第七節16項「リュツィフェール」
「
「禁識龍の目覚めにより、我々の手札は遂に揃う」
「積年の希望の欠片が、遂に集う」
「この世界を人の手に取り戻す為の明星が昇った」
「模造された神を信奉する愚かな国、ファスリア」
「
「いざ、神話に終止符を打たん」
『我らが、デ・トラニアの手で』
―――――――――――――――――
「――仕方ない。やるしかないんだ……」
「でも!他に手があるはず――」
「彼等に知られたら面倒な事になる。また手を考えないと」
「考えがある―――」
「――……」
――――――――――――――――
「ばあちゃんをなぐるな!」
「おかあさんと呼んでくれないのかい?」
「このまま突き落とせば、じいさん、あんたは死ぬ」
「すまなかった……私が悪かった……」
「怖いだろ?あんたには死ぬまで恐れてもらう」
――――――――――――――――――
「それでも!タカーシは!私が守る!」
「行け!レッツ・アンドロメダ!」
「ところで、私の命は尽きる、さらばだ、弟よ――」
―――――――――――――――……
「…………??」
目覚めたティムズは、その後暫く、かなりの時間、幾つも見た夢の内容を思い出そうと頭を捻っていた。とても重要な夢を見たような気もするが、起きる直前に見た夢のせいで内容がとっちらかっていた。なんだか様々なお菓子に跨った、色々な亜人が黒い空を飛び交う夢が特にひどい。
深く考えてはいけないものだと察したティムズは起き上がる。居室にはティムズ一人だけだった。タファールのベッドは
着替えを済ませると、すっかり日の出が遅くなり、まだ薄暗い本部施設の外へと向かう。夜明け近い空の、一際強く輝く明けの明星がティムズの目を引いた。
レベルA領域への調査開始が告げられてから三日が経っていたが、第四龍礁本部には特に目に見えた変化もなく、普段のままの業務が進んでいた。しかし、それも嵐の前の静けさである。
軽く体を動かしておこうと、裏中庭に出るティムズ。
配属当初は跳ね駆けるだけで精一杯だったこの場所も、様々な闘いと経験を経た今は、狭く感じる。
仄かに明るみを帯びる冬の寒空の下、並木の間を駆け抜け、木造の訓練台を跳躍するティムズは、建物の脇で旅装に身を包んだメイメルタがこちらを眺めている事に気付いた。
「メイメルタさん?その恰好は……」
ぱしっ、と制動を掛けて立ち止まったティムズが、軽く跳ね寄る。
「もしかして帰るんですか?待っててください、今ミリィを起こして――」
「いえ、いいのです。知るべき事は全て知る事が出来ました」
「皆様にはお世話になり、礼も述べずに出立するのは失礼かとも思いましたが、すぐに帰国せねばならない事情がございまして」
「何かあったんでしょうか」
「こちらのことです。お気になさらず。貴方が跳ぶ音が聞こえたので、せめて貴方だけにでもご挨拶をと思い」
「そうですか……道中お気をつけて」
「ありがとう。皆様方にも主神アトリアの加護と、長久の武運があらん事を」
「では、馬車を待たせているので、これで失礼致します」
寒風に乱れたマントを整え、丁寧に一礼して振り返ったメイメルタは、去り際に小さく呟いた。
「……ミリィ様の事を、宜しくお願いしますね」
「……判りました」
ティムズは、誤魔化さずにはっきりと応えた。
―――――――――――――――――――――
「――そっか。お見送りしたかったな」
朝食の席で、メイメルタの帰還を知ったミリィが寂しそうに呟く。
「大勢居ると賑やかで楽しかったのになー。シィバも帰っちゃったし……」
本部への帰投後、二日ほど療術棟で静養していたシィバも、病状が安定した所で、迎えに来た仲間と共に、専門の療養施設のある南部港湾基地へと帰還していた。
「それに、彼女が居ると色々と仕事も捗ったんだけどな。まあ仕方ないさ。ちゃんとした知識がある人に看て貰った方が安心だよ」
給仕を受けて着席したティムズが応えた。
そして、メイメルタの突然の帰国は、昨今の政情不安の影響がミリィらの故郷に及んでいる事を気に掛ける。
「ロンカサートは大丈夫なのか?デトラニアの隣国なんだろ?」
「そうだけど、三百年も対等に渡り合ってきたのよ。主導する五貴族が率いる守備兵団はそう簡単に破られない。それに隣とは言っても、デトラニア首都からは属州をいくつも挟んでるし……、あ、そのサラダほしい」
「ほら。……結局、何をしてるのか良く判らないままだな、あの国」
ティムズはミリィに皿を取り分けながら、各国が警戒する『大陸の反対側の、良く知らない国』の事を考えるが、遠国の情勢には明るくない。関わりがあって事情を分かりそうな男は隣で、もそもそと麦パンをかじっている。タファールだ。
「デホラニアねえ。ほんほよく判らない国はよ」
「そう言えばデトラニアの学府に通ってた事があるんだっけ」
「うむ」
パンを飲み込んだタファールが続ける。
「とは言っても、ティムズくらいの歳に二年間過ごしただけだからな。それから一度も行ってないし、実状はよく判らないままだった。共和制を標榜してるけど、実際はある一族が裏で全てを仕切ってるってのは本当みたいで、その当主は人間じゃないって噂すらあるんだぜ」
珈琲を啜っていたレッタが、呆れた調子で割り込んだ。
「なーに?まさか魔王が支配してるとか言わないわよね」
「んな訳ねーだろ。ちゃんとした政府があって、議員が政治をする普通の『共和国』だよ」
「帝政から共和制に移行したのは、アトリア教の
「お?良く知ってるな。先生は楊空艇の事以外に興味はなかったんじゃ?」
「私も神なんて信じてないからね。国を治めるのに神様だなんて不完全な概念は、いつか不必要になるだろうって思っただけ」
「そこは同意だよ。神なんて居ない方がいい。人の腹を膨れさせてはくれないしな」
アラウスベリアに広く普及するアトリア教は、宗派の差はあれど、概ね各国の国教として認定されており、各国の政治にも深く関わっている。だが、一般的に心から主神の存在を信じている者は少なく、多くの教義は形骸化し、現在では大抵、儀礼的なものとして名残を留めているだけだ。
だがデトラニアにおいては宗教そのものが禁じられ、その影響を排除した政治形態が構築されている。
徹底して合理化された国家生産力と、それに基づく軍事力は、着実に力を蓄え、
周辺国との緊張状態を生んでいる原因――というのが、タファールによる解説だった。
一方で、ティムズの生地ファスリアは、現在においてもアトリア教の影響が色濃く残る国。元首である法皇はアトリア教の司祭でもある。ティムズ自身の信仰心は強くはないというか興味そのものが無いが、人によっては原理主義に近い崇拝を守っており、ファスリアに阿る大陸南部の国々にも強い影響を与えていた。
「――神とか魂あの世とか、俺も信じては居ないや」
ティムズもぽつりと呟く。これまで散々得体の知れない龍達と出逢ってきて今更だが、その存在は、きちんと研究すれば理解できる範疇のものでもあった。そしてその考えを植え付けた張本人は。今まさに珈琲を飲み終えて立ち上がったレッタである。
「さてと、私はマリウレーダの整備に戻る。神さまが本当に居るのなら仕事を手伝って欲しいわ」
「昨夜も徹夜してたってのによくやるよ。俺は寝る」
タファールが欠伸交じりで応えた。
「俺達もそろそろ行こうか、パシズに呼び出しを喰らってるのを忘れてた」
「あ、そうだった。でも、あとちょっとだけおかわり……」
レッタとタファールを見送り、自分も立ち上がったティムズは、相変わらず『ごはん』を常人の倍も堪能するミリィが上目遣いでお願いしてきたので、少し笑いながら、仕方なく給仕所に向かった。タファールの言う通りでもある。信仰心では腹は満たせない。
――――――――――――――――――――
雑務を終え、談話室に着いた二人を待っていたパシズにも、連日の仕事の疲れが色濃く出ていた。特に目の隈が酷く、ミリィが顔を見るなり開口一番、
「パシズ、パンダみたい」と真顔で言い、
「マッチョなパンダ……」ティムズも思わず続く。
パシズは二人の軽口には取り合わず、呼び出した理由を告げる。
「シィバは無事、南部港湾基地に到着したとの連絡があった。あちらの療術士が治療を引き継ぎ、暫くは安静にしていると」
「よかった」
ほっとするミリィの顔を見て、パシズが少し間を置き、本題を切り出す。
「……そして、その南部港湾基地に関わる話がもう一つ。以前から申請をしていた、南部及び北部基地などの、第四龍礁、各要衝の見学の許可が下りたぞ」
「へ?」
「え……今ですか?」
ティムズとミリィが同時に口を開き、予想外のパシズの言葉に困惑する。
パシズはその反応を予測していたかのように、その理由を続けて語り出した。
「無論、それだけが目的ではない。レベルA領域への侵入が解禁され、南北両基地もマリウレーダの拠点として使えるようになる。その手続きと準備の為に、デユーズ副局長が直接赴く事になった。その護衛として同行するのが主な目的だ」
「本来は
冗談ぽく言うパシズだが、その表情は厳めしいまま。
「それに、管理官も語っていたが、レベルA領域への侵入は数年振りゆえ、相応の準備と手続きを
「それって、また数か月とか待ちませんよね……」
ティムズは思わず口走った。初めて楊空艇マリウレーダでの任務を行うまでかなりの期間を待った事を思い出していた。
「いいや、今回は悠長に構えて居られん。前回の復旧で培ったノウハウもあり、速やかに終わる見込みではあるが……いずれにしろ、待たなければならないのなら、その時間を有益に使おうという算段だな」
「でも、こんな時に」
ミリィも当惑していた。確かに今まで行きたかった場所に行ける機会ではあっても、皆が対応に追われる中、呑気に『見学』などをしている状況ではないはず。
「こんな時だからだ。
「これから我々は、これまでよりも広く龍礁全域を
――――――――――――――――――――――――――――――
こうして、第四龍礁の領域それぞれで独立していた指揮系統を統合する為の手続きの一環として、龍礁本部の各部署から十数名の人間を集めての『特使隊』が組まれる事となった。
その目的は多岐に渡る。例えば、南部、北部基地が保有している最高位の対龍装備を回収し、集中運用と戦力の一元化を行うことなどだ。
重要な任務の護衛であったが、納得しきれずにいたティムズを更に躊躇させたのは、アルハもこの”特使隊”に参加するという事だ。一時的にパシズが楊空艇アダーカに代理として搭乗し、不測の事態に備えるらしい。絶対に気まずくなる気もしていたが、それはもしかしたらティムズの一人相撲なのかもしれない。最近のアルハの態度を見るに、実は気にしてるのは自分だけなのではなかろうか?という気もする。
余計な心配で悶々とするティムズの一方で、ミリィはあっさりと気持ちを切り替えて楽しむつもり満々の様子だった。
「公認で遊んで来ても良いなんて滅多にない事じゃないっ。シィバのお見舞いも出来るし、パシズの言う通り、これから南北基地も共有するなら色々と知っておかないとだもんね。それに南部港湾は美味しいお魚が一杯獲れるって話だし、塩漬けじゃない生のお刺身が食べられるって……――」
ハイネ=ゲリングの昇格に伴い、副局長へと昇進したキブ=デユーズ他、様々な任を受けた人員と物資の輸送のため編成された馬車隊が、およそ四から五日を掛けて、先ずは北部山岳基地、続いて南部港湾基地を訪れるという日程が組まれた。
南北を結ぶ街道の周辺は既に制圧下にあり、現時点ではロロ・アロロなどの襲撃は考えにくいが、万が一の事もある。ティムズ達は普段通りの対龍装備を揃え、馬車隊の護衛として同行する事になったのだった。
そして、出発当日の朝。
―――――――――――――――――
第四龍礁管理局本部前に十数台の堅牢な馬車が集まり、特使隊の参加者たちが出立直前の最後の確認を行っている。その喧噪の中でティムズは今回も旅の道連れとなる、何度も乗ってきた芦毛の乗馬、ミュルグレスの背を軽く叩いて落ち着かせながら、姿の見えないもう一人の護衛担当の姿を探し、見回していた。
「じきに出発だぞ。ミリィは一体何をしているんだ」
青鹿毛の馬に乗ったアルハが、少し棘のある言い方で声を掛けてきた。
「……多分、保護したF/IIIの様子を見に行ったんじゃないかな。呼んで来る」
ティムズの予想は当たっていた。つい最近、
一時は危険な状態を乗り越えたものの、その後の快復の具合は思わしくなく、この数日の間は伏せったままになっていた。折を見て見舞いに来ていたミリィは、出発直前にどうしても会っておきたかったらしい。
石造りの立派な
「やっぱりここだった。もうすぐ出発だよ、急がないと」
「……うん、判ってる」
「大丈夫だって。何せF/III級なんだ。俺達が出会ってきた龍は皆、これくらいじゃびくともしない強い龍ばかりだったろ」
「だけど、この子はまだ若いみたいだしさ」
ティムズが励まそうとするが、ミリィの心配を拭いきれる言葉ではなかった。治療に当たっていた飼育員たちの話では、外傷は全て癒え、体力は戻っているはずらしい。しかしF/III級の龍をこうやって保護した例は殆どなく、弱っている理由を突き止めらずにいた。ロロ・アロロの毒が作用しているのではないかという意見もあったが、それも不確かなままである。
「浮かれてる場合じゃなかった。連れ帰っただけで安心してちゃ駄目だよね……」
「……俺達で出来る仕事はそれだけだし、仕方ないよ」
『護衛旅行』にすっかり気を取られていた事を恥じ、自嘲気味に笑うミリィと、ティムズも同じような気持ちだった。
何かも全てを同時に解決する事は出来ない。しかし、それを思わずには居られない焦燥感。自分の知識や手が及ばない場所で起きる事を簡単に割り切る事のできない、若者のエゴでもある。
『……クォ……』
ティムズ達の会話に反応したのだろうか。眠っていた青飛龍の目が静かに開き、顔を上げて二人の方を向いた。
濃い青色の鱗とはまた違う、鮮やかな空色の瞳に浮かんでいるものを、ミリィだけではなく、ティムズも感じ取っていた。
「……あなたにお礼を言ってるみたいだよ」
「ああ、俺にも判った」
ほんの
ミリィが、その横顔をちらりと見、ティムズへと向き直る。
「……そうだ、また名前をつけてよ。未分類のF/III種そのものの命名!登録申請はこれからだし、今の内にさ」
「え?でも……マリウレーダ隊の皆で決めなきゃいけないんだろ」
「うん、だけど、先に私達が勝手に呼んじゃっておけば、なし崩し的に皆も納得してくれそうじゃない?先入観を植え付けちゃえ」
悪戯っぽく笑うミリィに、ティムズも苦笑する。そう言われればそういうものかもしれないし、ミリィはこういう部分で
「それなら、きみの方が
「助けたのは、あなたでしょ」
「それならパシズやエフェルトだって」
「良いの良いのっ。パシズは何度か名付けた事あるもん」
「……きみは、まだ無い?」
「うん」
ティムズは束の間考え、気軽な調子で笑ってみせた。
「やっぱり、きみに譲る。龍たちに最も寄り添ってきたひとは、誰よりも、きみだと思うから」
「……それなら、一緒に――」
ミリィは躊躇いと共に、折衷案を申し出ようとしたが、ティムズの笑顔が、それを受け付けまいとする強い意思の
「……ノシュテール。ロンカサートの古い言葉で、
「良いんじゃないかな。希望の象徴って感じだ」
ティムズは頷き、ミリィが名付けた龍を見つめ、反芻する。
「ノシュテール」
自信なさげにしていたミリィも、青飛龍――ノシュテールが肯定するようにゆっくりと瞬きをし、満足したように眠りについた事で、安心したようだった。
「ノシュテール。私たちが戻ってくるまでに元気になっててね。それまでに治って放龍されておいてくれたらそれが一番だけどっ」
「……あー、それはそれで良いとして、まずいよミリィ。そろそろ行かないと――」
話が一段落した所で、そもそも何故ここにやってきたのかを思い出したティムズが焦り、ミリィもはっとする。
そして、慌てて保護施設から出た所で、腕を組み、お冠で待ち構えていたアルハと出くわした。
「――やはり、
その仁王立ち具合と口調は、ちっちゃいパシズそのものだった。
「悪いっ……!」
「ごめん!」
急いで本部施設前の集合地点に駆けていくティムズとミリィを見送ったアルハの表情は普段と変わりなく。
しかし、アルハは二人の会話の様子を、ずっと物陰で聞いていた。
二人の関係性に微妙な変化の兆しを感じた事よりも、それを嫉妬し、盗み聞かずには居られなかった自己嫌悪が、アルハの足を、暫くその場に留めていた。
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