時刻は午前7時。

 まだ学校に行くには随分早い時間だが、軽く食事をしてから行くなら丁度いい。


「じゃあ、ちょっと着替えてもいいかな……」


「解った、それなら俺は表で待って……」


 言いかけ、踵を返そうとしたが、その動きは直ぐに阻止された。

 服の裾がしっかりと掴まれている。


「洗面所で着替えるから、此処にいて……」


 たった今まで笑っていた美衣子の顔が、一瞬にして曇っていた。

 どんなに強がっていても、時間が経って体が楽になろうとも、やはり簡単に恐怖は消えはしないのだ。


「解った。待ってるよ」


 改めて向かいあった俺は、今度は優しく美衣子の頭を撫でてやった。


『あっかつきぃっ!』


「うわっ!?」


 適当な服を選んで美衣子が洗面所に入って行ったのを見届けると、イナリが飛び付いて来た。

 このイナリについても、俺がうんざりした要因の一つだった。

 始めのうちは空気を重んじてか、その辺を飛び回っているだけだったが、会話もゲームも出来ない状況に段々とフラストレーションを溜めていったようだった。

 その結果次第に行動や言動が騒がしくなり、終いには空中で地団駄を踏むという荒業を披露し始めた。

 聞こえない美衣子にとってはさしたる問題もないだろう。

 だが、俺にとっては騒音以外の何物でもない。

 何も言わずに耐え続けるのは、一苦労だった。


『暁ぃ、むっちゃ暇やったんやでぇ~』


「はいはい……」


 今まで関知してもらえなかった反動がきたかのように、イナリは俺の首に巻き付き刷り寄ってくる。

 うざいことこの上ないが、イナリにしてはよく我慢したほうなのかもしれない。

 でも、よくよく考えれば、最近までコイツは俺に存在すら気付かれずに憑いていたようにも思うのだが……

 馴れっつーのは、怖いもんだな……


「なぁ?ちょっと訊いていいか?」


 未だベタベタとくっついてくるイナリに、そう言えばと俺は口を開いた。

 色々あったので、こいつともゆっくり話せてなかった。

 ならば、今がある意味好機だ。


「結局昨日のあれはなんだったんだ?」


 そう問うと、イナリは何やら少し考えるような素振りを見せ、そして、


『んー正直なところワイにもわからん』


 と、鼻を掻いた。


「…………はぁ」


 期待していただけに、ガックリとする。

 昨日は訳知り顔だったので、何か解っているのかと思ったのだが……神様だからと言ってなんでも解ると思うのは間違いなのかもしれない。

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