第71話 愛情確認
私はリモコンに手を伸ばして部屋の灯りを消し、楓の求めに応じた。バスローブが開けて見えた日焼けしたばかりの肌は、まだ熱を持っていて痛々しかったが、その肌に私が触れた時の痛みですらも、むしろ楓は欲しがっているようだった。肌に唇を這わせるだけで切なげに眉をひそめ、隆起する身体が艶かしく、知っているはずの身体に触れているのに、緊張している自分に気づいた。胸がずっと締め付けられているような、不思議な感覚に飲み込まれたまま彼女を求めた。寝室ではなくリビングだったから、楓の声が広い部屋に反響し、いつも以上に響いて私を狂わせた。
「生き急がないで、生きていて。」
薄暗い中、彼女が譫言の様にそう言って、私の肩に噛み付いた。左肩に噛みちぎられそうな痛みが続き、一瞬だけピリッとした痛みが走ったが、私はそれも受け入れようと思った。この噛みつく行為が彼女の中の欠けているものを埋めているような気がした。
落ちつきを取り戻した彼女を寝室に送り、私はバルコニーに出た。生き急がないで、と彼女が呟いた言葉に、自分の中にあった焦りを改めて思い知らされたような気がしていた。煙草の煙が夜空に吸い込まれていくのを見ながら、私は深い息を吐いた。生き急いでいるつもりは無かった。ただ、何かを成し遂げたいという気持ちなのか、ただ前進したいという勢いなのか、確かに過密にハードなスケジュールを自ら作り上げたり、猛暑での環境、危険な場所を好んで進む傾向にはあった。平凡で平和な毎日よりも刺激的な毎日を送りたい願望は常にどこかにあった。だから、戦場カメラマンという仕事があることを新聞社の駐在員から聞いた時は、それを目指すのも良いかと真剣に考えたこともあった。そんな私の生き方を生き急いでいると楓が感じていたことが、私には衝撃的だった。そして、それを楓が望まない事も知った。
ふと左肩が痛んだ。私は寝室に入る前にバスルームに入り、楓が噛み付いた場所を鏡に写した。くっきりとした歯形と内出血が見てとれ、本気で噛み付いたな、と苦笑した。痣になるな、と思ったが嫌では無かった。どうしてまた急に噛み付いたんだろうと不思議だった。今まで噛みつき癖があるようには思わなかったけれど、と新たな一面を見たような気がした。
寝室に遅れて入った私は、枕元のスタンドライトだけがついた部屋で、楓がまだベッドの上に座っているのを見て驚いた。
「寝てれば良いのに。」
「レイ...あの、噛み付いてごめんなさい。痛かったよね?」
「楓、意外と猟奇的だね?」
私は苦笑しながらそう答えた。
「自分でも何で噛んだのかわからないの。ごめんなさい...。」
「大丈夫。ビックリはしたけどね。」
「何だか噛んだ時ね、こんなに私が強く噛んでるのにレイがそのまま噛ませてくれて、許してくれたのが、なんか安心したの。」
「ふぅん...まあ、楓がそれで安心するなら、噛めばいいよ。」
噛み癖のある人の話は聞いたことがあったが、私にはわからない感覚だった。
(つまりは愛情確認行為ってことか。)
そう納得した。私が嫌だと言わなかったから愛されていると思えて安心したのだろう、と理解した。生き急ぐように楓の目に映った私は、きっと、楓のことよりもその生き方を重要視しているように見えたのかもしれなかった。私が死んだかもしれない、という恐怖を味わったことが起因して、楓がそれを必要とするのなら受け入れるしかないよな、と思った。楓が心配そうに私の左肩に触れようとしたから、大丈夫だよ、と彼女の手首を持って止め、誤魔化すようにキスをして彼女から離れた。左肩に触れられれば、鈍い痛みが走る。それを楓が私の反応で察したら辛い思いをする、そう思った。
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