第72話 戦線上のアリア「十三夜想曲」

(1)

 フェンリルとの死闘の疲れを癒す間もなく、先を急いでいたアレスだったが、

「これから、どうするつもりだ?」

などと亜麻色の髪の男に呼びかけられて、その足を止めた。

 丁度、アンドローズ城2階と1階の左翼階段の中腹に差し掛かろうかというところである。

「“どうする”なんて、決まっているでしょう。開戦までは、あと3時間を切っているのですよ?」

魔王勅命軍元帥として、現場を指揮監督するまで――そう言ったアレスは、残りの階段を一気に駆け降りた。

「本当にそうなら、穴が空いたドームから水竜(アクアドラゴン)で飛んで行った方が早いよねー」

フィアルはニッと笑ってアレスの前に立ちはだかった。彼女が向かうのは現場ではなく、1階にあるロイヤルガード控え室であろう。そこには簡易だが、高度な通信設備がある。

「迷っているんだろ? 全軍をフリーズさせるかどうかを」

「それは認めます――いいえ、」

一つ大きな溜息をついて、アレスは白状した。

「正直、フリーズさせようと思っています。彼等の戦いが終わるまでの暫定措置ですが」

主君も戦を永久的に回避できる彼等の案を呑むのではないか、とアレスは言っておいた。

「正直、大人しく呑んでもらうのは不本意だがな」

アレスに倣ったのか、そう白状したフィアルは苦笑いを見せた。彼としては、やはりリノロイドという諸悪の根源をこの聖戦で除しておきたい気持ちも強いのだろう。リノロイドとヴァルザードは歴史的に対立している為だ。それはアレスのような国家中枢に在る者ならば周知の事実である。

「貴方の私怨ですか」

せめて一国の統治を担う気でいるのなら国策に資するように、とアレスは厳しく突っぱねた。

「それはその通りだが、そうは行かないことくらい、歴史が証明しているだろ」

凡そ紛争は、権力者達の私怨で惹き起こされるものである。

 例えば、このヴァルザードは、リノロイドが人間居住区に侵攻し始めてからランダがリノロイドを封印したという大事件の前までの間を、“国体維持”という名目目的と“反魔王体制派の封じ込め”という実質目的で、リノロイドにより封印をされていた歴史がある。

「リノロイドだって、絶対に、オレ達の案は呑まないだろうよ」

それにしても、漆黒の皇子・ヴァルザードにしてはだいぶ弱気なものだとアレスは感じた。丁度、通信機器が元帥に応答を求める信号を受信して音を立てている。

「ならば、」

アレスはフィアルに背を向けた。

「全軍をフリーズさせても仕方ありませんね。よく、分かりました」

「いやいやいやいやいや! そこは何とかお願いしますよ!」

フィアルはアレスの白い外套にすがりつく。

「放しなさい、このバカ皇子!」

アレスは強引にフィアルの腕を振り解くと、大きな溜息をついた。

「見て御覧なさい。矛盾しているじゃありませんか」

この指摘は余りにも正確だったのだろう、フィアルは返す言葉を失って口をつぐんでしまった。

「貴方はまさか、貴方自身の野心の為だけにリョウ達と行動を共にしていたのでは無いでしょう?」

「愚問だなァ」

「そう言っているようなものではありませんか?」

――何処からともなく、白い羽毛が二人の前に降りてきた。

「止めよう。こんな時に」

「……そうですね」

自覚している以上に神経質になっているようだ――気持ちを落ち着かせるために、アレスは口元を覆って溜息を投げつけた。

 「確かに、」と認め、フィアルが続ける。

「お前の言う通り、オレの中にも矛盾があるんだ」

闇の民と光の民が恒久的に争わない為の世の中を造りたい気持ちと、リノロイドを許せない気持ち、その両方がフィアルの中に確かに在る。その方法論として、リノロイドを生かしておくことが「矛盾する」と思っているのが彼で、「矛盾しない」と思っているのがリョウとアレスなのだろう。

「もし、交渉がこじれれば、チカラを以ってしてでもリノロイドを黙らすしかなくなる――オレはその時に目的を果たせれば良い」

ヴァルザードがそこまで譲歩できるようになったのは、きっとあの双子達のおかげなのだろう。今なら、アレスもよく分かるのである。

「(では、頃合いなのかしら)」

アレスは、従前からの疑問を直接彼にぶつけてみることにした。

「何故、そんなにまでリノロイド様を嫌悪するのです?」

先ず、簡単にアレスは問うてみた。案の定、「今更」と眉を顰めてフィアルは閉口している。

「これも愚問だと?」

彼女は少し笑った。

「最近、疑問に思う事があったので、念の為に聞いておきたかったのですが」

怪訝そうな顔をこちらに向けたフィアルとは対照的に、アレスは淡々とした冷徹な口調で思いがけない名を口にしたのだった。

「貴方の妹・バラーダ皇女の“死”について、です」

「え……」

フィアルがそれを問い詰める前に、遠くから出撃3時間前を知らせるサイレンが聞こえてきた。

「――とにかく今は、全軍をフリーズさせる事でしたね」

優先順位を間違えた自覚はあるアレスは、ゆっくり瞬きして状況を整理する。


 出撃凍結に必要な事は何か。

 魔王軍一方の凍結では到底同胞から納得はされまい。結局は魔王軍と同時にサンタウルス正規軍のフリーズも行わなければならない。それも、最も兵達が信頼できる形で。

「アレス、バラーダは……」

気になるのだろうが、フィアルは言葉を止めた。そう、今はそれどころでは無い。あと3時間――この短い時間で両軍をフリーズさせる為の方法を練らなければならないのだ。それにしても、もう魔王軍とは関係なくなったフィアルまでが頭を抱え込んでしまっていた。

「――“除霊術”と言う技術を知っていますか?」

妹の死に関する話を唐突にされて落ち着かなくなったフィアルを見兼ねて、アレスは一度話を戻した。

「いや。でも聞いた事ならあるような、無いような」

案の定、彼は勢いよく喰い付いて来た。

「リノロイド様から頂いた『魔術全書』と言う書物に、意図的に破られた頁がありました」

それが『除霊に関する呪術』という項目である。

「貴方に告げるべきかどうか、正直のところ迷っていましたが、」

という前置を付け、アレスは事実と持論を展開した。

「その本のカバーに、貴方宛の便箋が入っていました。中身は、破られた頁番号と一致する書物の切れ端」

――これが何を意図しているのか、アレスは口元を緩めた。

「リノロイド様は、ひょっとすると、貴方に“除霊”して欲しいのでは?」

リノロイドは、いわば、“魂”と呼ばれている魔法分子の塊を使って、バラーダの身体を乗っ取っている状態だ。

 そして、ここで“霊”とは、『彼の身体を乗っ取ろうとする彼以外の魂』と定義される。

 確かに、それは“殺す”こととは少し意味が異なる。もし除霊術が有効ならば、バラーダは生きていると言う事が出来るのではないか。

 但し、このことは同時に、除霊術が有効ならば、確実にリノロイドはこの世から消えてしまうということをも予定している。

「全て理想が完成した後は、リノロイド様は貴方に殺されることにより、貴方に魔王(サタン)の地位を授けようとしているのではないでしょうか?」

「そんなバカな」

フィアルの動揺は先ほどよりも大きいようだ。それは無理もない、とアレスは思う。殺さねば殺されるというのが、端から見たリノロイドとヴァルザードの関係なのだ。

「次の世が貴方の統べる世だからこそ、リノロイド様は光の民を殲滅させておきたいのではないでしょうか?」

個人的な憶測に過ぎませんが、と念入りに結んだアレスは、放心状態となってしまったフィアルの肩――までは手が届かないので背中を叩いてやった。

「どうです? 少しは考えも変わりましたか?」

「アレス、お前さ、」

フィアルは苦笑いした。

「オレを苛めるの、生き甲斐にしてるだろ?」

「愚問ですね」

にっこりと、アレスが微笑んだ。こんなことが日常的に行われるから、例え次期魔王でも、フィアルは彼女だけには頭が上がらないのだった。

「さぁ、本題に参りましょう」

フィアルを散々悩ませながら、アレスは全軍を凍結させる方法にもケリをつけていたのだ。

「必要なものは私のサインと、テレポートリング2つです」

そしてそれはすぐに手配できます、とアレスの笑みは不敵な色を帯びていた。

(2)

 開戦一時間前となった。

「進軍準備、完了致しました!」

漸く姿を現した魔王軍元帥に、魔王軍第一部隊隊長以下が敬礼する。

「了解」

作戦は全て伝えてある。アレスは彼等一人一人に頷き返すと、兜を被った――

「進軍用意!」

「了解!」

それぞれが配置に付いた。間もなく、全部隊配置完了の知らせが届く。

「進軍開始!」

元帥アレスを先頭に、10万強の魔族達が一斉に飛空艇で空の移動を開始した。

 対岸に見えるはサンタウルス正規軍。12万の光の民達が海と空を渡ってやって来る。

「碇を下ろせ!」

第二国王兼元帥・サンタバルト3世が指揮する。

「飛兵部隊、直ちに配置に付け!」

「了解!」

サンタバーレの飛空艇が陣形を整えた。10海里先にはもう魔王軍の飛空艇団が見える。

「来たわね」

長い黒髪をポニーテールに結んだ長身の女性が口元を緩めた。

「まさか、こんな形で再会できるとは思いませんでしたが」

その女性とは対照的な金髪の男性が飛空騎に飛び乗った。

「いよいよ戦いも大詰め。志半ばで散ったリナの為にも、ここは何としてでも成功させなければ!」

「ええ」

二人は元帥サンタバルト3世と、サンタウルス正規軍の将軍達と、そして、突然現れた亜麻色の髪の男に敬礼すると、彼等の背後に控えた。

 

 数千年前に“双子の勇者(ケツァルコアトル)”が、一つの大陸を二つに分けた際にできた海の真上で、今、魔王軍元帥と魔王軍部隊隊長、サンタウルス正規軍元帥と将軍と三人の戦士が対峙した。

「そんなバカな!」

魔王軍の飛空艇の中では大パニックになっていた。

「あれはディスト様とソニア様じゃないか!」

「もう御一方は、ヴァルザード皇子だぞ!」

――何せ、この海上の1ポイントにて、数ヶ月ぶりに四天王が顔を合わせたのだ。

「では、この度の凍結はあの御三方が?」

「やはり、我々を見捨てなさったワケではないのだ!」

「でも、まだそうとは……」

「いや、きっと……!」

混乱する兵士達の思いは様々あるが、海上に設けられたステーションでは話が進行していた。

「初めまして、サンタバルト元帥」

アレスは兜を被ったまま一度頭を下げた。

「この様な申し出を頂けて、正直、安堵しています」

サンタバルトも形式的に一礼する。

「我等が主君リノロイド様とランダの末裔達――彼等の戦いが終結するまでは、我が軍としても無益な戦いは避けたい」

アレスは冷徹にそれだけ述べた。

「ご理解、感謝します」

謝意だけを伝え、サンタバルトは境界線から離れた。リョウ達の戦いの行く末如何で、彼等は殺し合わなければならないからだ。

 しかし、少なくともそれまでは両軍共に安全の保障が必要だった。その安全保障機能こそが、既にサンタバーレにも顔が利くようになっていたフィアルと、未だに部下達からの篤い信頼があり、回収命令すら履行されていないディストとソニアという二人の元魔王軍部隊隊長だったのだ。

「全軍には既に待機命令を出してあります」

アレスがフィアルにそう告げた。

「余程の命知らずでない限り、いきり立って向かってくる奴はいないだろうよ」

フィアルが苦笑した。何せ、此処にいるのは闇の民の無敗の時代を築き上げた“四天王”なのだ。

「お役に立てて光栄よ」

ソニアがニッと笑みを返した。

「リョウとセイなら、きっと戦いを終わらせてくれる!」

――その時は……アレスもソニアを見て、笑みを返した。私的にコンタクトを取れる立場では無いが、事実、アレスとしても無二の親友であるソニアとは戦いたくない。戦争が回避され、再び友と杯を酌み交わせる日がくることを信じる希望をくれた、神と『勇者』に感謝した。

「しかし、よくぞ協力して下さいました」

サンタバルトがディストとソニアにも謝意を伝えた。この二人の謀反は周知の事実だが、サンタウルス正規軍の中には、彼等四天王に家族や友人を殺され、未だに根に持つ者は数多い。加えて、魔王軍からは謀反の嫌疑で回収・処分命令が出されている。此処はこの二人にとって、最も危険な場所であるといっても過言では無い。

「だからこそ、協力したいんです」

ディストが口元を緩めた。

「此処で殺されても文句の付けようが無い事をしてしまいましたから、覚悟は決めて来ました。でも、『勇者』の助けになれれば、殺されたとしても本懐を遂げたというもの……」

ディストが言い終わらぬ内に、

「殺されるなんてそんな……そんな物騒なことはさせません!」

「その通りさ。色男は大船に乗った気でいなよ!」

アデリシアとカルナを中心として、対岸からも交互に安全を叫ぶ女声が聞こえる。どうも、ディストには女性陣を中心に手厚い安全保障機能が働いているようだ。その横で、

「(おのれっ!)」

フィアルとソニアが適度にナイーヴになっていたという。

「(彼等をもっとよく知る機会があれば……)」

サンタバルトはふと思った――もっと早い段階で、戦争は回避できていたのかも知れないな、と。

「たった今、主君から伝言を承りました」

アレスの一言で、その場に再び緊迫感が戻った。

「宣く、“ランダの子孫を裁きの炎で焼いた暁には、魔王(サタン)自らがこの聖戦に赴き、光の民を歴史の闇黒へと葬り去るだろう”」

軍事境界線を挟んだ両サイドが一様にさんざめく。

「そうなれば、確実に、こちら側は消し飛んじゃうわね」

ソニアも後方のサンタウルス(人間居住区)を不安そうに眺めた。

「この段階での全軍の凍結が、リノロイド様にも承認された――ここはそう見るべきでしょう」

ディストの解釈に、アレスも頷いた。そうして、傍らで小さくほっと息を吐いた長身の男を見上げた。曰く。

「そういうことですから、頼みましたよ?」

夕日が雲に反射して空が焼けている。亜麻色の髪に映る緋は、炎のように頼もしく見えた。

「任せとけ。絶対、また戻って来るから!」

その言葉だけを残し、手を振って消えたフィアルの首には、赤い石のペンダントが掛かっていたという。

(3)

 いつの間にか眠り込んでしまったらしい。フワリとした絹の優しさを感じて、リョウは目を開けた。

「悪い、起こしちゃったな」

そんな聞き慣れた友の声に現在状況を見失ったリョウはすぐに起き上がった。広い部屋なのに、見事な装飾がされた大きなベッドと大きなデスクが一つずつしかなく、後はガランとしていて、何とも生活感が無い場所だった。シャンデリアのような照明はあるが、導線がショートしているのか、それは点されていない。

「大丈夫。此処は、まだオレがこの城に住んでいた時に使っていた部屋だ」

つまり、フィアルがヴァルザードだった頃の部屋だ。フィアルはリョウの横に並んで、ゆっくりベッドの端に腰を下ろした。

「オレも久々に帰ってきたわけだ」

まさか、殆ど手付かずのまま残されていたとは思いもしなかったが、つまるところ、他に誰も使いそうな者がいなかったということなのだろう。

「放蕩息子のご帰還ってか」

「ヒトを遊び人みたいに言うなやぃ」

リョウとフィアルの笑い声が城中に響き渡るほどの静寂であった。しんとした暗い部屋の片隅に、道中で使い込んだカンテラの炎が揺れている。

「セイは?」

「今、御厨(みくりや)にいる」

喉がまだ傷んでいるようだから、水で潤すようにと、フィアルが促したらしい。しかし、それは単なる名目目的に過ぎないようだ。

「ちょっと、伝えておきたい事があるんだ」

実質目的はセイに席を外してもらうことだったようだ。何時に無く神妙な顔をしているフィアルに、リョウの方も戸惑った。

「何? またセイの奴に何か言われたか?」

「いやいやいや、そうじゃなくて……」

セイが来ないかどうかを確認し、漸くフィアルが切り出した。

「さっきの戦いで気付かなかったか?」

そう言われてもピンと来るものはなかったので、リョウは仕方なく首を傾げて見せた。フィアルは説明を続ける。

「セイちゃんが光属性になった時、魔力量がかなり萎むんだ」

「萎む?」

やはりピンと来るものがなく、フィアルの言葉を繰り返してはまたも首を傾げるリョウに、フィアルも何とか分かりやすい例えで説明する。

「何て言ったら良いかな……例えは悪いけど、老衰していくみたいに、光魔法分子がどんどん消えていくんだ」

「え?」

リョウは言葉を失う。“光の民”とは文字通り、光魔法分子によって生かされている。その光の民にとって、光魔法分子を失う事は――死に直結する。

「だから、なるべく、セイちゃんには闇属性のままで戦ってもらうようにした方が良い。じゃないと……」

フィアルが言葉を呑み込んだ。足音が聞こえてきたからである。

 足音が近付き、やがて扉を開き、閉じる音がした。

「何だ、もう起きたのか」

弟が帰ってきた。

「セイ……」

一体何をどう問い質せば良いのか分からず、リョウは言葉を選んでしまう。

「何だよ?」

弟に促されても上手く訊けないリョウの代わりに、フィアルがこんな風に切り出した。

「リナ姉のこともあるし、もう、隠し事は止さないか?」

「……。」

これですぐに何の事を言われているのかを理解したセイは、リョウから目を逸らしてしまった。

「やっぱお前、何か……」

問い質そうとしたリョウだったが、

「何でもねえよ」

リョウの言葉を遮って、さっさとセイが答えを出してしまった。

「何でもねえ? 闇属性を解いたら、お前の魔力が萎んでいったって何でもねえ訳か? 下手すりゃ死ぬんだぞ!」

リョウとしては結構真剣に心配していたつもりだったのだが、セイは鼻で笑っている。“余計な事を”とでも言いたげな眼だ。

「当たり前だろ、」

――やっと、リョウはセイと目が合った。

「暫くずっと闇属性のままだったから、本来の光属性がビビっちまってんだ。問題ない」

随分淡々と「それだけだ」とセイが会話を畳んだ。フィアルが天井を仰いだところである。

「なら、良いんだけど」

リョウはホッと溜息をついた。何せ、リナを失った直後だ。今は正直、それ以上の喪失を受け付けられない。

「分かりゃ良いんだよ、低能」

投げやり気味にそう吐き捨てたセイは、フィアルにガンくれてベッドに座り込んだ。

(4)

 フィアルは、サンタウルス正規軍と魔王勅命軍の双方が一時進軍凍結している旨を双子達に告げ、双子達は、リノロイドが現れてエルサザールに来るよう言われた旨をフィアルに告げた。


 エルサザールは人間居住区(サンタウルス)と魔族専住地(サテナスヴァリエ)の間に位置する小さな孤島である。かつては光の民と闇の民が共存していた永世中立国だったが、リノロイドが魔王に君臨してすぐに、彼女により滅ぼされてしまった。

 今となっては、世界一大きな無人島である。誰もが“魔王”からの制裁を恐れ、立ち入ろうとしなかった為だ。

 そこはランダとリノロイドが百余年前に“聖戦”を繰り広げた曰く付きの場所でもあり、その戦いに敗れた“魔王”が封じられていた場所だったという経緯に拠る。


 ――正に、“最終聖戦”としてふさわしい場所だった。


 「明日にでも、エルサザールに行くか」

リョウが決断した。依然として光と闇の合成呪文は未完成のままだ。しかし、使わないに越したことは無い。

「使わせないようにするさ」

フィアルはそう言った。それが此処にいる目的の半分でもあると彼は思っている。セイは黙してリョウとフィアルのやり取りを聞いていた。

 明日の朝、此処からエルサザールに赴き、リノロイドと今後の事を話し合う。交渉が決裂し、戦闘を回避できない場合に限り、フィアルが中間目的(つまり、リノロイドの抹殺)を達成する為にリノロイドと戦う。リョウにはフィアルが母親を抹殺しようとする気持ちが理解できないし、フィアルもその理解を必要としていない。確認するまでも無かったことだが、やるべき事を明確にして置けば、今、するべきことも見えてくる。

「オレ、もう一度寝るわ」

リョウのその決断は、今できる最善且つ最良の策だ。まだ朝日が昇るまでには若干の時間がある。

「オレ達も寝るか」

フィアルが欠伸交じりでそう言い、セイも黙って一つ頷いた。この広くて奢侈的な造りの部屋には何とも不釣合いなカンテラの火を消すと、カーテンの取り外された大きな窓から、十三夜の月の光が青白い絹のシーツに差し込んでくる。


 間もなく、リョウの寝息が聞こえてきた。

「……。」

柔らかい絹のシーツから滑り降りて、セイは静かに部屋を出た。

「……。」

フィアルもその後を追った。


 白い壁と赤い絨毯を辿れば、先刻までオオカミのバケモノと戦っていた王間に出られる。昨日までは寝食さえ共にして戦ってくれていた天使も、もういない。ドーム状の屋根や壁は粉々に砕け散った筈だったが、城の周りに配置されていた幾つかの魔法分子の白い光の塊が、黙々と補修作業を行ってくれていた。割れてぽかんと口を開けた天井から、少ない星と南中を過ぎた月が覗き込む。

 「嘘つき」

とフィアルが言った。セイは月からフィアルへと視線を移した。

(5)

 必ずしも真実が美徳だとは思わないが、先ほどついた嘘がいつか必ず自分を追い詰めるだろうことはセイも自覚していた。

「此処に来て、またアイツを迷わせると厄介だ」

あの甘チャンの事だから、弟に何処か患いがあると知るや否や、明日の戦いから外しにかかるだろう――セイとしては煩わしい以上に、そんなことはされたくなかったのだ。

「厄介なんて言うな。お前の命には代えられない」

例え“勇者”として「不適格」の烙印を押されても、リョウは弟を魔王の元へ連れては行かないだろう。

「オレだって、リョウちゃんと同じ気持ちだよ」

しかし、セイは少し笑ってフィアルの思いやりを拒否したのだ。

「今更お前等が喚いてどうなる問題でもないんだ」

小首を傾げた親切な闇の民の皇子に、嘘つきな勇者は正直に告白することにした。

「5、6年前から分かっていたことだ」

セイの身体には大きな瑕疵がある。即ち、光魔法分子を消耗する度に回復する力が、セイの場合、通常の光の民と比べて極端に低いのだ。正に、いずれ闇属性魔法分子を操る”黒き勇者”として世に現れる為に持って生まれた瑕疵というべきであり、それを補う為に持って生まれた剣の才能なのであろう。

「ひょっとしたらオレには、平和な世界というヤツを拝む機会はないのかもな」

――だから、同じ双子なのにそれが無かった兄に辛く当たっていたフシも否めなかったし、せめて誰よりも強くなりたかったし、その反動で、何不自由なく生きて被害者面しているだけの光の民を見て苛ついていた。

 それは違う、と突っ込んでくれたのがあの天使であり、目の前のこの男であり、兄だったのだろう。

「そんな……そんなに前から?」

フィアルは愕然とした。魔王軍が血眼になって探し出し、何が何でも抹殺しようとしていたのは、放っておいても何時死ぬか分からない17歳の少年だったのだ。それなのに、少年は見事なまでに強大だった魔王軍のチカラを殺ぎ落として、均衡を導き、魔王をも追い詰めた。今、世界の行く末はその少年達に委ねられている。運命を決めるものは、あまりにも儚くて、脆い!

「それはそれにしても、今まで無駄も遠回りも多くてな、」

月を見上げて、セイが笑った――父の仇は討てなかったし、守りたい者を守る事もできなかった。強くなろうとしても弱さだけが露呈されるだけ。他人を傷付ける為だけに得たチカラなんてものは、結局は無力だったのかも知れない。

「だからせめて、余生くらいは有意義に使わせろ」

最近になって、やっと、セイはそう思えるようになったところだった。

「……っ!」

役目を果たしたこの『勇者』は、自らが作り変えた世界に留まる事は無いのだろう。フィアルは居た堪れなくなって、十三夜の月を仰いだ。

「泣いてくれてんのか?」

セイが苦笑した。


「――泣きてェのはこっちだよ」


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