下級生 佳純

せわしなく動く2B鉛筆の尻が机の表面を小刻みに叩いている。人気アニメのキャラクターが六角形の胴軸部分にプリントされたピンク色のやつだ。

先程から絶え間なく聞こえるコンコンコンコンという甲高い耳障りな音はそのせいだった。

亜香梨あかりは堪りかねて隣の席に座る少女に声を掛けた。



「志津果! いい加減にその音止めな! もうちょっとしたら先生来るし。」


「エッ・・・あ、あぁ、ゴメン、亜香梨。もうやめたきん・・・」



志津果はハッとしたように亜香梨を見ると申し訳なさそうに呟いた。

給食の後の昼休みが終わりかけて五、六年生は席に着いて先生が来るのを待っているところだ。


だが志津果は朝から何処となく元気が無い。

口数も少なく亜香梨が何を話しかけても上の空のような気がした。原因ははっきりしないがある程度の予測はつく。



「志津果、あんた玄狼君と何かあったんやろ? ひょっとして喧嘩でもしたんな?

まさか・・浦島さんが原因とか・・なん?」


「えっ・・い、いや、そなん事ないよ。玄狼とやかし(玄狼なんかと)何もある筈ないやん。

浦島さんやったって関係ないし・・・何でそなんこと言うん?」



志津果はあたふたした様子でそう答えた。その感じから亜香梨は自分の予想がどうやら正しかったらしいと直感した。

だがその事には敢えて触れずに話を続けることにした。



「あ、そうなん? ほんならええけど何かあんた元気が無いし、今朝の登校の時は玄狼君と浦島さんだけで志津果はおらへんし・・・じゃきん何ぞあったんかなぁ-おもてな。」



自分しずかの否定を受け入れた上での亜香梨の控えめな詮索の言葉に志津果はホッとする物を感じたのだろう。少しだけその理由について触れた。



「何かしゃん昨日から気分が滅入っとってなぁ。いや、滅入っとるゆうか麻痺しとるゆうか・・・ま、ちょっと・・変なモンが見えたりとか・・・あってな。

とにかくほら、えーとなんやったかな? あ、そうそうトラウマとか言うんやったかな、そんな感じになってしもとんやけど。」


「トラウマ? 志津果がトラウマなぁ・・あんた念の力が強いけん、何ぞヤバいもんでも見えたんな? 例えば火の玉とか生首とか、そんなんが。」


「い、いや、・・ソラ、タ・チャ・・シ、クビ・・ヵメ・・ニ・・タ・ド 。」


   『 そら、玉っちゃ玉やし、首っちゃ亀の首に似とったけど 。』



「えっ、何て?」


「ううん! 何ちゃでない! 何ちゃでないきん! ホンマやきん!」


「?・・・まぁ、何ちゃでないんやったらそれでかまんけんどな。

ほんなら玄狼君や浦島さんやと気まずぅになっとるわけではないんやな?」


「う、うん。そなん事ないで。」


「ほんま? それやったら何ちゃかまんきんど(何も構わないけれど。)

ほんでも気まずいわけでないんやったら玄狼君にちゃんとものを言うてあげな。

玄狼君、朝からずっとなんか言いたそうにしとったで。

ほら、見てん。多分、今も・・・・へっ?


あ、あれ? 玄狼君、まだもんてないな。(もどってないな。)何処行っとんやろ?

あら、よう見たら賢太もおらんし・・二人して何しょんかいな?

もうセンセ来るで。」



そして亜香梨の懸念通り間もなく高田先生うさちゃんがやって来て授業が始まってしまった。

体育用具倉庫に時計が無かった事が玄狼と賢太にとって災いとなった。

結局、二人が帰って来たのは授業が始まって既に十五分以上過ぎた頃だった。


当然、二人は教壇の前に立たされて厳しい糾弾を受ける事となった。前回が特高警察や憲兵隊レベルだったとすれば今回は最早、切支丹弾圧の拷問に等しかった。

地獄の踏み絵を迫られた賢太は三分も持たずに信仰を捨てて転んだ。


くろうを裏切って全てを白状したけんたの供述によって玄狼が志津果に生まれたままの姿を見られてしまった事が五、六年生全員に周知される結果になってしまった。まさしく文字通りの開陳かいちんだった。


玄狼は後々まで、賢太にこの一件を打ち明けた自分を呪う事になった。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




最後の授業の終わりを告げる終業チャイムを聞きながら玄狼は疲れ切った表情で大きな溜息をついた。

そして沈んだ顔で机の中の教材をランドセルに詰める準備を始めた。



「クロ君、ため息をっきょったら幸せが逃げてしまうんで。早よ吸い込まな。(早く吸い込まなきゃ。)」


細面の可憐な顔立ちの少女が玄狼に近付いて来てそう話しかけた。長めの黒髪を後ろの下の方で纏めて一本の三つ編みにして垂らしている。

三つ編みポニーテールのロウポジションとか言うらしい。以前、亜香梨がそう教えてくれたような記憶がある。


兄譲りの一重瞼でちょっと鋭めの野性的な眼と百六十センチ近い身長がまだ十一歳の少女に大人びたクールな印象を与えていた。

少女の名前は門城 佳純かどしろ かすみ、城山小学校の五年生で賢太の一つ違いの妹である。俗にいう年子の兄妹だ。


佳純とは賢太の家に遊びに行った時などよく顔を合わせるので互いに気安い存在である。そのせいか彼女は一個下の学年でありながら玄狼のことをクロ君と呼んでいる。

学校でも複式学級で教室が同じだから昼休みや放課後などにはこうして話しかけてくることが時々あった。



「おい、そんなもん吸い込んだきん言うて元に戻って来るもんなんか? そなん話はあんまし聞かんがな。 

それにもうかまんのや。幸せやかしなんぼでも逃げたらええが。どうせ箱の底に最後に残っとんは希望やなしに絶望じゃろし。」


「クロ君、やけくそになったらいかんで。ちょっと志津果ちゃんにオチンチン見られたぐらいかまんやない? なんちゃ減るもんやなし。」



あのヘタレのアホ兄貴にしてこの親父ギャルの妹かい! と玄狼は奥歯を噛み締めながら思った。



「あのなぁ、志津果に見られただけやったらまだええんや。イヤ、ええことは無いきんどまぁ仕方しゃあないわ。


問題はその事をクラスの皆に知られてしもた事じゃ。こうした噂は明日には学校全体、いやこの地域全体に広まるやろな。

そうなったら俺は城山小学校で今、最も ”露出狂” に近い男じゃが!


それもこれも佳純ちゃん、全部、お前のアホ兄貴の所為じゃ!」



ところが玄狼の血を吐くような怒りの叫びに対して佳純はしれっと答えた。



「そななん考え過ぎやて、クロ君。たとえそうやったとしてもそなん気にせんでええやん。島中に知れ渡ったきん言うてもたかが六百人足らずやし。


それに大半は爺さん婆さんばっかりやから先ず島の外に出る事は無い人達やがな。

ほんだきん本土にまで広がる事はない筈やけん。


まぁ、ひょっとすると何年か先にはあの世では有名人になっとるかもしれんけどな・・・」


「し、島中に知れ渡るやと! あの世で有名人じゃぁ! お前な、他人事やからそなな事が言えるんじゃ。お前がもし俺と同じ立場になってみぃ。 


誰かにを見られて、それをみんなにバラされて、それでも平気でおれるんか、お前は! 

嫁に行くときやったって、かいになるんぞ。(妨げになるぞ。)」


「えっ、別にかまんよ、うちは。クロ君にやったら見られても。

ほんで皆に知られたって何ちゃ気にせんよ。

クロ君にもろてもろたらええだけの話やし。なんやったら帰りにどこぞで見せてあげよか?」



「えっ、ホンマに! そ、そら、是非・・・いや、ちゃう、ちゃう、ちゃう、そうと違うんや! 

と、とにかくお前のアホ兄貴に言うとけ! 今後、俺はお前には何にも相談せんし、お前も俺に何にも訊くなってな!」



玄狼は佳純に向かってそれだけ言うとくるりと背を向けて足早に教室を出た。そのまま家路について五分ほど過ぎた頃に彼はランドセルを忘れた事に気付いた。


慌てて今来た道を通って学校へと戻った。幾らなんでもランドセルを忘れて帰ったなど今まで無かった事だ。

多分、さっきの佳純の言葉に動揺していたのだろう。全く兄妹そろってはた迷惑な奴らだと彼は思った。


正門からはいって中庭を横切り短い渡り廊下を抜ければそこが彼の教室だった。教室に近づくと中にはまだ何人かの人の気配が感じられた。


今日の掃除当番の生徒達が残っているのだろうと思った彼は躊躇わずに教室の中に入った。さっさとランドセルを回収して再び、家路に着くつもりだった。


ところが教室に足を踏み入れて数歩進んだ所で、中に漂う異様な雰囲気に立ち竦む事になった。

教室の後方の片隅に向かい合って立つ二人の女子がいた。それぞれ方向性こそ違うが拮抗する厖大な美のベクトルを持った少女達である。


そこには田尾 志津果たお しずか浦島 郷子うらしま さとこが互いを見据えるようにして向かい合っていた。


志津果は両の足を肩幅より少し広い程に開いて左右の腰に両手を当てて立っていた。対して郷子は両肘を左右の掌で掴んで揃えた左右の足を僅かに前後にずらした状態で立っている。


そして少し離れた処からは二人を取り巻くようにして見詰める生徒達がいた。その中に門城 佳純かどしろ かすみの姿がちらりと見えた。


志津果が声を上げた。



うちが何時、玄狼に迷惑かけたん? うちは玄狼に好きな時に好きなようにするわ。今までやってそよんしてきたし・・・

もっと気ぃ使えやの何であんたに言われないかんの?」


「気を使えとは言ってないわ。 気を使うと言うより当たり前の事だもの。

他人の家の敷地に無断で入って裸の玄狼さんを待ち伏せてその・・・を覗こうとするのは彼に迷惑だから止めるべきだって言ってるだけ。」


「覗いてやないわ! あいつくろうが勝手に見せただけやん! 寧ろを見せられたうちの方が被害者ちゃうん? 充分、セクハラ行為やん。


大体、バスタオル一枚で外を歩っきょるのが奇怪おかしいしそれを外して人の頭に被せてくるやの思わへんし!」


「・・・その時の状況がちょっと良く分かんないんだけど・・外と言っても日中の人のいる場所と夕方の自宅の庭じゃ話は違うよね?


それに貴女がそこにいるのが分っていれば、て言うかそれが志津果さんだと分かっていればいきなりバスタオルを被せたりはしないんじゃないかな? 


普通、先に声を掛けるでしょ。そうしなかったって事は貴女も普通の姿じゃ無かったって事じゃないのかしら?」


「・・・! 普通の姿やないってどう言う意味なん? うちが何をしとったちゅうんよ?」


「ウーン、例えばほら、コスプレとか? お寺の娘らしくでも着てたんじゃないかなぁ、なんてね! アハッ。 


ア、ひょっとして裸エプロンならぬ裸袈裟だったりする? ウフフッ。」



郷子の言葉は明らかに挑発そのものだった。現に志津果の顔色が青白く変わって視線が物理的な圧力すら感じる程、険しくなっている。

彼女の近くに立つ亜香梨が強張った表情でオロオロとしているのが見て取れた。


普段なら落ち着いた雰囲気で少々の揉め事など軽く治めてしまう彼女がそうなってしまう程、志津果の怒りが凄まじいものであるという事の証だった。


これは不味いな! と玄狼は思った。

カッとなった志津果は思いっ切り手が早い。おまけに身体能力が高くて武道の心得もある。更に初歩とは言え真言密教系の念技すら身に付けているハイパー小学生だ。


彼女が ”姫” と呼ばれて周りから一目置かれているのはそのためだ。もしその志津果が本気で暴れ出したらそれを止められるのは・・・恐らく自分しかいない。


しかしその判断は些か遅きに失した。

玄狼が睨み合う二人の間に割り込むべく足を踏み出したのと志津果が飛燕の如き速さで郷子目掛けて襲い掛かったのはほほ同時だった。




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