黒岩石の街
「風光明媚な」とか「自然豊かな」とかいう言葉に僕はめっぽう弱い。ずっと都会にばかり住んでいたからだろう。パソコンの画面に映し出される美しい景色やもの珍しい風景を見ると、勝手に憧れを増幅させ、ぜひとも自分の目で確かめてみたいと思うのだ。
フランスの中央部、オーヴェルニュ地方。
その真ん中にある主要都市、クレルモン=フェラン。
この地名はずっと前から僕の頭の中にこびりついていた。休火山が連なる、風光明媚な地方。ヴォルヴィックの水源がある、美しく自然豊かな土地。
せせこましい街でせせこましい暮らしをしている者にとって、こんな場所は魅惑的でしかない。
もう一年近くパリから出ていないし、少しぐらい休みを取ってもバチは当たらないだろう。ここなら列車で行けるし安い民泊もある。しかも季節は五月。天気に恵まれフランスの自然をいやというほど満喫できるはず。
そんなわけで前々から旅の予約をして、ひそかに楽しみにしていた。
フランス中央部と言ったが、オーヴェルニュ地方は厳密にいえばもう少し南だ。パリがフランスの首ならばクレルモン=フェランはフランスのへそである。
首からへそまで約430キロ。TGVではない中距離列車はワゴンの作りも昔ながらのコンパートメントという個室型だ。このタイプのワゴンは相席する人によって快適にも苦しくもなる賭けのようなところがある。向かい側に座ったのは三、四歳ぐらいの少女と感じのよい祖母だった。
窓から見えるのは果てしなく広がる畑。のんびりと草を食む牛の群れ。やっぱりこれがフランスだと気持ちが和む。
列車に揺られること三時間半、ようやくクレルモン=フェランへ到着した。
それは、山に囲まれた坂道の街。
そして、噂どおりの、「黒い街」だった。
クレルモン=フェランの建物は、火山群の採石場から運んだ黒岩石で作られている。なので色が黒い。細かな気泡があってざらりとしているところはまさに軽石である。
パリとは全然違う素材が珍しくて面白かったのだが、普通の建物は窓枠だけ黒を残して壁はベージュ色に塗ってあったりする。どうして塗ってしまうんだろう、もったいない。せっかくの個性なのだから全部もとの岩石の色にしておけばいいのに、と思った。
でも古い建物に関してはすべからく真っ黒だった。石が黒というだけで迫力と重量感が増す。特に街の中央にそびえ立つ大聖堂の存在感は、巨大なサイズもそうだがその色によるものが大きい。
背の低い建物が並ぶ坂道のてっぺんに位置するゴシック式の大聖堂は、街に溶けこむというよりは威圧感のある異形のものに見えた。その漆黒の姿はまるで「悪魔の大聖堂」といった感じだ。悪魔と聖堂なんて矛盾しているけど本当にそんな凄味があるのだ。正面のふたつの塔が空に向かってニョキッと突き出しているさまは、天を刺す角のようでもある。
そばに寄ってみると聖人像も、ガーゴイルも、装飾も、何もかも黒い。ため息が出るほど黒い。色は光の具合で深くなったり淡くなったり、さながら聖堂全体が濃灰色の化粧を施したようだ。
ノートルダムはいくつも見てきたが、この大聖堂には不気味さと同時に妖しい美しさがあった。
しかし、感激したのも束の間だった。
五月だというのにあっという間に大雨が降り始めたのだ。遠くに見える山には真っ黒な雲が覆いかぶさっている。
せっかくここまで来たのにまるで罰ゲームのようだ、と恨みがましい気持ちでどしゃぶりの街を歩く。
雨に濡れた黒岩石はさらに色を濃くしている。それは情緒というものとは少し違う。山に囲まれ、雨雲で出口を塞がれたような気分になる。
なるほど、もしも建物の色がすべて黒だったら、さぞかし陰鬱な景色になるだろう。街の人が壁をベージュにしてしまう気持ちがすこし分かる気がした。
雨が通り過ぎたあとの夜の大聖堂は、空の闇よりももっと黒かった。
坂道の目抜き通りから見上げると、双子の塔はとがった巨大な影になっている。
ライトアップなどと洒落たことは一切なかった。ただ目の前に漆黒のかたまりがのっしりと立ちはだかっているだけだった。
それは街を守っているようにも、支配しているようにも見えた。
つづく
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