第57話 妖艶な猫

  その夜、楓は異様なくらい元気で、私を辟易させた。夕方近くまでグッスリと眠っていたからなのか、久しぶりの4人旅でテンションが上がっているのか、現実離れした岩山の風景に当てられたからなのか、とにかくひたすらに元気で、ずっと話し続けていた。彼女が風邪を引いた日以来、これほど彼女の声を聞いたことはなかったから、それだけ元気になったなら、もう体力を心配する必要はないかな、と思った。楓は喋り尽くしたように一度黙ると、ゴクゴクと冷蔵庫のミネラルウォーターを飲んで息をついて、また話し出した。それを見て、出会った日の教室で、勢いよく話して私を圧倒した彼女を思い出し、枕に顔を埋めて笑いを堪えた。暫くは彼女の話に相槌を打ちながら聞いていたのだが、流石に疲れ始めた。

「楓、ストップ。話の続きは今度聞くからさ。もう、日付とっくに変わってるし、もう寝よう?」

楓は、ハッとしたように時計を見て、寝れないけどな、と不満そうに言いながらベッドに入ってきた。やっと静かになったな、と私は枕元のライトを消した。


  カーテン越しに外のオレンジ色の光が薄っすらと映り、綺麗だった。

「寝ちゃうの?」

目を閉じた私に、不満そうに楓が言った。

「寝る。明日は早朝から移動だよ。」

つまんない、と右から文句が聞こえてきた。表情は見えなかったが、口を尖らせているんだろうな、と容易に想像できて吹き出してしまった。

「何を笑ってるのよ。」

彼女が身体を起こした気配があった、次の瞬間、私は彼女の下に組み敷かれていた。

「ちょっと...楓、今日はしないよ。」

「レイは何もしなくていいよ。今日は私が抱かせていただきます。」

「隣のコテージに奈津達いるからダメ。」

悪戯っぽく笑う楓を押し留めようとするが、楓が体重をかけてきて逃れられずにいた。

「マジで、ダメだって...。」

そう言いながら楓を見上げた。外からの光のせいか、私を見下ろす、妖艶過ぎる楓の目が淡いオレンジ色に光っているように見え、ゾクリとし、黙ってしまった。そして彼女の唇と細い指先が私を翻弄し始めた頃、彼女の動きがしなやかで滑らかで、まるで私の上で戯れつく猫のように思えた。


 (やってしまった...)

気怠い感覚の中で理性を取り戻し、そう思った。隣のコテージにいる2人が早めに眠りについてくれていることを真剣に願った。いくら分離した建物とは言え、静まり返った環境にある客も多くないホテルの隣室だ。明日何を言われるやら、と奈津のニヤケる顔がチラついて、気が気ではなかった。私の右隣では楓が静かに、平和に、寝息を立て始めていた。さっきまでの妖艶な雰囲気は消え失せ、まるで子供のような無防備で幼い寝顔だった。

(この小悪魔...。)

使い古された表現だとは思ったが、本当に小悪魔だと思った。自由奔放で我儘、喜怒哀楽に正直で、自分の強味と弱味を理解して無意識に使い分けている。悪く言えば、『あざとい』のだろう。だが、それをわかっていながら、彼女に振り回される事を良しとしているのは私だった。

(惚れた弱味ってコレか。)

何となくそう思い、ため息をついた。外で小鳥の声が聞こえて、明け方か近いことに気づいた。結局殆ど眠れないな、と思いながら目を閉じた。


  朝、アラームと共に意外とスッキリ目覚めた。横でまだクズっている楓の両頬を横に引っ張って起こすと、彼女は起き上がりながら文句を言った。

「昨日早く寝ないから眠たいんだよ。」

そう言うと、途中からノリ気で襲ってきたくせに、と小さな呟きが聞こえたが、敢えて聞かなかった事にした。

  まだ準備の終わらないうちに、ドアの外から桜子が呼ぶ声がした。準備完了で楓を待っていた私は、ドアを開けて顔を出した。

「先に朝ごはん食べに行っちゃうよ。」

桜子がそう言うので、わかった、と返事をした。桜子の後ろに奈津が立っていたが、どんな表情をしているのかが怖くて、まともに顔を見られなかった。

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