第73話 ナイルの夜景

  本当は何か特別なタイミングで楓を連れて行こうと思っていた場所だったが、素敵なレストラン、という指定を出されたから予約することにした。夕方に楓達が戻ってきて、その行き先を聞きたがったが、私はただ、

「適度なドレスアップをお勧めするよ。」

とだけ言った。観光客も多く来る場所だから、別にドレスアップが必要な訳でもないし、ドレスコードがある訳でもなかったが、あの場所、雰囲気に行くのに普段着で行けば、後から文句を言われる気がしたのだった。私は通訳の時などに着るスーツに既に着替えていて、彼女達の準備が終わるのを待っていた。


  空が薄暗くなった頃、タクシーを拾って向かった先は、ゴールデン・ファラオとして名の通った、ナイル川のディナークルーズ船だった。古代エジプトの絢爛豪華な様子を感じさせる様な、華やかで豪華に作られた船が、専用の船着場に停泊していた。この船の中で、伝統的なエジプト料理を楽しみながら、ベリーダンスやスーフィーダンスといったアラブならではのショーが見られるのだ。もちろん、ナイル川を移動するので、川沿いのカイロの夜景をデッキに出て、夜風に当たりながら眺めることもできる。以前、大学の先輩に連れて来られたことがあって、また来たいと思っていたのだ。

  クルーズ船が停泊している桟橋までの階段を降りながら、2人が歓声をあげた。暗闇に桟橋とクルーズ船だけが明るく光っているように見え、幻想的とも言える光景だった。エジプトの普段の街並みや人々の生活を知っている人間にとっては、その光景が尚更輝き、別世界に迷い込んだかのように見えるのだった。はしゃぎながら歩く2人について階段を降り、桟橋に立った。古代ファラオの服装をした男性スタッフが、船に迎え入れてくれた。暖かい光に包まれたような船内に足を踏み入れた。煌びやかな雰囲気の中で、案内された席に座った。船内はアラブ音楽が静かに流れていて、心地の良い空間だった。

  暫くすると、船の扉が閉められ、すぐにコース料理が運ばれてきた。船がゆっくりと動き出したのを体感で感じながら、食事を楽しんだ。デザートと食後のドリンクが出てくるタイミングで、船内真ん中にセットされた豚肉で、ベリーダンスとスーフィーダンスのショーが始まった。華は初めて目にするらしく、目を輝かせて見入り写真を撮っていた。ショーのラストには乗船した客を巻き混んでのベリーダンスパーティーと化すのが定番で、案の定、ダンサー達が上客のテーブル周りを練り歩き、何人かの客をステージ上へ連れ出し始めた。

「行って来れば?」

ダンサーに手を引かれた楓にそう言ったら、楓は頷いて立ち上がり、

「華も行こうよ!」

と巻き添えを連れてステージへ登って行った。私は華からカメラを預かり、そんな2人の写真を撮った。楽しそうに笑い、他の乗客やダンサーと滅茶苦茶ながらも踊る様子に、私は連れてきて良かったな、と思った。


  ショーが終わり、船がナイル川で帆先を回転し、船着場へと進行しはじめた頃、私達は2階のデッキへと上がった。乗客もまばらで、夜の涼しい風が吹いていて、心地良かった。華が船からのカイロの夜景を撮影することに夢中になっている中、私はデッキにもたれて流れていくカイロの風景を眺めた。丘にいる時は忙しなく、そしてゴミだらけのカイロの風景が、船から見ると優雅で美しく、不思議だった。

  ふと気づくと横に楓が居て、一緒に夜景を眺めていた。真っ黒なシルク地のワンピースにゴールドのアクセサリーを纏った楓が船の装飾や雰囲気とマッチしていて、まるでクレオパトラみたいだ、と思った。

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