第65話 白き勇者vs黒き勇者(2)
(1)
リョウとセイは一気に間合いを詰める。
「(速い!)」
フィアルは息を呑んだ。闇の民とは一味も二味も違う剣の技術は、光の民が有史以来研究に研究を重ねて編み出した「剣術」。しかも、“ラハドールフォンシーシア”と“アミュディラスヴェーゼア”という神剣を用いているので、刃と刃がぶつかり合う度に、光と闇という両極端の魔法分子が抵抗し合い、音・光・熱を伴う激しい反応を引き起こすのだ。
「くっ!」
セイが強く剣を弾き返して、リョウの身体の軸は後ろに傾いた。リョウはそこから身体を横に捩じり、前へと撃ち込もうとするセイの攻撃を躱わすと、一度バック転で間合いを取る。否、そう見せかけ、着地とほぼ同時に地面を蹴り、再び一気に間合いを詰めた。
「チッ!」
普段のセイなら、リョウの苦肉の策のフェイントも難なくひらりと避けてしまう。しかし、強烈な麻酔が、セイの運動神経を侵しているのだろう。リョウの剣撃を何とか受け止めたセイは、その抵抗を受け流して刃の向きを横に滑らせる。
「(居合!)」
リョウの読んだ通り、セイの軸足である右足がリョウの間合いに飛び込もうとしたので、リョウはもう一度後ろに退き、セイとの距離を広げる。
「(参ったな……)」
コンストレイン(呪縛呪文)の詠唱を密かに唱えていたリナは、やむを得ずそれを解除した。リョウとセイの動きが速過ぎて、結晶化した魔法分子を撃ち込むタイミングが全く掴めないのだ。
「(本当にリョウ頼みになってしまうな)」
リナは眉を顰めた。今は互角の勝負でも、時間が経てば経つほど、戦いの場数を踏んできたセイの方に分が出てくるだろう。
「痛っ!」
セイの神剣がリョウの右肩を浅く切った。たかが掠り傷なのに、ぞっとするほどの強烈な寒気を感じるのは、剣の放つ負のチカラが強い所為だろう。リョウは、思わず足が竦んだ。
「リョウちゃん!?」
心配するフィアルを制し、リョウは体勢を立て直そうとしたが、セイはそこまで悠長に待ってはくれない。
「くたばれ!」
リョウの眼前に突き上げてくる剣先。リョウは、すんでのところで刃を返すも、体勢を完全に崩し、地面に仰向けに倒れる。そこに、容赦なくセイの神剣が振り下ろされた。
「たかが兄弟ゲンカで死ねるかよ!」
リョウはそれを転がりながら躱わすと、そのままセイの軸足に足払いをかける。
「ぐっ!」
セイも地面に倒れた。リョウはすかさずセイの両腕を取り、地面に押さえつけた。
「生け捕り成功!」
「貴様……っ!」
来るであろう解放呪文から逃れようと身を捩って抵抗するセイを何とか取り押さえながら、リョウはそのまま詠唱を開始した。
『状態回復呪文(リカバー)!』
誰もが副脳解除の魔法を使うと思っていただけに、リョウの状態回復呪文の詠唱は周囲を驚かせた。
『状態回復呪文(リカバー)!』
数度この呪文の詠唱を繰り返したリョウは、セイの両腕からゆっくり手を離した。
「成る程……」
リナは小さく感嘆の声を上げた。副脳が解除されても、セイが無事でないと意味が無い。ならば、麻酔漬けで衰弱しているセイの中枢神経系を救うこと――リョウはそちらの方を率先させたのだった。
「テメエのような問題児は、オレだけじゃ手に負えねえんだよ」
リョウは再びラハドールフォンシーシアを手に取った。
「大概に更生しろよ、セイ!」
「何……?」
“ラディオン”が動揺したその瞬間、強烈な痛みが脳天を突き上げた。
「――っう!」
言うまでもなく、それは“セイ”の仕業である。
「副脳だか何だか知らねえケド、神の前だろうが魔王の前だろうが、平気な顔して悪態つくのがセイって野郎なんだよ!」
ラハドールフォンシーシアがかざされた。
(2)
第三部隊本部に新たに設けられた元帥室からも、白波の立つ海が見えた。
ラディオンの使用に当たっては、必ずリノロイドの名の下、ファリスがチェックを入れるのだが、出動条件が悪過ぎた。アレスとしては、それが気がかりだった。
“7日分の麻酔を一度に投入すれば、ラディオンの生命に関わります!”
“リノロイド様からの伝達です。お聞き入れ願えねば、派遣を見送って頂くことになりますよ?”
これが遠征前にラディオンとリョウ達を接触させる最後のチャンスではあったが、結果的にセイには大きなリスクを背負わせることになってしまった。
「元帥、」
短い金髪の少女が元帥室に駆け込んできた。ノックの音があったかどうかも定かでないほどぼんやりしていたアレスは、つい、その少女に驚いたままの表情を向けてしまった。構わず、少女は淡々と元帥に報告を入れる。
「“ラディオン”がターゲットに接触した模様です」
「それで、首尾は?」
「……それは、アレス元帥が一番よくお分かりか、と」
ヤカはそう言ったきり、口を閉ざしてしまった。部下としては最悪の返事だが、この幼気な少女も叱責なら覚悟しているのだろう。どれほどヤカがフィアルの為に苦肉の策を尽くしても、自分はそれら全てをフィールドから除き、或いは想定内のカタチに持ち込んで片付ける。少女にとって、自分はさぞかし嫌な上司だろう――アレスは苦笑を返しておいた。
「全てよく見通せる眼などありはしませんよ」
せめて、アレスはそう言うと、再び白波の行方を目で追った。
“リノロイド様は、ランダの子孫の可及的速やかなる抹殺を期待なさっております”
百も承知のそんなことを、わざわざファリスも口にした。それが闇の民全体の利益になるというようなことを延々と聞かされたが、正直その具体的な内容を、アレスはあまり覚えていない。ただ、
“ラディオンが任務に失敗した場合、然るべき措置を執ります”
――本当に妹の仇を取らなくても良かったのかと、此処でも念を押されてしまった。
「第二部隊も、前線に向かう用意を始めてください」
今日の海のように深く、穏やかなアレスの声が撤収命令を下した。これにより、事実上、アンドローズ城のプロテクトが完了したことが宣言されたのだ。“勇者”を迎え撃つ為の準備は整った。ヤカはそれをフィアル達にも知らせてくれるだろう。
「承知いたしました」
一礼して元帥室を後にしたヤカのココロがどちらの方向を向いているのかは明らかではないが、こちらの与える情報を正確に、且つ、信頼し得るものとしてフィアル達に送り出してくれる彼女の働きは、アレスにとっても都合が良かった。このアイロニー……幼いヤカの、あのサファイア色をした美しい眼には、一体どのように映し出されているのだろうか。
“世話になったな”
7日分の麻酔が投与されることについて、彼に術前に説明したところ、そんな言葉が返ってきてしまった。「皮肉にしかならないな」と自嘲した彼に、アレスも少しは笑えただろうか。
彼の首には、どう見ても彼には不釣り合いな、女物の赤い石のペンダントが巻き付いていた。
「ねぇ、アリス、聞こえるかしら?」
アレスは両手を組み、祈りを込めた。
「どうか、あの人を救ってあげてちょうだい」
細波に皮肉だと笑われても――
(3)
光魔法分子が浄の効力を帯びながらセイの身体を照らす。
「くっ!」
立ち上がろうとする“ラディオン”を、セイの自我が懸命に押さえ込んでいるのだろう。激しい痛みに全身を捩じらせている。今、気を失ってしまったのか、セイがぐったりと動かなくなってしまった。
「セイ! セイ、コラしっかりしやがれ!」
今セイを起こして安全かどうかはわからないが、あまりこういう状態の弟を見慣れないだけに、不安にはなってしまう――リョウはとりあえず、セイの意識の回復を優先させることにした。丁度、リナとフィアルもセイの元へと駆けつけたところである。
「リョウ……」
漸く、セイがリョウの声に応えた。まだ頭に強い痛みがあるらしい。目をしっかり開くことができずに、リョウの外套の襟を掴んで兄と確認したようだ。
「セイ、待ってろ。もう一度……」
リョウは再びラハドールフォンシーシアを召喚しようとした。
なまじ、相手がよく知った顔だから良くなかったのだろう。この時、リョウは当然必要な警戒を怠っていたと言わざるを得ない。
「甘チャンか」
セイが口元を緩め、ズン、と重たい空気が辺りに広がった。
「リョウ、剣を取れ!」
リナが叫んだが、間に合わなかった。
(4)
驟雨を抱えた黒い雲が西の空に立ち込め始めた。重たげな足取りで流れ込んでくる湿り気のある風が不気味な音を森に轟かせている。
喉の奥の奥が焼けるように熱い――この錯覚に驚いたリョウは、思わず咳き込んでしまった。刹那、強い吐き気に襲われた彼は、咄嗟に抑えきれずに咳と同時に嘔吐した。しかし、焼けるような赤い色をした吐瀉物は、血液そのもの。ぞっとするままにリョウは自分の腹を見る。
「うっ……!」
黒い剣が突き立てられた自分の腹を見てしまうと、いやに冷静に置かれている状況を飲み込んでしまう――血の気が引いてきたリョウの体が、次第に痛みを訴えて震えを来す。
「馬鹿め」
“ラディオン”はまだ生きていたのだった。彼は掴んでいたリョウの外套から手を離し、剣を抜こうとした。しかし、
「(何?)」
指が動かないのである。身体も、爪先に至るまでの全ての感覚器が「停止」してしまっている。今身体を支配している“セイ”が放心状態なのだろう。
「リョウ?」
リナとフィアルは事態を把握するのが遅れていたが、現実を整理した彼等の脳裏には、“絶望”という文字しか残らなかった。リョウの腹には、“ラディオン”が突き立てたアミュディラスヴェーゼアが鮮血を浴びていたのだった。
「リョウ!」
リナが呼ぶ声に、いくらか気を持ち直したリョウは、何とか応えんと口元を緩めた。木々をざわめかせる秋風が通り過ぎる音がして、やがてそれは止んだ。
「……どうした?」
ゆっくりと、リョウの口が動いた。思ったよりも痛くない――これなら動けると彼は判断したのだ。
「仕留め忘れなんて、らしくもない」
リョウは、完全に動きを止めてしまった弟の手が握りしめたままの剣を、自らの光属性の魔法分子で中和した。バチン、と音を立てて消滅した黒い剣が傷口を歪ませて、俄かにリョウの腹からは血が溢れ出してきたのだが、我を忘れるほどではない。リョウは、もう一度ラハドールフォンシーシアを手に取った。そこで、やっと“ラディオン”が反応した。
「貴様……何故……」
止めを刺した手応えはあった――武器を失ったラディオンが睨みつけた先には、口から腹から血まみれの男がニタついて立っていた。
「たかが兄弟ゲンカでくたばってたまるかっつってんだろ!」
リョウはラハドールフォンシーシアでラディオンの頭部を斬りつけた。「斬」ると言ってもそれは、抽象的にセイの「患い」を絶つということである。解放の光が、ぶ厚い雲で覆われた空を射し、セイを優しく包んでゆっくりと消えた
“ラディオン”は、その瞬間、消滅した。
(5)
リョウは倒れこんだセイを支えてやって、そのままゆっくりと立ち上がった。それを見て、リナとフィアルが急いで双子達に駆け寄る。
「リョウ、傷は平気なのか?」
声をかけても返事が無い代わりに、呪文の詠唱が聞こえてきた。
『状態回復呪文(リカバー)』
リョウから聞こえてくるのは、セイを冒している脳内麻酔を取り除くための、状態回復呪文(リカバー)である。「相変わらずだ」とリナとフィアルは笑った。
「リョウちゃん、血だらけで何やってんの!」
思わず、フィアルは口元を緩めた。
「流石にこれだけ状態回復呪文(リカバー)かけておけば、麻酔もちゃんと引くかなーってね」
リョウの声には力があったので、先程の傷は、どうやら致命傷になっていないようだ。
「見た目よりも全然浅い傷だったみたい。剣抜いたらほぼ塞がってるみたいだし。セイも身内のよしみで手加減してくれたんだろうよ」
つまるところ、『勇者』の剣は『勇者』を傷つける為にできてはいないようだ――そう分析したリョウの顔には微笑みすらあった。とりあえず、安全に弟の副脳を解除できたことが嬉しかったのだ。
「これで、4人めでたく揃ったね」
それぞれが安堵の溜息をついた。これからアンドローズ城に赴き、魔王リノロイドと“交渉”をして……
一同が平和への道筋を描いていたその時だった。
「ん?」
リョウの目に、この蒼い森には不自然な紅い色が目に飛び込んできた。そしてそれは禍々しいほどの凶気を帯びている。
「マズイ!」
瞬発力に秀でたリョウは、気を失ったままの弟をそれから庇う為に、咄嗟に前へ出た。
「!」
少し遅れて、フィアルとリナも気が付いた。しかし、その時では遅かっただろう。
「っ……う……」
不意を打たれ、完全に防御できなかったリョウの胸を、強化魔法球(ブラスト)が貫いたところだった。
「ファリスか!」
リナは赤い髪の女を見つけた。ファリスは嘲笑うかのように木々の間をすり抜けていく。
「貴様!」
逃走するファリスの眼前に、瞬間移動呪文で追いかけたフィアルが彼女を仕留めんと剣を振り上げたところである。しかし、振り下ろした剣に手応えはない。ファリスにテレポートリングを使われる方が先だったのだ。
「クソっ!」
舌打ちしたフィアルは、故郷の空を睨みつける。いや、彼は、振り返るのを躊躇したのだ――ファリスほどの手練のユーザーが放つ強化魔法球を、バリア(結界呪文)もかけずに生身の人間がまともに喰らってしまったのだ。リナの叫び声が全てだった。即ち、
「リョウ、目ェ覚ましなよ! ――リョウ!」
それこそが致命傷というべきものだったのだ。
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