美食の里
滞在中、雨は降ったり止んだりだった。おかげであちこち行くこともままならず、テンションも下がり気味である。
民泊のアパートは、螺旋階段の石が例によって真っ黒な、非常に古い建物だった。なので上の階の住人の足音が頭に響く。夜中に引っ越しをしているのかレスリングをしているのか知らないが、住人が動くたびに激しい音と振動が伝わってくる。加えて不眠の癖と立て続けに来る仕事のメールで僕の神経はネガティブな方向へ振れていた。一体ここまで来て何をやってるんだろう。
同行のツレはパスタの袋とソースの瓶詰めを持ってきている。「ずっと外食じゃ金がかかるから、ひと晩ぐらいアパートで夕飯を食べるだろう」という貧乏性のなせる業である。そして同じ病である僕はこれになんの疑問も抱かなかった。長期滞在ならともかく、数日泊まるだけでも節約を真っ先に考えるとは悲しいものだ。
もしも天気に恵まれていたら、僕たちはある晩の夕食をパスタと瓶詰めソースで済ませてしまったかも知れない。しかし雨模様で、しかも上階でレスリングの行われているアパートに自粛では精神衛生上よろしくない。
街には美味そうな店がいっぱいある。普段外食などしないのだから、こんな時ぐらい銀行のカードを濫用したっていいじゃないか。
かくて我々はもろもろの鬱憤を「食い物」で昇華することにした。
オーヴェルニュの食べ物でとても有名なのは「アリゴ」だ。これは何かというと、ジャガイモとオーヴェルニュ産のチーズを混ぜたピューレである。熱々のジャガイモにチーズを入れてひたすらかき混ぜると、餅のようにびよーんと伸びるピューレが出来上がる。冗談かというほどびよーんと伸びる。
僕はこれをドーム山の頂上にあった、学食のようなセルフ式食堂で食べた。温かい食べ物もなぜか瓶入りになっていて、保存食みたいな見た目だった。でも電子レンジで熱々に温め直し、フォークで瓶の底をグルグルかき回すと、アリゴは見事にびよーんを復活させた。おもしろくて何度もかき回してはびよーんを繰り返して喜んでいた。
味はコクがあるのにしつこくなく、あまりジャガイモを食べつけない自分でもペロリと完食した。学食のイメージからは及ばないほどレベルが高かった。
というか、この街で口にしたものはすべてレベルが高かった。
牛肉はステーキよりも、生肉を細かく刻んでミンチにしたタルタルという料理が売り。肉が新鮮で味に自信がないと出せないメニューだ。十時間以上マリネして低温でじっくりと焼いた豚肉のローストは箸でも切れそうな柔らかさ。それから森で採れる香り高いジロール茸のリゾット。米の炊き方が完璧で、きのこの滋味に悩殺される。
なんでこんなに質が高いんだろうと驚きの連続だった。数件しか行ってはいないが、もしかしたらクレルモン=フェランのレストランにはハズレがないのではとすら思えてきた。
質が高いのはサービスも同じである。レストランの従業員は笑顔が気持ちよく、テキパキと動いて気の利く人たちばかりだった。マニュアルどおりではなく、力が抜けていて、客をもてなすのが上手い。
ともかくここでの食事は他のことを忘れるほどいい時間だった。間違ってもアパートでパスタと瓶詰めソースなど食べなくてよかったのだ。
その昔、パリにはオーヴェルニュからの出稼ぎ労働者が多かったそうだ。彼らの仕事は水桶を担いでアパートの上まで届ける水運びであったり、石炭運びであったり、または中央市場の人足(これも運び屋)だったりと、肉体労働がほとんどだった。山で鍛えられた強靭な体と辛抱強い気質が買われたのだろう。
小金を貯めたオーヴェルニュ人は、そのうち飲食店を開くようになった。パリのカフェやレストランはその多くがオーヴェルニュ出身者の作ったものだと、ものの本に書いてある。
肉体労働をしていた彼らの本領発揮する分野が飲食業だったというところが面白いが、この土地の食を体験すると、オーヴェルニュ人には料理やもてなしの才能がDNAに流れているんじゃないかと思う。
かくてお腹はいっぱい、財布は減量中。でもこんな幸せな時間を過ごせるなら後悔はない。僕の中でオーヴェルニュは美食の里として記憶に刻まれた。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます