第8話 迷走 紙飛行機 須美

 千鶴はあれから二十年後かつて住んでいた街を訪れた。三十歳になっていた。

 そろそろ結婚を考える年頃である。

 十一月となり秋も深まり紅葉が目に映える季節となっていた。

今日はポカポカと暖かい。

 セミロングの髪を風にふわりとなびかせ、ジーンズに赤いスタジャンという姿は二十代と言ってもいいくらい若く見える。スポーツメーカーのスニーカーも流行物である。

 父親の仕事の関係でその街を離れて二十年、様変わりしている街を見ると年月の移り変わりを感じることが出来る、木造の建屋は減りコンクリートの建物が数多く立ち並び、道路も全てアスファルト舗装してある、地面がむき出しの所なんて無い。

 銭湯も無くなっている。


 千鶴は電車で隣りの街に出来たショッピングセンターに行く途中で小さい頃住んでいた街を見つけその駅にふと降り立った。

 何かに引き寄せられるように。


 千鶴はゆっくりと街を歩いていると、商店街のアーケイドの中に入っていった。

 かつては賑わいを見せていた商店街だったが近くに大きなショッピングモールが出来てほとんどの店がシャッターを下ろしている。時代の流れである。

 前から見たことがあるようなおばさんが歩いてきた、昔とは少し年を取ったように見えるが、間違いない、近くに住んでいたトシおばさんだ、トシおばさんがニコッと笑いこちらを見た。

「あら、千鶴ちゃんじゃないの?」

「そうです、トシおばさん、お元気ですか?」

「千鶴ちゃん、久しぶりだねー、綺麗な娘さんになって……」

「いえいえ、年食っちゃいました、まだ独り者でーす」

「今日はどうしたの?」

「ふと、この町に来てみたくなって、電車で10分だから直ぐに来れちゃいました」

「また遊びにおいでよ」

「ありがとう」

 千鶴は懐かしかった、この調子で次々と昔の親しかった人と会えるのかなとワクワクしていたが、トシおばさん以外に知った人に会うことは無かった。

 前の方に学生たちが何人か店の入り口に集まっている、近づくと昔は無かったハンバーガーショップが出来ている。世界中にあるやつだ。そういう波もこの街を飲み込んでいるのだなと感じた。

ハンバーガーショップに入り学生たちに混ざってハンバーガーをぱくつきコーラを飲んでいると、もし昔ここにハンバーガーショップがあったらどうなっていたかな?などと瞑想していると思わず笑えてきた。

 ハンバーガーショップを出て少し道を歩いて行くと、右手にカラオケボックス、左手にレンタルビデオ店があり、さびれつつも今風の生活が出来ていると感心させられる。

 しばらく行くと小さな公園に突き当たった。

 千鶴はハッとした、見覚えのある公園だ、滑り台や鉄棒がある、今見ると小さく思える、自分が成長したからかと納得する、今は公園の手入れをする人がいないのか草がぼうぼうである、きっと遊ぶ子供達も少ないのだろう。

 公園の中に入りブランコに座った、揺れるたびにギ―ギー音がする、鎖をつかんでいた手を見ると錆が手について真っ赤になった。

 千鶴は何故か楽しく、ノスタルジックな気分で鼻歌を歌っていた、山口百恵の歌を。午後のポカポカとした日和でブランコに揺られながら眠ってしまいそうである。

 (そうだ、小さい頃よくここで友達と遊んだりしたよなあ)

 小さい頃の記憶が千鶴の頭の中を鮮やかに甦ってきた。この街を離れて新しい学校へ通い、新しい友達が出来てゆき中学、高校、大学と進んで行った。それなりに楽しい学生生活を謳歌した。今は生命保険会社に勤めるOLである、社内ではもうそろそろ寿退社かと噂が出るような美人系OLである。

 千鶴はブランコから降りて公園の中を歩いてみた。

 しばらく歩くと草むらの上に白い紙のようなものが落ちているのを見つけた。

”紙飛行機”である。千鶴は拾い上げ、その紙飛行機を広げてみた。

 中に文字が書いてあった。


 ”おかえり”


 そうだ、子どもの頃、よく紙飛行機を飛ばして遊んでいたんだった。


 千鶴は、はっとした。かつてこの場所であった事を思い出した。鮮明に。

 子供ながらに男の子を奪い合うようなまねごとをして、女友達に悪いことをしちゃったなあとくすっと笑ってしまった。

 (まあ若気の至りだったわ)

「そうだ、須美ちゃん、どうしてるだろう?」

「あれからだいぶ年も経つから、きっとお嫁に行って、子供なんかもいるんだろうな」

 と一人呟き、歩きながら須美の記憶を辿りつつ公園を出た。

(確か家は自分の家と近かったはず)

 千鶴は先ずかつて自分が住んでいた家を探した。

 見覚えのある商店をいくつか過ぎて、おそらくここだと思う場所にやって来た。

 しかしそこはコンビニエンスストアになっていた。確かにこの場所に自分の家があったはずだが、時代とともに変化していた。そこから少し通りを歩いて記憶を辿って須美の家であろう場所に立った。須美の家は古くなってはいたが、ちゃんとあった。表札を見上げると、文字が見えにくくなってしまった表札に。


 五十嵐 凛子りんこ

     敦子あつこ

     須美すみ

 

 と書いてあった、

(そうだ、たしかお父さんは須美ちゃんが生まれてすぐ亡くなったはずだ)

(まだこの家に住んでいるのだろうか?)


 千鶴は少し耳を澄ませてみた、何か聞こえるかも知れないと。

 もしかしたら久し振りに須美の声が聞けるかも知れないと。


 「うー、うー、ぐー、ぐー、」

 何やら動物のうめき声の様な声がする、と次に

 ”ガチャーン”と何かが壊れる音がした。


 ちょっと千鶴は身を引いた。

 玄関に耳を近づけて耳をすませた。


 ”須美! もうやめなさい! ”

 ”もう、それ以上物を壊さないで! ”


 涙声が聞こえる。

 千鶴は立ちすくんだ。

 (何がどうなっているのか、胸騒ぎがした……)

 

 バタバタと足音がしてすぐに、玄関の引き戸が”ガラガラっ”と音を立てて勢いよく開いた。須美の母親の凛子が手で口を押さえ涙ながらに出てきて誰かが玄関の外にいるのに気が付いた。

「どちら様でしょうか? 今立て込んでいて……、ごめんなさい……」

 凛子の顔を見ると傷や痣が幾つかあり、手のひらには、誰かに噛まれたような歯形が付いていた。千鶴は血の気を引いた。

「私は、田村千鶴と申します。小学校の時須美ちゃんとよく遊んだ……」

「ちょっと久し振りにこの近くを通り掛かったのでちょっと寄ってみました」

「須美ちゃんお元気ですか?」

 と千鶴が言うと同時に奥の方で音がした。

”ドンドン、ガチャーン”

「ギャー、ギャー、ガー!」

 凛子は玄関の引き戸を開けたまま、振り返りまた家の奥に急いで入っていった。

 見てしまった……。


 凛子が馬乗りになって暴れている白いパジャマ姿の女性を押さえつけて紐で縛っている。凛子の顔が鬼のように真っ赤になり青筋を立てている。

「静かにしなさい!」「もう暴れないで!」「あーどうしたらいいの!」

 凛子は叫び声を上げる。と同時に泣き声をあげて振り返った顔は心底疲れた顔に見えた。

 千鶴は凛子に縛られている女性の顔をじっと見据えた。

 それは、歳をとったが紛れもなく”須美”だった。顔には引っ掻いたような傷や痣だらけであったが”須美”に間違いなかった。

 千鶴は家の中に飛び込み凛子と一緒に須美を押さえつけた。須美はもがき暴れてどうしようもない。須美の力は思ったより強かった。緩めるとすぐに突き飛ばされそうで怖かった。

 昔見た映画”エキソシスト”を咄嗟に思い出した。

 ”怖い!”

 そう思った。


「須美ちゃん! どうしたのよ? 何があったのよ?」

 千鶴は須美の顔をじっと見つめ声をかけてみた。

すると、須美も千鶴と気が付いたようで、大きく目を見開き

「ギャー! ワーッ! イヤーッ」

「返せー!……」

と叫び声をあげて更に狂暴に暴れ始めた。

 千鶴の手をつかみ指に噛みついた。ちぎれそうに痛かったが声が出なかった。

 須美は凛子によって千鶴と引き離されて後ろに転がり落ちた。

 

「ずっとこうなんです……」

 凛子が下を向いて涙を溢しながら鼻声で呟くと、須美は近くにあった雑誌をわしずかみにして千鶴に投げつけてきた。

「ワーッ! ギャー! イヤーッ! あっちへいけー!」

 暴れる様子はまさに”エキソシスト”の主人公のリンダブレア演じる”リーガン”である。


 凛子は須美の腕に注射器で何かを打った、鎮静剤である、医師からもらい暴れてどうしようもない時に打つように処方されている、凛子は元看護師であり注射などはお手のものであった。

 須美は静かになり、ウトウトとしてきてその場にうずくまり眠ってしまった。いびきが聞こえてきた。

「眠ってる時は大丈夫なの」

「千鶴さんだったわね」

「思い出したわ、小学校の時須美と同級生でだったわね」

「たしか、途中で転校したような……」

「そうです……」「よく須美ちゃんと遊んでました」

「須美ちゃんどうしちゃったんですか?」

 凛子がゆっくりと話始めた。

「小学校四年生の頃に、外から帰って来たと思ったら急に泣き出して、部屋に籠ったきり出てこなくなっちゃったのよ、何があったの? って聞いても返事しないし、泣いてばかりいて、学校にも行かなくなってしまったの。お姉ちゃんの敦子も心配して一緒に学校へ行こうとしたけど、何か心を閉ざしてしまってだめだったの」

「結局小学校へはそれ以来登校せずに家に籠ってしまったのよ」

「中学も登校出来ずにいて、養護学校へも行ってみたけど結局は自分の部屋に籠ってしまったのよ、ずーっと」

「今までよ……」

 千鶴は衝撃を受けた、何が須美をそうさせたのだろうと考えていた。

 すると凛子が思い出したように

「そうだ、下ろしたてのピンクの水玉のワンピースを着て出かけて行って、帰ったらおかしくなっていたのよ」

 さらなる衝撃が千鶴を襲った。

「あきおちゃんが、あきおちゃんが、って空に言ってたわ、たしか」

「きっと何かあったんだろうけどね、わからないのよ」

 千鶴はその場に崩れ落ちそうになったが、必死にこらえた。

(まさか、あの時?)

 千鶴の頭の中で昔の映像がフラッシュバックした。

 そうだ、子供心にも須美に噓をついて明夫を自分の彼氏にしてしまおうとしていたのだ。

(あのことで、須美は傷ついてしまって、こんなことになってしまっていたのか?)

 千鶴は信じられなかった。軽い気持ちだった……。

 気持が奈落の底に落ちていった。


 紙飛行機

 紙飛行機

 紙飛行機


 頭の中を駆け巡った。

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