夜空を流れる星とミツバチの死、この対比はすごく秀逸だと思いました。
ぜんぜん異なる現象なのに、死にゆくという意味では同じ。
人は叡智あるゆえに死を恐れたり、反対に自ら死を選んだりするのですが、他の生命はそんなことしない。
生誕が祝福されるものであるように、死も人生の大きな儀式として受け入れなくてはと思いました!
作者からの返信
大きな流れ星を見てちょっと浮かれていたんですが、ミツバチを見てドキリとしました。どちらも命の終わりなんですよね。星のように華々しくなくても、自分の使命を全うして死ぬって潔いと思います。
人間は余計なことを考えてしまう生き物ですね、ほんとに。
ミツバチのようだったらどれだけ幸せでしょう。
編集済
人間に生まれるのは、ときに残酷だ。
本当にそうですね。人間は、唯一生まれた意味を問う、考える生き物ですから。
好きなものを抱いてこときれるなんて蜂ながら凄い死に様です。羨ましい。そんな風に死ねたら良いな。
作者からの返信
りくさん、南仏記も読んでくださってありがとうございます。(実は今ちょっと仕事に押され気味で、コメント頂いてすごくほっこりしました。嬉しかったです。)
考える生き物って、幸せでもあるけど不幸でもあるかなあ、なんて思います。このミツバチみたいに余計なことを考えず一生を全うするのが幸せに見えるというか。これが蜂の生態だと言ってしまえば元も子もないけど、好きなものを抱きしめて死んでいるように見えました。かっこいいと思うし、羨ましいとも思います。そんな風に死ねたらいいですよね。
ヨロヨロ…バタッ!_( _-ω-`)_
み、みずを、みずをくれ……
このままでは干からびて、ミイラになってしまう……
なんちゃって。どーも!連日の暑さで身体も脳も溶けているわたくしです。
『何か羽織らないと寒いぐらい』という文章に、遠い目をしてしまいました。日本は過激な暑さに見舞われております。
ところで柊さんは、爆笑エッセイと隠した爪のような毒舌エッセイ、そして今回のように哲学的エッセイもお書きになっていて、幅広い才能をお持ちですよね!
流れ星とミツバチ。同じ風景を見ても、通り過ぎてしまう人のほうが多いのだろうと思います。でも柊さんのように立ち止まって思索してみるのって、豊かな時間の使い方だなって思います。
流れ星の消えゆくきらめきとミツバチの最期に、死を想う。世界にはそれぞれの生き方と終わりが混在しているのに、あくせく生きているとそれらを見逃してしまう。立ち止まって、世界をじっくりと観察する時間は必要ですね。
死を恐れることなく、戸惑うことなく、ミツバチのようにふっと消えていく。それがラベンダーの香りとともにあるのなら幸せだなーなんて思いました。
それにしても暑い……毎日35℃超えってどうなっているの……ドロドロドロ~:-*:-(:-O:-←あ、ゆいそわかが溶けてしまった!
作者からの返信
遊井さん、溶けそうな状態なのにコメントくださり恐縮です。35℃超えるのきついですね。毎日ですか。気温だけでなく湿度が高いですよね。そっちのダメージが大きいんじゃないですか? 南仏も35℃ぐらいにはなりますが、日陰だと気温が下がるし湿度は低いので、きついのは日射しだけです。
あ、ちなみにもうパリに帰って来てますが、最高気温で22度です。連日曇り時々雨です。これをどう捉えるかは遊井さんにお任せします(笑)
爆笑エッセイも毒舌エッセイも中途半端な半可通で申し訳ありません。今回は涙腺崩壊エッセイだったのですが泣いてもらえなかったようですねえ。どうも僕の思いは空回りのようで。こうなればアパートの中でひとり回ってみようかと思います。
哲学ほどのものではありませんが、普段の生活なら見過ごしそうなことをあれこれ考えてしまうのはバカンスの醍醐味かも知れません。ミツバチの一生は単純かも知れないけど、恐れも迷いもない一生は人間にはできませんね。こんな死に方ができれば大往生だと思うのです。
あっ、つい長くなりました。遊井さんくれぐれもお体に気をつけて。再冷凍できないかもですが、最高気温22度の空気をお送りします~~~~
柊さん、更新ありがとうございます!
昨年のミツバチとラベンダーも素敵でしたけれど、本年のミツバチの蜜は、いっそう深い味わいですね。
流れ星とミツバチの生の終わり方には、魅せつけるものと密やかに閉じるものの対比を感じました。どちらがいいとも一概に云えませんが、いずれにせよ自然なカタチで生をまっとうしている姿は美しいです。
私は現在、いつのまにか結構な高齢の祖母の介護をさせてもらっています。かけがえのない日常の中で空気に融けるように自然に寿命をまっとうしたい……そう願う祖母はミツバチタイプかも。余計なことをしたくないそうです。そうやって理想の死を語り、御飯を消化できるあいだは元気なのだと思います✿˘︶˘✿ ご心配されませんよう。
作者からの返信
ひいなさん、こちらこそコメントありがとうございます。
昨年は見なかったミツバチの姿でした。同じ風景なのに何かしら発見や考えさせることがあるものですね。
星の終わりってどんな感じか想像できませんが、あの長い尾が光って消えるのがなんとも華々しく映りました。ミツバチとは正反対な。そう、どちらがいいというのではないんですよね。両方とも自然の摂理に従って命を終えるということには変わらないですから。
孫に介護してもらう日々、おばあ様は幸せでしょうね。日常の中で空気に融けるように…まさに理想のかたちですよね。
とはいえ介護はかなり体力を使うのではないですか。ひいなさんご自身もお体大事にしてくださいね✿˘︶˘✿
柊さんの目に留まったミツバチの亡骸たち、良い供養をされたましたね。多くの人にその死にざまを語られ、感じられ考えさせられる・・・ラベンダーにとまったまま息絶えるミツバチ・・・印象的ですね。ある意味幸せな最期なのかもしれません。
最初は過労死?とか思っちゃいましたけど、柊さんの深い感性によって、心にせまるストーリーに感じられました。とても美しい文章だなと・・・^^
作者からの返信
神原さん、コメントありがとうございます。
確かに働きバチとか働きアリって人間に例えられたりして過労死っぽいですよね。でもそういう風に生まれついている自然のものは無理がないようにできているんじゃないかと思いました。キャパオーバーしても頑張るのは人間だけじゃないかなと…。だからこの蜂のように花と一緒に死ねるのが幸せに見えました。
心に迫るなんて嬉しいです…。ありがとうございます^^
みずがめ座流星群でしたっけ? 見たいと思って、すっかり忘れてました。
ハチって急に寄ってこられると身構えますけど、彼らは自分の仕事をしてるだけなんですよね。
息絶えている働きバチと、大気と衝突して燃え尽きる塵。このふたつを重ねあわせる感性が羨ましいです。こちらまで静かな南仏の夜を味わった気分♪
作者からの返信
橋本さん、コメントありがとうございます。流星群があったんですね。そういえば前にアレッツォに行った時も星空がすごかったのを思い出しました。
どんな至近距離にいてもミツバチは人間をスルーでしたね。見事なほど無視されました(笑)だから彼らのラベンダー愛を余計に強く感じました。この蜂は大往生じゃないかなと。
南仏の夜を感じていただけて嬉しいです♪
柊さん、エッセイですよね? こちらエッセイ?
しつこくてごめんなさい。なんか小説の一節のようで、うっとりと拝読致しました。
なんて素敵なバカンスでしょう。
流れ星とミツバチの観察から、「死生観」に繋がるなんて深いですね。
一枚一枚舞い散る花びらと、ポトリと潔く落ちる花……では死に方を考えた事はありますが。
ミツバチの死に様は、美しく尊いですね。
蜜を集める為に生まれて、途中で死んでいく。
日常生活中に命を全うするのも怖くないなぁって思えました。
作者からの返信
ハナスさん、嬉しいお言葉をありがとうございます。
死生観というほどの大層なものは持っていませんが、普段気づかないこういうことを考えさせられるという意味でもバカンスは贅沢な時間ですね。
たしかに花の散り際もものごとの終わりを思わせますね。ミツバチのとまったままの姿は生と死を同時に見せられるような感覚だったと思います。
日常生活中に…人間に当てはめるとそう考えられますね。好きなものに囲まれて死ねるなら、状況はどうあれ幸せなのかもしれませんね。
編集済
その蜂はラベンダーにとまったまま死んでいた。
二週間ほどの入院を経て、垣間見ることができた心境にぴったんこだったので、ふるふるとしました。
生物は、生と死の境で揺れ動いている。観念として分かっているつもりでしたが、全くのリアルなんだなあと。(あ、私自身は生死に関わる病状ではなかったのですが、でも百年前なら、もしくは住む国が違っていたら鬼籍だったかなあと思うと感慨深くて。)
ラベンダーにとまったまま、死す。
生と死とが表裏にあることを体現するような、今その瞬間瞬間を生き抜こうとした姿。前を向いて生きていたら、おそらく全ては『中途』で終わってしまう。積極的に生きているからこそ、やり尽くせずに終わる。でも、その生の瞬間瞬間に思いを馳せれば、その姿こそが今を生き抜いていた証であり、尊い生命の姿のように思えて。
星を眺めるのも、なんだか通じます。何億年も前に発した光を、数千年前の人々と同様に見上げて。星からしたら瞬間的に生を終える人が、その光を愛でる。生命の本質的なものを感じました。
あまりにも素晴らしい文章で。長文失礼致しました!(いま病院でして。退院後の初診療。全く問題なし、お酒も珈琲もオッケー貰いましたっ!)
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。入院生活を経験すると心境も大きく変わってくるのでしょうね。生死にかかわる病気でなくても、入院前と後では価値観が違ってきそうな。呪文堂さんはそういう経験もご自身や創作の肥やしにされるのではないかと思いますが。
そうですね、ラベンダーにとまったまま死んでいるのは「中途」の状態ですよね。目をつぶって横たわっているのとは違う種類の。どきりとしたのはその姿が生の瞬間をそのまま残したものだからかも知れません。
星も、今見ている星が既にないかもしれないと思うと不思議なものですよね。サイズは違えど必ず終わりはくるもので。それを観察する人間にもかえってくることで。
ところで診療お疲れさまでした。お酒もコーヒーもOK、よかったですね!これで本当に快復したという感じがしますね。改めておめでとうございます!
いやほんとに柊さんの書くものは、思索的で奥が深く、素晴らしいですね。
南仏で夜空を見て、いいな、いいな、とそういうお話かと思いきや、ミツバチを絡ませて深い思考を絡ませるあたり、とても真似のできるものではありません。
しかし、私も柊さんの影響を少しでも受けて、深いものを書きたいと思いました。
作者からの返信
レネさん、過分なお言葉です。ありがとうございます。
タイトルつけるのが苦手なようで、もう少し内容を匂わせるものにしたかったんですが、いつものとおり単純なものになりました。
深いんですかね。僕は全部言ってしまう文章よりレネさんの書かれるような行間からじわっと何かが沁み出ている文章に憧れます。小津みたいですよね。
なんとも言えない緊張感のある文体で、いつもながら、考えさせられ、心地よく読まされるます。
庭の真ん中に折り畳み椅子を置き、ぐんと後ろへ倒して背中をあずける」
私もついついながれ星のいく末とかミツバチとか、考えておりました。
素敵な文章をありがとうございます。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。滞在中に思い巡らせたことを記しておきたかったのですが、そう言って頂けると嬉しいですね。
流れ星もミツバチも僕にとっては非日常で、その中で自分と結びついてくるものを考えさせられるとは思いませんでした。
こちらこそいつも読んでくださって感謝です。
今回はまた深いですねえ……エッセイ集の中の一篇にしておくのはもったいないくらいです。どこを切り取っても名文!
ミツバチ、世界中で数が減っているのが問題になっているそうですね。原因はダニとかウィルスなんだそうで、ミツバチの世界も大変……っていうか、人間も困るんですよね。作物のポリネーターですから……。
“迷いもなく本能のままにそれだけを求めて命を終える”……それが花の中でとは、なんとも美しいですねえ。私もレコードと本に埋もれて終わりたい(笑)
天然のプラネタリウム、贅沢ですねえ、素敵! 昔、京都を出て田舎に引っ越したとき、星がたくさん見えることに感激した憶えがありますが、そんなふうには鑑賞できなかったです……蚊がすごいのと、カエルの大合唱がやかましくて(笑) そちらは夏の夜、蚊などはそんなにいないんでしょうか? それとも越した先が田んぼだらけの田舎だったから特に多かったんだろうかw
作者からの返信
烏丸さん、嬉しいお言葉ありがとうございます。とても印象が強かったので記しておきたくて。
ミツバチが減っているとは知りませんでした。自然の中に行くと生態系を身近に感じます。シビアだなあと思う反面、こんな風に自分も死ねたら幸せだろうなと思いますね...。烏丸さんはやっぱりレコードと本ですね!
夜空は本当に貴重な眺めでした。"今だけ"という限定された時間だと余計に。
蛙はいなかったけど蝉は夜通し鳴いてましたよ。日本のとは声が違うかもですが。
夜はかなり気温が下がるので蚊はどこかに帰ってしまうようです(笑) 乾燥しているので冷えた空気がちょっと湿度を含んでいるのが美味しく感じました。田んぼも情緒があって良さそうに思えるけど...蚊はね...w
過労死という言葉が浮かびました…
人間に当てはめて考えるのはやめときます(・・;)
自然の中でゆったりと、様々な思いを巡らせることができるのは人間だけの贅沢ですね。
天然プラネタリウム、私も見たいです✨
作者からの返信
黒須さん、コメントありがとうございます。
働きバチですもんね。僕も実はその言葉を思いました。
でも儲けとか業績とか考えるのは人間だけのような...。動物の世界には過不足はないんじゃないかと思えて。そう考えたら蜜蜂の人生(?) が羨ましく見えました。
でも仰る通り色々思いを巡らせることができるのも人間だからですよね。天然のプラネタリウム素晴らしかったです。色んな意味で贅沢な時間でした。
疲れたときは、無性に柊さんのエッセイが読みたくなります。
わあ、綺麗だなぁと情景が思い浮かぶような描写から、まさかのミツバチの死でずっしりときました。
ミツバチは2ヶ月も生きないそうです。そのなかで、必死に次世代のために蜜を集める。
とても生物らしくて好ましいと思ってしまいます。
人間は80歳まで生きるようなりました。昔よりも30年も伸びた寿命で、何を得て何を繋ぐのでしょう。そんなことを考えてしまうことがあります。
作者からの返信
ユトさん、嬉しいコメントありがとうございます。
ちょっとでも癒しになったら光栄です。
ラベンダーにとまったまま死んでいるミツバチを見たときはドキリとしました。でも潔く迷いがなく生きられるって、ある意味羨ましいとも思えます。
寿命だけは長くなっても、その中でどう生きるか、その後に生きる者にどう繋げるかはまた別のことですね。そうやって考えてしまうのもやっぱり人間ならではなんでしょうね。