第77話 モノクローム

(1)

 エルサザール島の海岸線が強く光った。

 上空のフィアルからは島を囲む金色の環がはっきり見えていた。

「島が沈む……!」

あちこちで大地が裂け、砕け、そこから海水が浸蝕してきた。エルサザール島そのものが含有していた魔法分子の全てが枯渇したというサインだ。

「(これで、決まってしまうんだな)」


――生き残るのは母親だろうか。それとも無二の戦友だろうか。


「(どっちだって、失いたくない!)」

フィアルのこの気持ちだけは確かだった。しかし、

「あ!」

リノロイドの放った魔法分子の結晶が均衡を突き破って双子達を飲み込んだのだ!

「(二人共……!)」

息を呑んだのも束の間、強い光と光の筋の隙間から、まだ戦い続けている二人を見つけたフィアルは、一度は安堵の溜息をついた。

「(でも――)」

反撃を望んでないもう一人の自分がいるのも本当だった――フィアルは、つい、顔面を掌で覆ってしまう。

「(辛いな、見守るというのも)」

 リョウならば何と言うだろう。

 セイならば何と言うだろう。

 母ならば何と言うだろう――そう考えれば、答えは何と無く見えてきた。フィアルは、なるべく彼等の近くにフレアフェニックスを走らせておくことにした。

 

 リノロイドの放った、まるで恒星のような魔法分子結晶に飲み込まれた双子達は、お互いの持つ神剣に守られるようにして立っていた。

 視界は眩しいくらいの白。それはリノロイドの放った強大な魔法球の光の中だからだったが、禁じられた区域(フォビドゥンエリア)の中の、あの神秘的な光を髣髴とさせるものだった。


 誰に諭されたのかは分からないが、双子達はかつてからそれを知っていたかの如く、感覚として誘われるままに互いの神剣を交差させた。すると、二つの神剣は瞬く間に融合し、一つの大きな魔法分子の結晶となったのだ。


 『真・絶対元素合成呪文(ジンテーゼ)!』


(2)

 リョウとセイの詠唱が終結した瞬間だった。

 リノロイドが放った魔法分子の結晶は、一瞬のうちにかき消されてしまったのだ。

 全ての抵抗を失った絶対元素の結晶が、ゆっくりとリノロイド目掛けて向かってくる。


 『魔王』はこの神威的なチカラの前に畏怖を感じた。

 同様の魔法球で相殺を試みるも、『勇者』の放った結晶の前ではあまりにも無力だった。

「(私の負けか)」

それはそういうことだった。

 リノロイドは、ゆっくりと伸ばし続けていた腕を下ろした。

 後は静かに神の裁きを待つのみ……そう、思われたが、

「(違う!)」

リョウは天を仰いだ。奇しくも、分厚い雲と雲の割れ目から光が差していた。

「(戦えば、――)」


“戦えば必ず負けるものが出る。負けたものはあまりに惨めだ。勝者が常に正しいわけでは無いのに”


 それは、いつかリナが漏らした言葉である。丁度、大きな赤い鳥がリョウの視界を過る。フレアフェニックスである。

「フィア!」

ありったけの声でリョウが叫んだ。そして、フィアルもそれを待っていた。


 「!?」

戦意を完全に失った魔王は、突如現れた優しい腕に抱き寄せられたのだ。

「母上!」

そのまま、フィアルは絶対元素合成呪文の軌道から、母と共に逃れた。

「正しい者が生き残る――それは、年表の上での出来事に過ぎない」

「しかし私は……」

母は戸惑っている様だったので、フィアルはやや強めの口調になった。

「誰よりも闇の民を愛した貴女には、闇の民がこの先踏み出す新たなる歴史を見守る義務がある!」

フィアルは、そう言ってやっと微笑んで見せたのだ。永く息子と“対立”という立場を貫いてきた魔王には、それが嬉しかったのだろう、

「アリガトウ」

と、素直に頭を下げたのだ。


 その時だった。

 

 勇者達の放った絶対元素の融合呪文を吸い込んだ空が、まるで一石を投じられた泉のように波紋を広げ、どんどん暗く鈍く淀んできたのだ。

「これは……」

驚愕するフィアルに、リノロイドが説明した。

「新たなる世界が生まれたということだ」


 高く澄んだ秋の空が暗くなり、やがてぼんやりと大地が現れた。それは水鏡のように、世界を反転させて映し出している。


「我々が手に入れた、新たなる世界だ」


(3)

 全世界中の民が、空を見上げて立ち尽くしていた。

 一体これは何なのか、何がこれから始まろうとしているのか。

 それは世界の終幕なのか、それとも神による救済なのか。

 人々は天と地と自らの動揺を鎮める為に祈りを捧げている。

 

 此処は光と闇が睨み合う最前線。

 兵士達が一様に空を見上げ、感嘆の声を上げている。

「これが――二つ目の世界!」

アレスはこの瞬間に悟った。戦いの終焉である。

 「撤収準備!」

決断は早いに越した事は無い。アレスはエルサザール島方面に展開させていた魔王軍第二部隊を回収し、退却の準備を進めた(後にこれは「名誉ある退却」という名の事件として歴史に残ることとなる)。

 それを受ける形となって、サンタウルス正規軍も撤収命令の準備に入った。

「アレス元帥……」

ふと、彼女は敵方の元帥に呼びかけられた。

「何でしょう、サンタバルト元帥?」

アレスが振り向く目の前で、敵方元帥が最敬礼をしてみせたのだ。アレスも兜を取って、最敬礼を返す。

 曰く。

「“勇者”を讃えましょう」

 

 勇者の故郷・レニングランドでは、町民一丸となって、魔王軍の一連の入植騒動で魔物の大群に取り壊されてしまった町の復旧作業をしている。

 その最中であるが、空の異変に気付いた人々が一斉に手を止め、空を見上げていた。

「何か、すんごいことになってるねえ」

マオが空に浮かぶ新たなる世界を仰ぎ見て声を上げた。

「これはどういうことなのかしら?」

イザリアが首を傾げる。その夫のラディンは持っていた角材を一度下ろし、妻と並んで空を見上げた。

「世界が変わる、ということなんでしょうね」

「じゃあ……」

マオが驚きと期待の入り混じった表情をラディンに向けた。

「まだ何とも言えませんが、空なんか見てないで、早く町を復興させておいた方が良いかも知れませんよ?」

 勇者の帰還を信じている人々が意欲的に働き始めたのは記すまでもない。

 

 神の都・レンジャビッチでは、不安を感じた光の民達が、アブダヤ寺院に殺到していた。

「フォーリュ様、お教え下さいまし! 一体世界はどうなってしまうのです!」

民達の目的はただ一つ。神託者・フォーリュの発する神の声を聴く為に集まっているのだ。

 さんざめく民衆が自主的に落ち着くのを待って、彼女は神の言葉を人々に伝えた。

「神はおっしゃいました」


――光または闇を纏いし兄弟の“別れの時”が訪れた、と。


(4)

 いつか何処かで見たような白一色の無辺の世界に、リョウはまた放り込まれたようだった。

 何と無くフワフワしたような感覚が心地良くて、リョウは暫く、何も考えずに疲れに任せてぼんやりしていた。


“よく、頑張ったな”


その声に驚くまま目を開けたリョウの眼前に、赤毛の少年が立っていた。顔に残ったままの大きな傷と、その背中に負った大きな剣――サンタバーレ城の螺旋階段の壁に掲げられていた数々の絵画の中に見た覚えのある顔だ。

「(ランダじーさん……?)」

問いかける暇もなく、残像だけを残し、彼はすぐに消えていった。次いで、二人の人影が白のキャンバスに現れた。

“お疲れ様! よく、ここまで頑張ってきたわね”

“誇りに思え。お前達はよくやった!”

「(父さん! 母さん!)」

いくらなんでもここに居るべくもない2人が現れ、リョウは瞼を擦った。しかし、もう、そこに両親の姿はなかった。


“リョウ、”


最後に聞こえてきたそれは、馴染みの声――

「(セイ……)」

終戦の喜びを分かち合おうと、リョウは起き上がろうとした。しかし、弟はすぐに自分に背を向けた。そしてこうも言ったのだ。


“じゃあ、な”


***


 「セイ!?」

リョウは起き上がった。

「あ!」

目覚めた其処は、あの真っ白な世界ではなく、地殻変動真っ只中のエルサザール島である。リョウは、すぐ隣に倒れている弟を見つけた。戦いの終焉を知らせてあげたくて、彼を起こそうと名を呼んだ。

 「セイ、起きろよ! オレ達、新しい世界を創ったんだぞ!」

「……。」

――しかし、セイは動かない。嫌な予感がして、リョウは強く弟の体を揺すった。

「セイ、起きろよ! やっと終わったんだぞ!?」

「……。」

しかし、弟に目覚める気配がない。リョウはこみ上げてくる不安を打ち消そうとして、更に強く弟の身体を揺さぶる。

「セイ! 帰れるんだぞ、レニングランドに! セイ!?」

大地が裂ける音がして、一度強く地面が揺れた。

「リョウちゃん……」

見るに見兼ねたフィアルがリョウの肩を優しく叩いた――ダメなんだ、と。

「……え?」

リョウは、何を言われているのか分からなかった。秋の風を茫然としたまま見送って、何とか顔を上げたのだが、フィアルの伏し目がちな表情を見てしまったリョウの心は、もう、打ちのめされてしまう。

「ダメって、……何だよ?」

リョウは言葉無く首を横に振り、顔を歪めてしまったフィアルに詰め寄る。

「約束したんだ! ――絶対生きて、レニングランドに帰ろうって!」

「もう、……ダメなんだよ」

もう一度そう言ったフィアルの声が小さくて、力無くて……

「嘘だろ? なァ、セイ!?」

リョウは、何度も何度も、弟の身体を揺すって起こしにかかろうとする。一体どうして、弟がこんな仕打ちを受けているのか分からなくて……

「生まれつき、魔力が消えていく病気を持っていたらしい。オレも、昨日聞いたんだ」

サンタバーレのメディカルアドバイザーからはドクターストップまでかかっていたとも説明したが、そんな些末なことは、最早リョウには届いていないだろう。

「お前だって、……ついさっきも約束したじゃねえかよ!」

絶対生きて、レニングランドに帰ろう、って――リョウは目覚めぬ弟の襟口に掴みかかって責め立てる。しかし、此処では大地さえ揺らいでいるというのに、弟は一向に目覚めるどころか、動こうともしない。

「こんなの、あんまりじゃねぇかよ!」

苦しかった戦いからやっと解放されたのに! 戦いに疲れた心と体をやっと癒せるようになったのに! ――嫌だ、と叫びたくても息も胸もつかえて声にならない。

「少しくらい報われたって、罰は無ェだろうがよ!」

やっと声を上げたリョウは、とうとう、セイの胸元に泣き崩れてしまった。

「……。」

同意しようとしたが、この双子達があまりに痛ましく、フィアルもこれ以上言葉にならなかった。


 その時だった。

「――本当にその通りだと思います」

不意の聞き覚えのある声に驚くまま、リョウは顔を上げた。

「誰だ?」

フィアルは初めて見る顔だった。服の裾まで伸びきった長い髪の中性的な顔つきの男と、その横に切れ長の細い目をした男が立っていた。

「貴方達は……」

全くの場違いだが、間違いなく、明護神使・ミッディルーザと暗黒護神使・ドゥーヴィオーゼだった。

 何故、神使達かこんな時に現れたのかを問い質す前に、彼等は直ぐに答えをくれた。

「チカラを返してもらいに参りましたよ」

相も変わらず柔和に、冷徹に、ミッディルーザが言った。

「でも……」

何とか涙は拭ったリョウは、目覚めぬ弟に視線を落とした。

「ま、硬いことは気にするな」

有無を言わさず、ドゥーヴィオーゼがセイの体に手をかざした。

 彼の詠唱と共に、一度強く光った“銀のブレスレット”がセイの腕からするりと抜けて、ドゥーヴィオーゼの手に渡った。リョウとフィアルはただその様子を茫然と見つめていた。

「セイとの盟約を解除し、彼に及んだ盟約の効果を遡及的に無効とすることで、彼がその身に受けていた闇魔法分子による疵癘(しれい)の分については、回復させてあげられるということです」

ミッディルーザの説明ではリョウとフィアルにはピンと来なかったので、

「つまるところ、アフターケアサーヴィスだ」

と、ドゥーヴィオーゼがまとめた。


 「後は、お前達の創った世界をよく確かめるんだな」

ドゥーヴィオーゼは新たなる世界の王となるフィアルに“銀のブレスレット”を託して消えた。

「そして後世の者に教え広めると良いでしょう。貴方達がこの旅を通じて見てきたことや感じたこと……」

そうすれば、いつかは光と闇も分かり合える日が来るのでは無いか――そう呟いて、ミッディルーザも消えた。

(5)

 「ん……」

セイの指が動いた。リョウとフィアルは顔を見合わせた。

「!」

眼が開いた。

「――お、」

笑った。

「見飽きたツラが並んでんなァ……」

何事も無かったように、彼はいつものように毒を吐く。

「セイ!」

「セイちゃん!」

リョウとフィアルは一斉にセイに飛びついた!

「散れ! このアホ共!」

セイは再び生死を彷徨ったという。

 崩れかかった島で、3人は暫く終戦の余韻に浸っていた――



 『勇者』はその目的を終え、『魔王』との戦いを終結させた。これにより、有史以来続いていた光の民と闇の民との長き戦いは、史実上幕を下ろすこととなった。しかし、それは同じ一つ時を共にしてきた光と闇の兄弟達が、空間を隔てて住まうことに依る。人間と魔族はこうして別離の道を辿る事となった。


 それだけが悔やまれる――『勇者』は後世の者にこう伝えたという。


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