現実逃避の結果生み出された怪文書~消費的創作とあなたが創作を今すぐ始めるべき理由~

日本文書興業

創作は『創造』か『製造』か

 『消費的創作』というのは、Twitterを眺めていた私が勝手に思い付いた造語であり、恐らくは車輪の再発明的な何かです。


 創作とは、オリジナリティを以て、何かを創り上げる事である――とここでは定義します。


 私は大体五年程、ネット小説というものを書き続け、有り難いことに決して少なくない数の読者の皆様からご好評を頂いております。

 その上で、最近ある疑問――「私が行っているのは創作では無く製造では?」というものを抱きました。


 さて、ネット小説には「テンプレート」なるものが存在します。

 読者諸君にこれを説明する必要は無いと確信した上で、敢えて説明すると「これを守れば読まれる作品が出来る」というものです。

 更に踏み込んで、テンプレートに現在の流行――「悪役令嬢」やら「パーティー追放」やら――を組み合わせて毎日投稿すれば、あっという間に読者が大量に付き、無尽蔵のPVを生み出し始める作品が出来る……というセオリー(俗に「なろう攻略法」とも呼ばれる)があります。


 実際はそう上手くいかないものですが、聞いてみると中々に魅力的です。

 なんと言ったってこれを見ると『これなら私にも出来る』という自信がふつふつと湧いてくるのです。上手く行けば書籍化、更に上手く行けば漫画化、アニメ化への道が拓かれます。夢がありますね。


 私が疑問に思ったのは、創作物とはオリジナリティがあってなんぼのモンでは無いかという事と、ではオリジナリティとは何かというものです。


 先に述べた「なろう攻略法」は、殆ど製品開発と同じに見えます。

 市場に存在する競合、消費者の流行、技術の潮流、それらを考慮し、製品を開発する。

 これは、あなたがこの文章を読むのに使っている端末と、その中の部品が辿ってきているであろう王道です。(もしあなたが私の想像力の及ぶ範囲の変態で、シリコンウエハからCPUを切り出したりしてるなら例外です。言わなくても分かると思いますが。)


 大量生産によるコストダウンと、市場原理に基づく競争を正義とする工業製品と同じプロセスを経て生み出される作品に、オリジナリティは認められるでしょうか。

 私はそれはオリジナリティでは無いと考えます。

 何故ならその作品は、ネット小説を手段として、成功したいという目的を達成する為の道具だからです。

 同じ手段、同じ目的ならば、当然道具は似通ってきます。

 分かりやすく生物で例えば、アルマジロとダンゴムシが、外敵から身を守るという目的を達成する為、丸まって耐えるという手段を取り、その道具(この場合は器官)として硬い外皮を持つといった事が挙げられます。

 哺乳類と昆虫でさえ見られるのですから、人間同士が同じ目的と手段を持った時、それを達成する道具は、一部の例外を除いてほぼ同じであると考えられます。


 さて、それ以外のネット小説の世界でも本流からやや外れた所を見ていきましょう。


 やや業の深い、そして恐らくは読者諸君が属するであろう場所です。

 まるで公園のやや大きな石の裏の魑魅魍魎の如き多様性を誇るこの場所には、唯一無二の作品が大量に存在します。

 しかし、訪れる読者はあまり多くありません。


 何故かと聞かれれば、「大多数の公園利用者は花や噴水等を見に来たのであり、石の裏をひっくり返し、魑魅魍魎が跋扈するのを見に来た訳では無い」と言えます。

 そんな議論され尽くした事は置いておいて、ここで問題にしたいのは「オリジナリティとは何か」というものです。


 確かに、類似の作品は他に存在しないのかもしれません。

 しかし、要素に分解した時どうでしょうか、人間の認知機能から考えて、確実に元ネタがあります。

 それは学生時代に読んだ学校の教科書だったり、趣味だったり、ゲームだったり、悲しい経験だったり、壮絶な体験だったりするかもしれません。


 我々はそれを消費して、何かを創っているのでは無いか?


 プラモデルで例えると、成程確かに、それは市販のキットの組み合わせでは作れない、フルスクラッチビルドの唯一無二の作品かもしれない。

 しかし、それは完全なる無から創造したものでは無く、複数の兵器のイメージから着想を得ていたり、そもそも現実に元ネタが存在するモノだったりするのでは無いですか?


 こう考えていくと、完全な『オリジナル』は存在しないという事になってしまいますが、古来、人が叡智を得てから今日まで、何かに立脚しない表現は存在しません。

 今のあなたの自由に思える思考も、周囲の刺激を受けて脳が処理した結果として出力されているものであって、ミクロ的には単純なシナプス結合と神経伝達と見ることが出来ますし、その偶然の産物として、何にも立脚しない突飛な思考が生まれるかもしれませんが、他者に伝達する手段としては、他者が理解出来る表現に立脚しなければなりません。

 


 結論から申し上げると『創作活動とは無から作品を創り出す創造活動では無く、記憶を消費して作品を創る製造活動である』というものであり、これが『消費的創作』と私が勝手に呼んでいるものの具体的中身です。


 消費と言っても、帰路のコンビニでファストフードを買い、少々の幸福を添えて口いっぱいに頬張り、香料と脂肪酸の蹂躙を楽しむといったものでは無く、家具を買い、長期間毎日それを使うといった、耐久消費財的なものと考えられます。


 最初、創作を『オリジナリティを以て、何かを創り上げる事』と定義しました。

 オリジナリティは、作品で活用した耐久消費財の量と独自性に左右されると、私は考えます。

 つまり、どれだけの記憶を処理してその作品を創り上げたか、もっと言えば、筆者はどれだけの『使える知識』をその作品に込めたか、その努力をしたか、そしてどれだけ独特な情報をそこにブレンドしたか、という事です。


 情報を闇雲に突っ込めという訳では決してありません。私が幾度となく繰り返した過ちを読者諸君まで繰り返す必要はありません。

 記憶を処理して、精製して、精査して、書いて、推敲して、校閲して、修正して。

 その結果として出力される作品は、あなたが今まで得た記憶の真髄であり、貴方の人格をある角度から観測した出力物です。


 貶すようで申し訳ありませんが、先に述べたような、「なろう攻略法」の実践の結果出力される、量産型のオリジナリティが小さい作品は、情報があまりに少ないか、他者の『真髄』を啜り、ロクに消化出来ていないのに口に手を突っ込んで無理やり吐き戻すといったプロセスの結果、その薄さやアラを見破られてしまいます。


 そんな事無いと思われるかもしれせんが、どこかで出たボロは、いつか必ず誰かにバレます。

 私の場合、それは自分であり、また読者でした。


 これの恐ろしい点は、自分でさえオリジナリティの欠如と、それに伴う弊害を認識出来ていなかった点です。

 きっと、私が今日公開している作品も、アラが大変多く含まれるのでしょう。

 ある程度はこれを許容しつつ、最善を目指さなければ創作活動はやっていけませんが、同時に、自らの活用できる『耐久消費財』を増やす絶え間ない努力を怠ってはならないというのは読者諸君に説明するまでもありません。


 さて、私が受験生活の中、僅かな時間を見つけてでも創作活動を行っているのは、記憶の耐久消費財的性質に関係します。

 以下読者諸君の想像力に期待しますが、例えばここに革張りのソファーがあったとします。八十万円します。高いですね。


 もし仮に、コレを暗くてジメジメした場所に長期間置いた場合、どうなりますか?

 当然カビだらけになり、その価値は低減しますし、使いたく無くなってしまいます。


 創作活動の消費的側面については先に述べた通りですが、その過程で行われる記憶の維持管理という側面も忘れてはいけません。

 物理の公式なんかは強制的に『手入れ』させられますが、例えば爆弾の処理方法なんかは教室に突入してきたテロリストが仕掛けた時限爆弾を解除する妄想をする時以外には、創作活動の外に『手入れ』する機会はありません。


 記憶を『耐久消費財』と呼びましたが、なんとコレ、使えば使うほど馴染み、そして劣化も遅くなるのです。

 そして、パソコンのように必要に応じてアップグレードする事も出来ます。

 その気と努力を傾ければ、の話ですが。



 ここまで読んで、どう思われましたか?

 創作は難しく、そして縁遠いものだと思いましたか?


 『人の心を動かしたい』とか、『世の中を変えたい』とか、そんな立派な動機が無くても構いません。

 何でも、好きな事を、キーボードか原稿用紙の上を手が滑るままに、時に立ち止まり、頭を抱え、ふとした時に思い付いた面白そうなネタを忘れて悶絶するとしても、始めてみて下さい。そして、作品をネットという自由競争空間に放り投げてみて下さい。

 ここに書いた事は私の勝手な思い付きで証明もしていませんから、本当にゼロから、新しい何かを『創造』し、本論に対し反例を呈示する事が目的でも(もし出来たら是非僕に教えて下さい)構いません。


 その経験は、必ずやあなたの生きる糧となります。

 いつの日か、誰かがあなたの真髄を啜り、消化し、自らのものとして、あなたとは違った『オリジナリティ』を以て何かを創作する時がきっと来ます。


 そして何よりも、創作の楽しさを、記憶を消費する楽しさを是非知っておいて下さい。

 記憶を処理し、精製し、精査し、書き、推敲し、校閲し、修正する。

 文章力はこの過程で自然と身に付きます。


 創作の世界への扉はあなたの中にあり、いつでも開くことが出来ます。

 少しだけでも、開けてみませんか?





 と、偉そうに書きましたが、カクヨム甲子園に参加している所から察して頂ける通り、筆者はまだまだ生意気な餓鬼です。

 色々と不備があると思いますので、ご指導ご鞭撻の程、どうぞ宜しくおねがいします。


以上

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