦労がおかしくて……。敵わないなぁ……」

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