第69話 Badda dan DEM(2)
(1)
「まだ死ねないらしいな」
そんな声がかけられて、リナは目を開けた。丁度、ファリスと目が合った。
「それとも、“走馬灯”でも見ていたか?」
ファリスの笑い声が遠い。成程、左の鼓膜までやられてしまっているようだ。なかなかの無様だな、と何だかリナは笑えてきたが、どうも直ぐには起き上がれそうもない。
「“ヴェラ”という名に聞き覚えがあるか?」
仕方なく、リナは仰向けのまま尋ねた。
「ヴェラ?」
何か思い当たるものがあるのだろうか、ファリスが表情を変えた。その手に充溢していた魔法分子が、結晶化を止めて拡散していく。
「ヴェラ……?」
見るからに動揺し始めたファリスは、とうとう呪文を解除してしまった。
「アンタが試験管から覚醒する前に、私が資料を片付けてしまったからな。知らないのも無理は無い」
せめて、くたばる前に教えてやる――そう前置きしてリナは続けた。
「ダイノ博士って言うのは、私達の実の父親なんだとさ」
「え……?」
では、目の前のこの死にかけている「リナ」という女魔族は、自分の“肉親”なのではないか――
「ヴェラは……私の……」
ファリスが何かを思い出しかけた、正にその時だった。
「じゃあな、ファリス姉さん」
リナの身体が強い光と熱を放ち、ファリスの皮膚を焦がした。
「うッ!」
ファリスは思わず後ろに跳んだが、もう既に床に倒れていた筈の女はいなくなっている。その代わり、
「!?」
黒い皮膚の“天使”が眼前に舞い降りたのだった。
『天国への招待状(フロムフィーバス)!』
突如目の前に現れた光のバケモノを取り込む隙など、ファリスにはもう無かった。
「(リノロイド様……!)」
ファリスは目を閉じた。
――貴女との約束をお守りすることができません。どうか、お許し下さい。
『魔力回復呪文(エナジードレイン)!』
ファリスを飲み込み、拡散していく魔法分子を、リナはなるべく身体に取り込む。
「う……」
黒く変色してしまった皮膚が、再び明るさを取り戻そうとしている。リナはその細胞の躍動に耐え切れず、膝をついた。しかし、彼女には会心の笑みがあった。
「悪いねえ、」
影も形も無くなってしまったファリスにも聞こえるように、リナは声にしたのだ。
「私は、まだ、誰が何と言おうと“リナ”なんだ」
――まして、ヴェラなんて一体何処の誰のことやら。
(2)
光と音が止み、ぞっとするほどひんやりと冷たかった空気も、緩やかに熱を取り戻しつつある。
アレスは崩れるように床に膝をついた。
「(こうするしかなかった……)」
諦めと覚悟なら、彼女だって何度でも試してきた。それでも、絶望に慣れることはなかったようだ。溢れてくる色々な思いと涙を胸の中に詰め込んで、彼女はこれから再び前線で指揮を執らねばならない。しかし、
「フィアル……」
彼の為に涙する時間を惜しめずにいたのもまた、本当だった。
通信機器の呼び出し音が鳴り出した。開戦まで、もう15時間を切っている。そろそろ前線へ赴いて、全軍の士気を高めなければならない時間だ。
「(行かなければ……)」
心のどこかでそう思っているのに、そうは思い切れない程、彼女は虚脱してしまっている。この孤高の元帥には、それもショックだった。
「どうして――」
何故、この男は自分の目の前に立ちはだかったのだろう――アレスは顔を上げた。魔王軍を出る覚悟があったのなら、彼だって当然、敵対する自分と戦わねばならないことくらい分かっていた筈だ。それなのにこの男は、自分と会うなり剣を捨てた。よもやみすみす殺されに来たわけではあるまい。
「(ひょっとして、)」
まだ、生きているかも知れない! ――アレスは階段の手前に倒れているフィアルに駆け寄った。
「!」
全身血だらけで見るに絶えない姿になってはいたが、小さな呼吸の音がフィアルから聞こえてきたのだ。
「フィアル……!」
小さくその名を呼んだアレスは、掌で顔を覆い安堵の表情を隠した。しかし、やるべき事は決まっていた。そう、彼女はこの男にとどめを刺さねばならない。アレスは再びサーベルを鞘から引き抜いた。
丁度、階上から大きな爆発音が聞こえてきた。
感じるのは大きな炎のエネルギーである。アレスはファリスの玉砕を悟った。また一人、仲間を失ってしまったのだ。
「(これが戦争)」
その為に彼女は両親から引き離された。親の代わりに育ててくれた孤児院にいる、似たような境遇を持つ義兄弟達の生活の為に、彼女もまた多くの罪無き人を殺し、戦いに勝ち続けなければならなかった。その代償にアリスという妹を失っても、ソニアとディストという友を失っても、ファリスという同志を失っても。
――そして今、彼女は、フィアルをもこの手にかけようとしているところだ。
フィアルの心臓を睨むサーベルの切っ先。アレスは凶器の柄を胸の前に掲げ、強く、目を閉じた。
「(この腕さえ下ろせば……)」
この腕さえ力無く、重力に従うままに振り下ろせば良い。それだけで、この亜麻色の髪の男は戦没者として歴史に名を刻むことになるのだ――この腕さえ下ろせば!
「(でも……)」
動かない腕。乖離し続ける建前と本音。曰く、
――モウ嫌ダ、コンナコト。
「ア、レ、ス?」
聞き慣れた、優しく大らかな声がアレスを呼ぶ。驚いたアレスは声の方を振り返る。
「!」
アレスは声を失う。何と、今までそこに血だらけで倒れていた筈の男が、彼女の後ろに無傷で立っているのだ!
「ああ、別に驚くことじゃなくって……」
フィアルはニッと笑って掌に握りしめていた黒い石をアレスの目の前に投げてやった。
「これさ、さっきヤカちゃんから貰った、世界樹の化石」
呆気に取られているアレスをよそに、フィアルは続けた。
「これ、スゴイべ? 石の中に、回復呪文(ヒール)の結晶が入ってて、持ち主の詠唱で石が割れて、ヒールを発動するんだって」
どうやら彼は、アレスの剣を瞬間移動呪文(テレポート)で躱わし、『世界樹の化石』というアイテムで回復したようだ。
「そんなコトくらい知っています!」
アレスは強い口調でそう言い放つと、フィアルから間合いを取った。
「オイオイ、ムキになるなって!」
再びサーベルをかざすアレスを止めようとしたフィアルだが、これでは無駄だろうことも承知していた。
「うるっさいわね! さっさと殺しておけば良かったわ!」
「何だよ、ちょっとくらい躊躇してくれても良いじゃん!」
「お黙りなさい!」
アレスは水魔法分子をかき集める。今度は幾許かの期待を込めて。
「全く。お前って、ホントひと手間かかるよな」
それでこそ知将って言うんだろうケド、とフィアルは一つ小さな溜息をつく。その反動も利用して、フィアルは大きく息を吸い込んだ。そう、知将たる彼女の理智を圧倒するためには、彼女の本能に訴えかけるしかないのである。丁度、アレスの詠唱も完結した頃合である。
『死を告げる赤き流星群(ルビーリボルバー)!』
アレスの詠唱により、フィアルの目の前にはあたかも弾丸のような水属性魔法分子の結晶が幾つも幾つも現れ、一斉に彼目掛けて飛んで来た。それらはアレスの仕掛けていたマジックトラップと共鳴し合い規則性の無い軌道を描いてはいるが、必ず彼を仕留めんと降り注ぐ、星の如きである。万事休す、と思われたフィアルは、しかし、大きく息を吸い込んだ他は、呼吸をぴたりと止めただけだった。
「!?」
この場の空気の色が変わったように、アレスには見えた。彼女のその錯覚は、突然訪れた戦いの結末そのものだったのだ。
『呪文消滅呪文(ディサピーア)!』
フィアルのそれは、詠唱というよりも言霊に近かった。彼の強烈なエネルギーを帯びた言葉一つ一つが負のエネルギーに変わり、アレスの仕掛けた水属性魔法分子の結晶やフロア中に設置されていた全てのマジックトラップが、いとも簡単に消滅してしまったのだった。
「(これが……!)」
彼女自身の手加減はいくらか手伝っているかもしれないが、この場の魔法分子結晶の全てがいきなり無に帰したのだ。そら恐ろしさを感じて、アレスは思わず床に座り込んでしまった。これが有史以来、全魔族を束ねてきた魔王族の末裔、“漆黒の皇子”・ヴァルザード本来のキャパシティーだったのか、と。
「……ゴメン」
頬に表れた王族の証たる赤い線状紋を掌で隠すように覆って、フィアルは言った。
「怖いなんて、思われたくはないんだ」
――だからこの顔キライなのにィ、とおどけて舌を出したフィアルの笑顔は相変わらず優しくて……アレスは言葉を詰まらせたまま、首を横に振った。
「それで、アレス、」
フィアルは頬の紋が消えた頃合いを見計らってから切り出した。
「頼みたいことがあるんだ」
「何を今更……」
アレスはゆっくり立ち上がると、服に付いた埃を手で払う仕草を見せた。
「貴方はこの魔王軍から脱退して、我々とは敵対する道を選んだのですよ?」
「いやいやいやいや、オレはリノロイドと歴史的に敵対しているだけであって、別に、今までちゃんとメシを食わせてくれてた魔王軍を、敵に回して戦うつもりは無かったんだってばァ」
フィアルは力説する。
「そんな屁理屈通用するもんですか!」
アレスは溜息をつく。
「貴方は、それ程までのキャパシティーを持っているのに、敵対する軍の元帥である私を抹殺することもできない。政治的にも軍事的にも頂点を狙っている貴方がそんなことでは、民からの信頼を損ないます!」
それは正しい指摘なのかもしれないが、フィアルにはそれができない理由があった。
「だってさ、」
フィアルは頬を掻いた。
「……戦いたくない、って言ってくれたから」
「あれは……」
――なるべくなら、戦わずにいたいわね。
それは、フィアルが軍を脱退する直前にアレスに出した問いかけの答えである。アレスは思わずフィアルを見つめてしまった。彼の深い碧の目と自分の目がふと合ってしまう。いつもなら否定して冷たい言葉の一つくらいは掛けたかも知れないが、どうも今の彼女にはそれができなかった。
「そんなに深く考えるなよ。照れるじゃん!」
いつもと様子の違うアレスに、フィアルの方が気まずくなったのか、話題を変えようとしたので、アレスもそれについて行くしかなかった。
「頼みとは何です?」
フィアルに背を向けて、アレスは言った。
「え? 聴いてくれるの?」
「聞くだけです。」
「あぁ……(ま、一歩前進か)」
フィアルは苦笑混じりで切り出した。
「今から前線へ行って、全軍をフリーズさせて欲しいんだ」
そう、せめてリノロイドとの決戦が終わるまでの間だけでも、魔王軍とサンタウルスの正規軍との戦闘を停止させておきたかったのだ。そして、それは魔王軍最高司令官元帥である彼女にしかできない。
「今更何を言い出すのかと思えば……」
アレスは大きな溜息をもう一つついた。
「貴方達の戦いの趨向を待つメリットよりも、今すぐにサンタバーレを攻めるメリットの方が、論ずるまでも無く重要です」
想定通りのアレスの見解である。フィアルはニヤリと笑ってそれを否定した。
「オレ達には、戦争を永久凍結できるツールが有ると言っても?」
「永久……凍結?」
フィアルにそう言われて、アレスもふと思い出したのだ。
“オレ達は、この世から戦争を亡くす”
何時だったか、セイからもそのような事を言われたのだ。
「アレス、“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)”って、知ってるだろ?」
そんな疑問文から切り出されたフィアルの話の内容は、修道女出身の彼女にとっては驚愕すべきものだった。
「世界を二つ作るですって!?」
先ず、彼等が“禁じられた区域”の内部に立ち入ったという事にも驚かされたのだが、彼の話の内容もアレスの想像以上に非現実的なものだった。
「本当だ、アレス。オレ達にはそれができるんだ」
だからチカラを貸してくれ――彼はそう言うのだった。
「そう言われても……」
世界を二つ作るなど、もはや神の領域の話である。一体あの双子の兄弟がどんな高度な魔法を使えばそんな事が出来るのだろう。アレスの知る魔法科学の諸学説にもそんなものは無かった。ただ――
「(もしそれが叶うなら……)」
アレスは視線を落とした。間違いなく、光と闇というフィールドが争い、傷付けあう歴史には幕が降りるだろう。軍事政策に偏重気味だった国政も、一転して福祉政策に切り替わるかも知れない。光の民の殲滅よりも、今日の家計を憂いる闇の民にはその方が幸せなのかも知れない。何より、それこそが、平和を愛する義母や、志半ばで戦没した妹・アリスの願いだったのだ。
「だから言っただろ。オレ達は戦いにきたんじゃないって」
リノロイドとこの事について交渉したい。ランダの子孫達はその一心だけで此処へ来たのだ、とフィアルが結んだ。
「交渉ですって?!」
アレスは思わず王間の方を見上げた。首を傾げたフィアルに、今度はアレスが驚愕の言葉を返した。
「もう此処にはリノロイド様は居ないわ!」
アレスはサーベルを鞘に収め、腰のベルトに掛けた。
「王間に居るのは超強化型フェンリル――このままでは彼等が危険よ!」
「え!?」
フィアルも上方を見上げた。王間では既に戦いが始まっているのだろう。幾つか爆発音が聞こえて来る。
「急ぎましょう! 手に負えなくなる前に」
アレスが水竜(アクアドラゴン)を召喚する詠唱を開始した。城内での飛行や飛空騎の召喚は固く禁じられているが、今はそんな事を論じている場合ではない。フィアルは剣を拾い上げると、アレスと共にアクアドラゴンに飛び乗った。
(3)
王間への扉を開けた双子の目の前に飛び込んできたのは、まるで水晶のような奇石。陽光に煌く宝石の如きそれらが、何十、何百枚と空や大地を映し込んで宙に浮かんでいる。
双子の眼前にあるその宝石が導く先は王間だが、城から伸びた宝石は魔王勅命軍本部や行政庁舎へと繋がっているようだ。どうやらこれら奇石は巷で言うところの「階段」と認識すべきものらしい。
つくづくアンドローズ城とは、石英の織り成す傑作のようである。
「絶景だな」
と、情緒などあるのかどうかのセイさえも、思わず足を止めて溜息をつくほど美しかった。
王間という場所や奇石の階段は天空にフワリと浮かんでいるように見えるが、これらは魔法分子によって支えられているらしい。あまり魔法分子に馴染んでいない光の民の文化圏で育ったリョウとセイには強烈なインパクトを与えていた。
「落ちるんじゃねえだろうな」
リョウは宙に浮く「階段」を叩いてみた。
「ま、オレ達に落ちてもらった方が、リノロイドには都合良いだろうな」
現場は地上10階である。セイは躊躇なくリョウの背中を押してやった。
「危ねえって! シャレにならんから止めてくれ!」
宙に浮く奇石にしがみ付き、そう叫ぶ兄を踏み越えて、セイはさっさと最後のゲートに辿り付く。
「オイ、グズグズしてないでさっさと来やがれ」
セイは本当にこんな調子だから困る。
「魔王はともかくお前ばかりは後でぶっ殺す!」
リョウの血圧が適度に上昇した。
いよいよ魔王との交渉に入るのだ。ここから先は自分達の一挙手一投足が民の運命を大きく変えてしまう。眼前には不死鳥のレリーフがなされた白い扉。神聖な雰囲気すら漂うその扉に、セイが手を掛けたところである。そこへ来ての、
「お邪魔しマースっ!」
と後方から飛んできたリョウの間抜けな声に、緊張感に水を刺されたセイは眉を顰める。
「え? いやさ、一応ヒトん家だから」
「もう良い」
気を取り直して、セイは扉を開けた。
王間を形成しているドーム状の青白い石(魔法鉱石であると思われる)には、美しい彫刻がされていた。
その屋根は半球状のクリスタルガラスの上から金の唐草文様で装飾されている。
何やら様々な宝石の原石がモザイク調に敷き詰められた床を真っすぐ辿ると、紅染めのシルクウールの絨毯を無造作にうち掛けてある階段と、王座。
外観からの印象よりも随分と奥行きがあるように、双子には見えた――それは、この場がいやに殺風景だからだろうか。
「リノロイドは……いや、誰もいないのか」
大きな魔法分子の波動を感じていたセイは、辺りを見回して人の気配を確認する。
「……ペットちゃんぐらいはいるんじゃない?」
立ちはだかる何者かが「人」ではないと、リョウは気付いていた。王間とは大きく場違いな匂いがするのだ。もっと言うと、獣臭いのだ。
何処とは特定はできないものの、禍々しいほどの凶気を感じる。数日前に彼等の前に現れたリノロイドのものとは少し違うものだ。
「何処だ!?」
セイの言葉に合わせるように、大きな魔法分子が動いた。それは王座の向こう側から出てきたのだった。
(4)
「コイツは……」
リョウとセイは息を呑んだ。目の前に現れたのは、魔王ではなく、銀色の毛並みをした大きなオオカミのバケモノ――超強化型フェンリルだったのだ。
「(コイツと戦うのか)」
自分の体の3倍はあろうかというバケモノに、セイは大きく溜息をついた。リノロイドとの決戦の前に体力の大きなロスは避けられなさそうだ、と覚悟したのだ。
「(コイツと戦うのか)」
リョウは思った――せめてもう少しだけ小さかったら、もっと愛せるヤツだったかもしれない!
「殺るぞ?」
兄の考えていることが何となく分かったセイが、横目でリョウを睨んでいた。
「ハイハイ、分かってマスよ」
リョウは一つ深呼吸をした。セイは剣を鞘から引き出し、身構えた。
『神よ、我が祈りに応えよ……』
リョウが詠唱を開始した。フェンリルが双子達の攻撃を待たずに飛び掛ってくる。
『闇系属性魔法球(コズミックダスト)!』
セイが詠唱を省いて魔法球を打ち込む。フェンリルは闇魔法分子の結晶に弾き飛ばされ、白い石の床に背中から叩き付けられる。丁度、リョウの呪文の詠唱が完了した。
『瞬速呪文(クイック)!』
リョウの投げ付けた魔法分子が、セイの周囲の抵抗物質を取り除く。詠唱の効果はおよそ10秒。その間はセイに触れる空気や魔法分子は抵抗物質とされ、排除される。呼吸にやや難を来たすが、構わず、セイはフェンリルの首元を狙って走り出した。その疾風のようなスピードに、獣に過ぎないフェンリルは回避もできず刃を受ける。機械のような精密さで、セイはフェンリルの喉笛に剣を突き立てた。が……
「(硬い!)」
突き立てようとした剣は、例えるなら鋼に打ち付けたような反発力を以て、セイの剣を押し返したのだ。
「(鱗? いや、皮膚は皮膚か。)」
クイックの効力の残りの秒数で、セイはフェンリルから大きく間合いを取る。
「剣では無理だ」
以上、と吐き捨て、セイはさっさと剣を鞘に収めた。こうなると、一転、リョウの方が戦闘の切り札となる。
「魔法か」
リョウはフェンリルを観察する。低い声で唸りながら、尾をピンと立てている。彼にはこの双子達など餌にしか見えていないだろう。
『闇よ……その黒き殲滅のチカラを経て、此処に降臨せよ!』
先にセイが詠唱を開始した。リョウはその間に、フェンリルの注意を弟から自分に移さなければならない。リョウはフェンリルとの間合いを詰める。
「(リノロイドは何処だ?)」
リョウはフェンリルの注意を引き付けつつ、このホールの気配をくまなく探ってみた。大きな禍々しい闇のエネルギーはこのフェンリルのものだとしても、もう一つ此処にあるべき“魔王”の気配が、どうも無いようだ。
「(居ないのか?)」
もしそうだとしたら、このオオカミのバケモノは、正にランダの子孫をここで抹殺する為の切り札だ。生易しい戦いはさせてもらえないだろう――何とも気が進まず、リョウは目を伏せた。
「リョウ!」
セイの合図だ。攻撃呪文の詠唱が完了したようだ。リョウはすぐにフェンリルから間合いを取った。
『地獄の王の侮蔑(ハデスインサルト)!』
早速だが、セイは彼の持つ切り札を出してきた。早く次に進みたいという露骨な意思表示である。サテナスヴァリエは闇の民の本拠。サンタウルスよりも闇魔法分子が充溢している地域であるためか、セイの召喚した魔法分子は、ただでさえ魔王軍兵士でさえも殺傷する程の殺人呪文なのに、リョウが見慣れたそれよりかなり大きな結晶を作っていた。当然、結晶から発生する負のチカラは相対的に大きい。その澎湃たる負のチカラにあっさりと飲み込まれたフェンリルは、白い王間の美しい壁に容赦なく叩き付けられ、王間は一度大きな音を立てて激しく揺れた。しかし、
「あ?」
リョウとセイは目を疑った。あれだけの負のチカラと衝撃を受けながら、フェンリルは瞼と耳の内側の皮膚を少し切っているだけで、その他一切変化はない。
「……バケモノか」
相当厄介な戦いとなる――これはそういう暗示だった。
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