第二節2項「邂って逅する 2」

 ティムズが朗らかに挨拶したミリィ=シュハルの出で立ちに目を留める。

 歳はティムズとそう変わらない…と言うか、むしろその小柄な体格、幼さの残る愛嬌のある笑顔と声のせいで、ティムズには同年代、むしろ歳下にすら思えた。


 滑らかな金髪を後頭部で束ね、髪先は飛び跳ねる様にあちこちに跳ねている。大き目な目と紫色の瞳、小さい鼻と口。どこか気品を感じる姿勢と立ち振る舞いに、ティムズは少しどぎまぎしつつも、挨拶を返した。


「あっ、どうも……ええと、てぃ、ティムズ=イーストオウルです」


 ティムズがつっかえながら握手をしようと手を差し出すが、ミリィはそれには気付かず、デユーズの方を向いて、先程までの愛らしさが嘘のように顔をしかめて、先程言いかけていたであろう愚痴を零し始めていた。


「それにしても、やあっと増員の申請が通ったんですかあ?嵐で大変なのも判るけど、こっちだって身体を張って仕事してるんですよ?まったく!いつもこうなんだから……」


 デユーズは二回り以上年下であろうミリィの険悪な口調に委縮し、情けない声を上げる。


「そ、そう言われてもだね、デトラニアから出向してきていた職員が全て引き上げてしまって以降、事務に当たる人間も四分の一が減ってるんだよ……」

「ロパニオールへの進駐に関連諸国は大混乱だ。運営に必要な物資の輸送や予算の手続きも止まって、君たちだけではなく、龍礁全体の要望申請も滞って……」


「その言い訳は聞き飽きましたあ」


 すっかり機嫌を損ねた様子のミリィがデユーズの言葉を遮ると、デユーズは困ったな、と笑い、ティムズの処遇を彼女に預ける旨を告げ、その場を後にした。


「ともかくだ、彼のことは君たちに一任するので、あとは宜しく…」

「はいはい、お仕事頑張ってください。副局長補佐代理」


「………」

「さて、と」


 デユーズの後ろ姿に手をひらひらと振り、見送っていたミリィがティムズに向き直ると、どうしたものか、と思案顔で首を捻る。


「うーん、細かいことは私の上司から話した方が良いだろうし……」

「あっ、いつここに着いたの?」


「ああ、それは、ついさっき到着したばかり…です」


「そっかそっか、じゃあ軽く施設を案内しておいた方が良さそうだね。ごめん、ちょっと待っててくれる?これだけ終わらせちゃうから」


 そう言うと、ティムズ達が訪れるまで行っていた龍礁地図への術式修正を再開するミリィ。ティムズも知る一般で広く使われる技法だった。各人、各地から集積された情報術式を元に、地図そのものに含まれる情報をアップデートしていくという技術…、ただ、この術式に対応した『地図』はかなり高度な法術式で構成されており、小さいものでもかなり高価。ミリィが今扱っている程に巨大なものであれば、その価格は計り知れないものがある。


「座標53-2……F/III/二種……接近遭遇及び交戦、っと……」


 ぶつぶつと呟きながら、地図情報の修正を続けるミリィに、ティムズは質問したい事が山の様にあった。例えば今呟いている情報がどういうものなのかも気になったし、実際に自分はどういう仕事をすれば良いのかも、結局この場に至るまで詳しい話を聞けていない。それに…


「あの…ちょっといいですか?」

「うん?」


 ミリィが振り返り、ティムズの顔を見る。


「ええと…」

 様々な質問が頭を過るが。

「…きみ、いくつ?」


 ティムズの口が勝手に年齢を聞いていた。

 龍礁に関する重要な質問は他に幾つもあったはずなのに、思わず飛び出た質問に誰よりもティムズ自身が驚いていた。


 初対面の初対面の女性に掛ける言葉としては、年齢を尋ねるのは不躾だ…と後悔するも、出てしまった言葉はもうどうしようもない。

 しかし、当のミリィ自身はこの手の質問には慣れているらしく、苦笑しながらも冗談めかした軽い応えを寄越す。


「二十一でーす。よく聞かれるんだけど、そんなに子供っぽいのかな私」


「はえっ……」


 妙な声がティムズの口から洩れる。自分より二つも年上だった。

 見た目からするとどう見てもまだ17-8歳としか見えなかった。

 するべきはずだった他の質問など、とうに吹っ飛んだティムズは暫くミリィの後ろ姿をただ見つめていた。


 そんなティムズを尻目に、地図修正を終えたらしいミリィが声を上げる。

「よし、終わりっ!」

 パシッ、と音を鳴らし、術式を閉じると、ミリィがティムズを振り返り、笑いかける。

「お待たせ、じゃあ…案内しようかな、それからお昼ごはんにしよう」



 

 ティムズを連れ出し、共に再び長い廊下を渡りながら、ミリィが斜めに顔を上げてティムズを見上げ、尋ねる。ティムズもそう背は高くない方だが、彼女は年齢からすると小柄な方で、ティムズは本当に彼女が21歳なのかまだ疑っていた。


「で、君はどんな資格や技能を持ってるの?」

「えっ」


「…えっ?」

 妙な間が開き、ミリィの表情が曇る。


「いえ……自分は」

「先日、ファスリア皇立アカデミーの学術院の出たばかりです。他に、特にこれといったものは……」


「………」

「……それだけ?本当に?」


 明らかに困惑しているミリィに、口籠りながらも意思を奮い立たせて、なんとか彼女を安心させておきたいとするティムズだったが、時として真実は残酷なものだ。


「はい。ええと……それだけです」

「ウソでしょお……」


 がくりと項垂れ、打ちのめされた様に呻き声を上げるミリィ。

「やっと増員申請が通ったと思ったら学校を出たばかりの素人が一人……?鍛える時間も余裕も予算もないってのに……」


 ぶつぶつと呟き頭を抱えるミリィの有様を、ティムズは励まそうと試みるが、もう何も言える事はなかった。『意外と分かりやすい文章を書ける』とタロンゾに褒められた事を伝えても意味はないだろう。


「……ああ、ごめん。それはキミのせいじゃないしね」

 ミリィが顔を上げ、力なく笑ってみせる。


 すいません半分はちゃんと事前に確認してこなかった俺のせいです、とも言えず、ティムズは曖昧に笑い返すしかなかった。そしてティムズは合点が行った。何故『一般業務』なのに不自然な程に高給だったのか。それは自らが応募したものが、実際は楊空艇に乗り、龍を間近にした危険な『仕事』に従事する龍礁監視隊…レンジャーを募るものだったからだった。


 一方で、ミリィもティムズにそれなりに同情はしていた。

 ミリィから見ればティムズはやはり歳下の少年、で、そんなつもりでもなかったところに、不意に自分達の様な仕事をやれ、と言われれば動揺して当然だろう。

 ただ、これはミリィ達にとって待ちに待った機会であることも確かだった。

 例えどんな人物であろうと、人員不足に喘ぐマリウレーダのクルー達に取っては激務の一助になることはなる、だろう。

 

 それに、クルーに関する決定権はピアスン船長と、その直属の上司である上級管理官にあり、自分が今ここでどうこう出来ることでもなかった。



 ティムズには笑ってみせているが、ミリィなりの打算が、彼女の脳内を巡る。


 本来、楊空艇の運用も含む、ミリィ達の職務……龍礁監視隊を構成する人員は十人前後で組まれる前提があった。楊空艇の操縦、機関、通信、情報のそれぞれを担当する要員が四から五名。船外で活動する実働要員、として更に五から六名。それらを全て部隊長……船長が統率する形で、マリウレーダ隊以外の二つの隊は活動していた。


 通常より半数も少ない人員で活動しているマリウレーダ隊は、楊空艇機関担当のレッタ、通信担当のタファールが操縦も兼ね、船長であるピアスンと船外活動担当のパシズが情報管理統括を兼任し、そしてミリィは、それら全ての補佐…というか、手伝いというか、もう有体に言ってしまうと、雑用係、としての役割を担っていた。


 ただ、船長であるピアスンもこの無理な運用状態を良しとしている訳ではなく、きちんとした運用規定に則って、それぞれの担当は『自分の仕事だけに専念する』環境を作る事が最も重要だという事も判っていた。拠って、現在のチームが結成されたまさにその瞬間から、ピアスンは上層部へ隊の増員を具申していたのである。


 それまでは龍礁運営に関わりがあり、出資していた各国から推薦、派遣されてきた人材で賄われてきた龍礁監視隊――自らをレンジャーと呼ぶ――も、その高い損耗率で次々と貴重な人員が失われており―死亡、四肢の欠損、病気、恐れを為した逃亡…離職など――、デトラニア共和国の不穏な動きに端を発する不安定化した政治情勢が決定打となり、公的機関を介したレンジャーの増員は難しいものとなったのだった。

 

 そして、進退窮まった龍礁管理局は打開策として、広く民間から人員を募るというカードを切ったのである。

 

 だが、『おんぼろ船』として内外にその名を知られたマリウレーダで、これまた『鬼船長』として名を馳せていたピアスンの元で好んで働きたい、という者は殆どなく、そもそも龍礁の『レンジャー』として求められる技能、経験を持った人材は

 元々が限られ、今の今まで各クルーが夢にまで見て望んでいた救世主…増援が補充されることは遂になかった。

 

 業を煮やし、再三の増員要請を繰り出すピアスンに対し、龍礁管理局の上層部の一部で、募集要項の改ざんが行われ始めたのが1年前。

 

 応募者が来ない理由、であろうと思われる要綱を一つずつ削り、何度も求人情報を更新し、そして最終的に、楽な仕事で高い報酬が約束される、という事だけが強調された怪しさ極まりないものと化してしまったそれは、全体で見れば公的文書の改ざんという違法行為そのものの暴挙だったが、龍礁管理局内部でたらい回しになった文書を認証するそれぞれの担当官が自らの裁量で可能な変更と認可を行っただけ、として、それ自体には何ら違法性はないと判断され、問題視される事はなかったという。


 実に延べ百五十二回もの『修正』を受けた龍礁監視隊の求人だったが、それでもまだ、龍を相手にする、というにわかには信じがたい内容に、自ら名乗りを上げる者は皆無だった。

 そして、それが巡り巡って遠きファスリアの地で暮らすティムズの元に届いた…と、言うのが、この件の全容である。


 誰が犯人か、という話ではなく、この件に関わった全員が等しく「より良い結果」を目指し、少しずつ加担した事で起きた悲劇(?)と言えるだろう。

 この文章を読む全ての組織に属する人間が、こういった組織で犯してしまうかもしれない過ちを、脳裏の何処かに留め、こういった事態に陥らないように切に願う。


 話が大分戻るが、こうした理由……本当にすげえ大分戻ってしまうが、こうした理由で、せめて掃除や航行中の食事の用意などの、本当に基礎的な雑用を任せられる人間が一人増えるだけでも、クルー達…というよりも、特にミリィ自身がとても楽が出来るようになる…という本音と、その上で、彼がそれなりに仕事の出来る人材になればクルー全員にとってもプラスになる…という理由付けの元で、ミリィはこの問題に関しては異議を申し立てない事を決め、ティムズに励ましとも誘いとも、もしかしたら騙し…ともとれる笑顔を見事に作ってみせた。


「うん…まあ仕方ない…君が仕事を覚えてくれたら全部丸く解決するかな!うん、頑張ろうね!」


 今度はティムズの方が「ウソでしょ…」と言いたげな顔で呆然としていた。

 しかし心の何処かで、目の前の少女(と言っていいのかどうか)の笑顔に、期待されているなら応えてあげたいな、と思ってしまったのだった。

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