第二節8項「不図の暁」

 ティムズの龍礁での暮らしは、初日から過酷極まりない経験の連続だった。


 到着翌日の日中、は特にすることもなく、早朝から龍礁本部施設の資料室で、龍に関する書物、巻物などを読み漁っていた。タファールに『情報ならあそこに何でも揃っている』と紹介されたからで、実際、その情報量はファスリアで得られたものとは比較にならないほどに多く、詳しく、膨大な量の資料に記された龍の生態や、闘いとその歴史などに没頭していたら、あっという間に日が暮れていた。


 夕刻、日が落ちるまでそれに気付いていなかったティムズの元を、昨晩の冷たい態度なんて忘れた、といった感じのミリィが訪れてきて、『体力テストの再実施と、基礎体術訓練開始』の旨と、その日時を告げる。ティムズは日没には気付かなかったが、ミリィが近づいてきた事には敏感に気づいた。室内にも関わらず、森の中に居るかの様な緑色の香りを感じ、ミリィだ、と直感したからだ。しかし、こちらに歩いてくる彼女が「や、イーストオウルくん、頑張ってるねえ」と気軽に声を掛けてきた事には面食らう。


 それは彼女の性格からして。『後輩』の機嫌を取って使い走りにでもする為のミリィの企み、ではないか、とティムズは訝しみ、そしてそれは本当に昨夜のレッタの言葉通りでもあったのだが、実のところミリィは、昨夜大いに怒りを発散できたのでそれで満足し、寝て起きたらそこはもう気にしない性質だったようだ。

 

 忘れたといった感じ、ではなく、本当に忘れていたに等しいのである。


「じゃ、明日の午後、また同じ場所で。今度は昼ごはんをしっかり食べてきてね!」


 明日の午後また同じ場所で『また二人(っきり)で』という実際になかった語句を想像で付け足してみたら、その後はもうそれで気が一杯になってしまい、いくら書物を読み返しても文章が全く頭に入って来なくなってしまったティムズであった。


 その後、タファールと共にした夕食の席で、アダーカ隊が巡回任務から一時帰投する、と回りが話しているのを耳にしたティムズは、実際に飛んでいる楊空艇が見れるのでは、と夕食を放り出して、離着陸場に向かう。しかし、アダーカは既に収集した龍族素材などの物資を降ろし、食料などの補給を受けると、すぐに飛び去っていたらしく、ティムズは落胆した。マリウレーダが任務から外れているため、休む間もなく再び任務に赴いたのだ。


「あーあ、ほんとお忙しいことで。代わってあげたいんだけどなあ」


 ティムズを追って(食堂から持ってきたパンをかじりながら)来たタファールが独り言の様に言う。彼の話では、本来、任務に当たる機体が欠損した場合は、搭乗員をシフトさせて、交代で機体を乗り継ぎ、共有する、という決まりがあるらしい。


 しかし『アダーカの連中』はそれを拒否したらしく、それは彼等が、彼等のアダーカという愛機を『マリウレーダの馬鹿ども』の無茶な操船で壊されてはたまらない、という理由が主で、『マリウレーダの馬鹿ども』の、多分に個性的なクルー達を、文字通りバカにしているという話でもあった。


 ――――――― 

 翌日も、初日と同じく資料室で書物や巻物に目を通すティムズ。

 資料室には膨大な数の資料が保管されているようで、とても1日2日では目を通しきれるものではない、と思えたが、千冊の道も一冊から、と覚悟を決めて、とりあえず暫くは通ってみよう、と決めていた。


 午前中をそうやって過ごし、午後からは、件の体力テスト、と基礎体術の訓練を行う事になっていた。前日のミリィとの会話で、もしかしたらミリィと二人きりでの訓練…を内心少し…いや、とても楽しみにしていたティムズを待ち構えて居たのは実際は仁王立ちのパシズだったもので、理想と現実の落差に思わず笑ってしまい、その後はパシズの徹底した厳しいトレーニングにより、その日は一度も笑えずに終える。

 

 1日とは言え休息をそれなりに取った上でティムズが臨んだテストの結果は、初日と『全く』同じものだった。『もしかしたら抜群の才能を持ち、即戦力になるのでは』と、何処かの物語の様な展開を何処か期待していたパシズは、少しがっかりしたらしい。術符の扱いもミリィが言った通りのものだった。しかし、それでも、彼にだって何か…何か一つだけでも、人より優れているものがあるはずだ、と、ティムズに

 数々の荒行を課し、初日以上の苦痛を彼に与えただけで終わったのである。


「おっ、おかえり。パシズに散々やられたみてーだな」

「どうだった?色々試されたろ?いやあ俺もそうだったんだよな」

「パシズをいい具合にあしらう方法を教えてやろう、あいつは実は…手m」


 疲れに疲れ切ったティムズに待ち詫びていたように話しかけるタファール。

 同室に話し相手ができた事は実はそれなりに嬉しかったらしく、任務内容の教育、を名目に、夜ごと様々な話題を振ってきた。半分は実際の任務に関わる重要な事柄だったが、半分は下世話な話でティムズはその度に怒り、彼への態度は悪友に対するそれ、になっていく。これはわざとであり、手っ取り早く親密になろうとするタファールの思惑と手段に違いなかった。


 午前中は資料庫での情報収集、午後はパシズの訓練、夜はタファールの『授業』。

 これだけでも手一杯だったのに、ティムズに対して何故かその合間合間に、様々な部署から『研修』と称して、ティムズを使いたい、という声が届き始めた。


 物資の輸送、管理や地上での巡回警備、採取された龍族素材の選別、評価、簡単な加工、梱包、仕分け…更には、龍の生態の研究、など、楊空艇で空を駆けるという華々しくもある仕事だけではなく、大勢が日々地道な作業を分担しているからこそ、この龍礁という施設は成り立っている。

 

 先ずはそれを知って欲しい、というピアスンが管理部に掛け合った結果だと思われ、その上で、その話と自身の人脈を悪用したタファールが『便利な奴がいる』と言いふらしたのかも知れなかった。夜、色々会話する中で軽く問い詰めると、罪状のいくつかはあっさり自白したものの、半分は全く知らない、手を下していない。と彼は否認しており、ティムズは、彼の余罪はまだあるものとみて現在も聴取を続けています。それでは次のニュースです。


 ティムズはまるで学業とアルバイトに勤しむ学生の如く、日夜問わず、常に龍礁本部を駆けまわり、その間に、あっと言う間に一か月の間が過ぎていったのだった。


 その間に、骨折がほぼ完治したパシズが、ティムズを『レンジャー』として使える様にしよう、と、普段、自分達が行う訓練を始めていた。相変わらず、特筆すべき才能の欠片すら感じ取れないティムズだったが、コツを掴む、という事だけは得意だったらしく、秀でる能力は無い代わりに、不得手とするものも無い様で、どんな状況、状態であっても、それなり…にこなせるという才覚を見せ始めていた。


 一人で事を任せるには心許ないが、サポートに徹する事が出来れば、足を引っ張る事なく、多少でも各人の助けになりそうだ、と、パシズは判断し、ミリィの弟弟子として、引き続き自分の監督下に置くことを決めたのだった。


 ……これはティムズの為でもあり、そしてミリィの為でもあった。

 勿論、未熟なティムズを優秀なミリィが守る、という形にする、というのもあったが、優秀であるのは確かでも、何処か向こう見ずな、時には自分の命の危険すら顧みない任務中のミリィを、例え未熟ではあっても、ティムズが助けられる様になっていって欲しい、とパシズは密かに考えていた。

 ……いつまでも自分がミリィの傍に居られるとは限らないからだ。


 ――――――――――


「―—で、ここからもまだずっと先までレベルCが続いてるの、レベルBには余程の事が無い限りは立ち入れない。許可も下りないし、例え下りたとしても行きたいって人は少ないでしょうね」

「レベルCには一体どれくらいのF/ Iが居る…んです?」

「さあ?」

「さあって……」



「F/ Iと言えば、先日のあれ以降、なんかあんまり出てこないわね。あの時の嵐が影響してるのかな……」


「その可能性もあるな、まあ、そういう事を調べるのは学者連中の仕事だ」



 ティムズとミリィ、そしてパシズがそれぞれ馬に乗り、地上巡回と、乗馬の訓練を兼ねる為に龍礁本部施設から大分離れた森林の間の小道を進んでいた。


 4週間前に初めて乗馬、という物を経験したティムズは、当然最初は馬に跨ることすらままならなかったが、パシズがしつこく試させた結果、早くも軽いギャロップで馬を走らせる事が出来るようになってきている。


 それに、資料室に通い続けている成果もあり、龍礁に関することは能動的にティムズの方から質問し、それはクルー達でも判らない、という事の方が多くなってきた程だった。


「そして結局、巷で出回ってる『龍装備』ってのはF/ Iクラスの龍もどきの物が殆ど、って事なんですね。俺の友達にも一人、龍装備を自慢してた奴が居たけど、結局偽物だったんだろうなぁ……」


「そっ。けど偽物って訳でもないけどね、一応は龍だし。まあ、F/ IIクラス以上の本物の龍素材、ってのは大抵は各国の研究機関に渡る感じかな。あとは…………兵器」


 ミリィが少し口籠ったのに、ティムズは気付いていなかった様子だ。

 こうして対等に話せる様になってきたのが嬉しく、ついつい得たばかりの知識をひけらかそうとしてしまう。


「それに、あとは高位の術剣士たちが使う武具ですよね、良いなあ、伝説の龍の素材で出来た剣、槍……!どんな性能なんだろ。D値とか幾つかな、倍撃はついてる?あと何だろう、専用ウェポンスキルの性能とか、アフターマスの効果…」

「F/IIIクラスだと一体どんな兵器ができるんです?もしかして合体変形する機械人形とか」


「………」



「ティムズ」

「はい?」


 ミリィの表情が翳った事に気付かず、ティムズはパシズが止めるまで、意気揚々と喋り続けていた。


「その辺にしておけ」

「はあ……はい」


 パシズにはミリィが急に黙った理由を知っている。彼女は龍素材が兵器、武器として扱われているという話を極端に嫌っているからだ。今この場で、ティムズにその話をするかどうかを逡巡するが、ミリィの表情を見て、今後の為にも、これは今話しておく必要がある、と思い、口を開こうとする。しかし。


「ティ……止まれッ!!」

「!」

「えっ?わっ、ちょ、ちょっとお前っ」


 ミリィは鋭く反応し、馬を即座に止めたが、ティムズは一瞬遅れて…というよりも大分もたもたしながら、パシズの大声に動揺した馬を止めようと格闘していた。


「落ち着けって!どうどう……」

「な、何です?」


 ようやく馬を落ち着かせたティムズが前方のパシズと、横のミリィを見比べる。

 二人ともティムズには応えず、鋭い目付きで周囲を見回している。



「……ミリィ」

「近くには居ない。痕跡は二時方向」


 ミリィがパシズに一言だけ返すと、二人は小道を外れ、ミリィが言う前方右方向の木立の間に向かって馬を歩ませて、がさがさと音を立てながらその奥へと進んでいく。ティムズは訳も判らず、その後を着いていくが、二人は静かに、素早く馬を操り、どんどん進んで行ってしまった。ティムズの馬は枝が顔に当たるのを嫌がり、なかなか前に進んでくれない。

 

 少しは乗馬もこなせるようになったと思っては居ても、やはりこの二人の技術には到底及ばない…とティムズが思った時、前方から、ティムズがこれまで嗅いだことのない、嫌な臭いが漂ってきた。

 

 ……いや、きっと嗅いだことはあるのだろう。しかし、頭が……脳が、それを感じた、という記憶を消し去っているのだ。それは、今、ティムズの本能がこの先に進む事を拒否しようと、全身から冷や汗を噴き出させている、という事で蘇ってきた。そして…既に、そこ、に到着していたパシズとミリィにようやく追いつき、それ、を見る。



 臭いは、死臭だった。



 ―――――――――――



 パシズ、ミリィは馬を降りて少し下がらせると、死臭を放つ、元は哺乳類の一種、と思われる屍と、その周辺の様子を探る。ティムズはその物体、を見てしまった瞬間に完全に硬直してしまい、馬に跨ったまま慄いていた。


 周辺には肉片と骨の塊、としか言えない残骸が散らばっていた。

 既に腐敗が進み、黒ずんだ液体が地面に溜まり、蠅が集っている。


 生命だったものが、そうではなくなっていく過程がそこには在った。


 そして、少し離れた場所に、頭部が転がっていた。

 削られた肉の狭間から白い物が見え、それ…頭蓋骨の窪みから、濁った眼球がティムズを見つめる。その眼球に白い筋が蠢いて、それが蛆だと気付くのには数舜掛かった。


「………ッ、うッ…!」

 ティムズに、嘔吐感が湧く。


 龍礁を訪れて以降、何度も感じたそれとは全く異質なものだった。

 吐き気と共に、身体を立ち走る怖気。

 見てはいけないものを見てしまった、という眩暈。

 ここからすぐに立ち去りたい、という脚の震え。

 どこか色味を失った、世界。


 ティムズが自らの防衛本能と闘っている間、パシズとミリィはこの状況について短く情報を交わしていた。


「森牛、オス、成体……日時は判らん。どうだ?」


「…四日から五日、夜じゃないわ」

「根拠は」

「森牛なら夜は水辺の近くだもの。引きずられてきた跡も無い」

「……夜行性ではないな」


 パシズはミリィとやりとりを交わしつつ、周辺の木々から何かを探しているようだったが、探しているもの、しかし見つけたくはなかったものを、見てしまう。


「……まずいぞ、F/ IIだ、すぐに戻る」


 それは、傍の少し奥にあった樹に残された、二つの筋―—爪痕と、その生贄となった森牛のものと思われる、大量の血飛沫の跡だった。


「えっ?」

「……在り得ない、レベルCのど真ん中よ?」


 事情を呑み込めず当惑するティムズと、事情を知るからこそ疑いを口にするミリィ。


「F/IIIもレベルCまで出てきた。忘れたのか。即時撤収。急げ!」


 パシズが鋭く叫び、ミリィはそれ以上の懐疑を口にせず、素早く馬に飛び乗った。


「ほら!イーストオウル!行こう!」


「は、はいっ」


 二人が元来た道へ馬を走らせてこの場を後にしたのを見届けると、パシズも馬の手綱を力強く打ち、その後に続いた。


 そして自らもその場を離れながら、彼らしからぬ怯えた顔をして背後を振り返る。

 パシズの長年のレンジャーとしての経験が、ここを離れろと警鐘を鳴らしていたし、

 変容を告げる何ものかの声が、パシズの耳元で囁いたのだ。



             もうすぐ

             もうすぐ

           もうすぐ、はぢまる

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