第39話 古代の幻

  もう一つの中部エジプトでの目的地、ベニ・ハッサンへ訪れた日、私達一行の後ろにナイルテレビのクルー車が付いてきていた。

  ベニ・ハッサンも、岩窟墳墓群だ。紀元前2世紀頃の地方豪族たちの墓だと言われている。私の本来の論文にはあまり関わりはないが、中部エジプトへフィールドワークに出ると教授に伝えた時、それならと別の課題を出されていた。古代エジプトの生活と現代の生活の対比を調査し、別の論文として纏めること。簡単に言ってくれる...と内心穏やかでは無かったが、ベニ・ハッサンの墓内部を見て、その教授の言っていた意味を理解した。

  畑仕事や漁の様子が細かく、手順書のように描かれているだけでなく、パンの作り方、ワインの作り方などまでが記されていた。動物との触れ合い、ダンス、さらには相撲、柔道、レスリングといった格闘技の技が事細かに記されてあり、まさに圧巻だった。私は衝撃を受けていた。ここまで凄いとは、思っても見なかったからだ。私は楓にそのひとつひとつの意味を説明したが、果たしてそれが彼女にどのように理解されたのか、またその貴重さが伝わったのかまでは、わからなかった。


  テレビのクルーは、私が一休みにと墓から出たタイミングで声をかけてきた。カメラが回る中、大学の専攻に始まり、何故中部エジプトに来たのか、この中部エジプトにある遺跡の重要さをどう捉えているか、考古学の魅力とは何か...そんなことを聞かれ、高台からベニ・ハッサンの田園風景を見下す風景を背にインタビューに答えた。テレビのインタビューやラジオの生放送に出たことは、今までにもあった。私の立場が珍しいのか、声がかかることか度々あったからだ。

  楓が少し離れた場所で、ムハンマドとその様子を見学していたから、私は必要以上に緊張してしまった。楓が笑顔でこちらを見て、取材を受けている様子の写真を撮るから、気になって仕方が無かった。楓は私がこれまでに出演したものを知らないし、私の仕事風景を見たこともなかったし、そもそも楓と一緒になった授業にプレゼンはなかった。だから、私がオフィシャルに話しているところを見せたのは、これが初めてだったのだ。

  

  「ねぇ、楓。明日から...どうする?ムハンマドとミニヤの町見てまわる?」

夕方、ホテルへ戻る道中に私は楓に尋ねた。

「え...でも、レイは遺跡に行くんだよね?」

「うん。でも、同じ所にいるだけだから、楓には面白くないかなって思ってさ。」

「どうしよう...。」

「私は研究で来てるし、私に気は使わなくていいよ。楓のやりたいことをやればいい。守るって言っといて別行動になるのはアレだけどさ。ムハンマドが一緒なら大丈夫だろうしね。」

「...じゃあ、町を回ってみようかな?レイが居ないのは不安だけど...何か面白いものあるかもしれないし。」


 楓はそれから数日をかけて町を歩き、楽しんでいるらしかった。一方私は、中部エジプトで過ごす残りの数日を、全ての壁画を事細かに記録することに費やした。墓の中は灯りが少ない。用意されている電気だけで全てを見るのはなかなか苦労が多かった。脚立を組み立て、高い位置にある壁画を見るために一番上まで登っていた。上から墓の内部を見渡すと、下からの時と感覚が違って、なんとなくゾクリとした。


  治安情勢的なことを考えると、この地に再度足を踏み入れることが出来るかどうかは怪しい、と思った。だから、カイロに戻る日、もう一度だけテル・エル・アマルナの地に立ちたい、とムハンマドに無理を言った。

  そして、立ち寄ることが叶ったその日の朝、少しだけだがらと全員を車に残し、1人で宮殿の跡地に立った。静かで、風の音しか聞こえなかった。

  この場所にかつて立っていたであろうファラオ、アクエンアテンとその妻、ネフェルティティ。そして幼かったツタンカーメンとアンケセナーメン。少しの間、彼らを想像して目を閉じた。鮮やかな色合いの宮殿と、彼らの人間として、家族としての笑い声、宮殿を行き交う使用人の姿、宮殿に差し込むアテンの手のような太陽の光。そんな光景の幻を見た気がした。暫くして、目を開けた私は、宮殿跡地を離れた。

  車に戻ると、ムハンマドが、納得したかと尋ねてきた。私は頷き、帰ろうと伝えた。ミニヤの町を抜けたあたりで警察の護衛が外れ、私達はカイロへの帰路についた。

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