第64話 白き勇者vs黒き勇者(1)

(1)

 瞼を開けると、青ざめた天井だった――無機的な正方形のモザイクが連なるそれには、セイも見覚えがあったが、それが何処なのかをきちんと思い出す前に、波の音が聞こえてきた。

「(……そうだったな)」

セイは溜息をつく。彼は今、魔王軍第三部隊本部の中にある一室で軟禁状態であることをしっかり思い出したからだ。

 今いる此処は、その部屋にある白いベッドの上である。セイは一度寝返りを打った。それにしても、何時にも増して身体が怠く、セイは起き上がりたくなかった。

「(そういえば……)」

夢か、現か。リョウと戦っている自分がいたような気がして、セイは強く目を閉じた。お陰で気付いたのだが、左耳の上に、いつの間にか傷を負っているようだ。指を当てると鋭く痛みが走る。

 丁度、遠くの方から足音が聞こえてきた。

「目覚めはいかがです?」

アレスが本日の食事を運んできてくれたようだ。セイは何とか起き上がる決心がついた。

「オレは、どのくらい寝てたんだ?」

あまりにも目覚めが悪く、セイは時間的感覚を失っていた。何とも言い様の無い疲れは、できればその所為に仕立て上げたかったのだが、

「今起きたのなら、丁度二日間です」

アレスから告げられた衝撃的な事実に、セイは思わず仰け反ってしまった。

「驚くことはありません。脳にかけてあった麻酔が丁度切れたというだけの事です」

アレスは冷徹にそれだけを伝えた。

「そう、……か」

どうやら、リョウと戦ったのは現実に間違いないようだ――セイは小さく溜息をついた。アレスはその溜息を避けるように、その視線をセイから窓の向こうの海へと移した。

 どうやら日が昇ろうとしている時刻であるようだ。星がまだ強く輝いている青紫色の空が、段々と白み始めた。それが突き抜けるような透明感のある秋の空の青色に落ち着いてくるまでに、そう時間はかからない。

「神のお導きなのでしょうか」

やおら、アレスがそう呟いた。彼女は胸ポケットから何かを取り出したようで、「これをどうぞ」とテーブルの上に置いた。

「オレに?」

セイは戸惑う。どうぞ、と差し出されたものの、それはどう見ても女物のペンダントである。セイは、テーブル越しに差し出された、赤い石のついた金のペンダントを手に取った。ガサツな自分が触れるとたちまちに千切れそうなそれは、今わの際に抱き寄せたアリスの躯のようで、セイは一瞬怯む。

「両親からアリスに託されたペンダントです」

一方のアレスは淡々としたものであった。何とか繊細なチェーンを掬い上げたセイの目に飛び込んできたのは、“愛する君へ贈る”と彫られた文字。

「戦災孤児だったそうだな」

セイはアリスから聞いて、彼女達の生い立ちなどはよく知っていた。

「アリスから、貴方に渡すように言われました」

アレスは、嘘をついた。確かに嘘ではあるが、あながち間違いではないだろう、とアレスは思う。特に今なら、よく解るのである。

「亡骸を陸(おか)に引き上げてくれたお礼だそうです。受け取っていただけませんか」

アレスのあからさまな嘘に気持ちが怯んだセイは、ペンダントトップの赤い石を手に取ったまま、アレスの顔を見上げて動けなくなってしまった。

「アリスは、ご存知の通り、この国でも有数の回復術者(ヒーラー)でした」

彼をきちんと許しきれているのかいないのか、自分の気持ちさえ、アレスにはまだ分からないが、一つだけ、どうしても伝えておかなければならないことがあった。

「貴方の体には、アリスの回復呪文(ヒール)の断片がまだ残っており、先ほど、貴方はそれで一命を取り留めたところです」

「え……?」

思わず、セイはアレスの顔を見つめてしまった――見れば見る程、彼女がアリスに見えてしまうのは、いつか云われた「罪悪感」の所為だろうか。

「貴方はアリスを殺した……」

アレスもセイを見据えて言った。

「でも、貴方は同時にアリスを救っている」

「それは、詭弁だ」

そう言ったきり、手にとったペンダントを手のひらで包み込み、項垂れて完全に表情を隠したセイを直視できずに、アレスは再びガラス窓に視線を投げる。曇天ではあるものの、穏やかな窓の外の海を見つめたまま、アレスは続けた。

「アリスの回復呪文の断片は、まだ貴方に留まっているようです」

実は、かつてアレスも妹から回復呪文の断片を授かっていた。彼女が今、回復呪文を発動できるのは、殆どそのお陰でもある。

”困った時には私を呼んで――”

セイは、禁じられた区域(フォビドゥンエリア)で見たアリスの幻影を思い出していた。今となっては、幻影なのか何なのかも定かではなくなったのだが、確かに彼女はこう告げたのだ。

”私も貴方と共に、戦うから”

と。


 波の音が沈黙をさらって行く――このココロの重たさを、どれでも良いから拾って行ってはくれないだろうか?

 「貴方がアンドローズ城に拘留された直後、」

漸くアレスが口を開いた。

「アンドローズ郊外の森の一部分がかなり危険なレヴェルの高濃縮光魔法分子で浸蝕されました」

高濃縮光魔法分子……そんなものをこんな場所で扱える人間など、この世で1人しかいない。

「まさか、リョウが?」

あの甘チャンにそんなコトができるわけが無いと思ったが、どうやらそれは確からしいようだった。

「彼は、私を殺しに来るでしょうか」

アレスはそこで一つ溜息をついた。何故こんな話をこの男としているのかは、アレスにもよく分からなかった。世界屈指の頭脳を誇る、知将と呼ばれる彼女でも――

「殺さない」

やはり海を見つめたまま、セイは言った。

「オレ達は、この世から戦争を亡くす」

現実味は無いが魅力的な言葉だと、アレスは思った。それは自分の役目では無い、とセイもあえて彼女に説明することはしなかった。そこに言葉が無いため、まだ、お互いに誤解をしたままだが、同じ”アリスの加護”を持つ者同士、少しは歩み寄れただろうか。


 何とか食事を口に運び始めたセイの邪魔をせぬよう、アレスはずっと海を見ていたが、やがて、彼の横に並ぶ形で、白波の立つ海へと視線を投げた。

「7日後、サンタバーレ遠征が始まります」

アレスのその通告は、アンドローズでリョウ達との接触を図ろうとしていたセイには、致命的な情報だった。

「(時間が無い!)」

自分が前線に駆り出されてしまえば、副脳を解除する機会を失ってしまう上、なるべく犠牲を出さない内に交渉を進めたいというどこぞの甘チャンの願いから、大きくかけ離れてしまう。セイの焦りを察したのかどうかは定かではないが、淡々とアレスは切り出した。

「先日の“ラディオン”の使用で確信しましたが、」

そこで一度、アレスは周囲に誰も居ないことを確認して、続けた。

「リョウは、副脳を解除するツールを持っていますね?」

つまり、アレスが大方の予想を裏切って“ラディオン”をリョウ達にけしかけたのは、それを確認する為だったのだ。

 ランダの子孫と戦ったディストの副脳が解除されていたこともあり、副脳は何らかの“バグ”を持っていることが指摘されていた。

 その“バグ”を解析する為、アレスはセイにテレポートリングを持たせて、副脳による自我のコントロールに大きく支障を来たした場合にはすぐに戻れる用意をした上で、“ラディオン”を試験的にリョウの元へ送り込んでみたのだった。

 結果、麻酔の効力が消える前にテレポートリングは使用された――これを何と見るべきか、アレスはよく理解していた。

「……。」

此度は素直に肯定するわけにも行かず、セイは知将・アレスから再び目を逸らすだけに留めておいた。

「それに、」

アレスの眼が厳しさを増したが、丁度眼を逸らしていたセイは気付かない。白波を数えることができるくらいの無意味な間ができた。

「――“ラディオン”本体にも、致命的な医学的欠陥が見つかりました」

どこまでもランダの子孫は魔王軍にとって凶である。つくづく、アレスはそう思う。彼等を探し、抹殺する為にどれだけの兵士が腐心してきたか、少しは思い知らせてやりたかったというのが、元帥の立場としてのアレスの本音である。

「皮肉なものね」

つい半日前と同じ言葉を呟いたアレスは、セイを見据え、次のような判断を下した。

「欠陥が在ると分かっていて、“ラディオン”を重要な戦いの前線で使用するのも、賢明では無いでしょう」

アレスの意図したことが分かったセイは、驚いた表情をアレスに向けた。

「さ、早く食事を摂っておいてください」

何しろ、時間が無いのである。

(2)

 それにしても水の豊かな土地である。リョウ達の居る洞窟からそう遠くない場所に、泉が沸いている。リョウはまだ寝ぼけたままの頭を冷やそうと、水に顔を浸けた。

「(冷てぇ!)」

秋の水だ。ビックリするほど冷たくて、リョウは思わず顔を上げた。

「あ」

気配を感じて、リョウは草叢の陰をじっと見つめた。

「警戒しなくて良いよ。別に、貴女の住処を荒らしに来たんじゃない。」

微弱な光魔法分子だった。それは長く伸びた草の蔭からツキシズクの乳白色をした花弁の蔭へと隠れ、ひょっこり顔だけを出したのだった。

「貴方、光の民ね?」

聞こえてきたのは鈴のような小さな声だ。風でも吹けば消えてしまいそうなその声は、丁度クヌギの実と同じ大きさくらいある彼女の頭の大きさからすると、相当な声量だった。

「貴女は、妖精サンだね?」

「ええ」

リョウに攻撃の意思が全く無いことを悟って、彼女もやっと花の蔭から出てきてくれた。ジャコウアゲハよりも一回り大きな羽は光魔法分子の結晶の所為でキラキラ光っている。美しいブロンドの髪は彼女の体長くらい、7,8寸といったところだろうか。

「此処はサテナスヴァリエの首都よ? 光の民の住める場所じゃないわ」

闇の民の都で人間を見かけるのは珍しいことだろう。妖精は大きな目をパチパチさせてじっとリョウを見ている。

「確かに、そうなんだけどね」

リョウは苦笑した。妖精(フェアリー)はヒトとマゾクとの争いを避ける為に、中立的な立場にある。とはいえ、自然の代弁者として、常に四大元素の動向に身を委ねて生きなければならない脆弱な彼女達を、ヒトとマゾクが顧みることはなかった。戦争の為に大きく崩れた自然界の魔法分子バランスが魔物の凶暴化を招き、フェアリー達を絶滅の危機に晒していることなど――

「だけど、行かなくちゃ」

自戒の念を込めてリョウは言った。自分もまた、この美しい森の一部を、つい数日前に殺してしまったばかりだったから……

「魔王と戦うの? 死んじゃうわよ? 魔王のチカラが大き過ぎるの。こう言っちゃ悪いんだけど、たかが一人の光の民にどうにかできるレヴェルじゃない!」

どうやら、彼女はリョウを引き止めてくれているようだ。そう素直に言ってくれるヒトなんて、これまでなかなかいなかったので、リョウは少し嬉しかったのだろう、

「アリガトウ、妖精サン」

と、言ってしまっていた。勿論、礼など予想もしていなかった彼女は面食らってしまっていたのだが。

「大丈夫。戦うんじゃなくて、交渉が目的だから」

誰が聴いても耳を疑う言葉なのかもしれない。ぽかんと口を開けたフェアリーが、喫驚したまま言葉を失っていた。

「妖精サン達の為にも、早く戦争が終わるように頑張ってくるよ」

せめて、リョウは笑って手を振った。

「じゃあ、ね」

そう言えば、朝食に使う水を汲むのに、リナとフィアルを待たせているところだった。リョウは妖精に別れを告げると、すぐに塒にしていた洞窟へと引き返す。

「(あーあ、行っちゃった)」

妖精は溜息をついた。もっと強く引き留めてあげた方が親切だったのかもしれない、と後悔さえした。それにしても――

「たかが妖精に気を遣って戦いに出るなんて……何てお人好し!」

交渉、などと彼は言うが、勿論それでは済まないだろう。彼は魔王と戦えるのだろうか。彼は戦争を終わらせることができるのだろうか。

「ま、世の中を変えてくれるんなら、あんな子の方が良いのかもね」

妖精はかの光の民の青年に若干の興味を持ったという。

(3)

 サンタバーレ遠征まで、あと5日――既に、魔王軍第一部隊と第四部隊は前線に配置を済ませてあると聞いた。時間が無い!

「アンドローズ城から此処は眼と鼻の先なんだけどな」

飛空騎さえあれば、数時間のうちに到達できるポイントだとフィアルは説明する。

「それにしても、そろそろリノロイドと話しておかなきゃマズイ段階に来てるな」

つい、リョウは焦ってしまう。サンタバーレ遠征が始まってしまうと、両軍に犠牲者が出てしまうのは必至である。それを何とか避けたいからだ。

「もうちょっとだけ待たないか? きっと、もう一度セイちゃんと接触できる機会があると思うんだ」

フィアルは言った。勿論、そう言うだけの確証をヤカから得た上での見解だった。

“第三部隊本部に、医局から新たに7日分の麻酔が追加支給されたようです”

ヤカの調査から察するに、遠征で使う麻酔ならば既に本部に届いている筈だから、7日分の麻酔の追加は“ラディオン”の追加的派遣を意味していると見ることもできる。

「今日までは様子を見てみようか」

リナが決断を下した。セイの奪還は言うまでも無く最優先事項だが、アンドローズ城が迎撃の用意をしているというのならば、敵にそれだけ時間を与えてしまう事に繋がる。動かないという結論に至ったにしろ、これ以上の時間のロスも当然危険だ。

「明日になれば、分かることも出てくるかも知れない」

要は、それが頼みということだった。

「とすると、今日は暇ってことか」

リョウは空を仰いだ。休んでいられる心境には、なかなかなれるものではない。

「いや、」

リナは口元を緩めた。

「此処で力を蓄えておくんだ」

何せ、過去最大の“兄弟ゲンカ”の前なのだから。

「そうだな、剣の練習しなきゃ」

リョウは慌てて剣を取りに行く。何せ、剣術ではセイに全く歯が立たない。この間だって、偶然に救われたようなもので、危うく左腕を失うところだったのだ。

「でも、良かったね」

ふと、フィアルが言った。

「セイちゃんが自分の剣を此処に置いて行って」

セイの剣はつい最近までリョウの剣であり、それはかつて父・セレスが使っていた剣である。

「ホントそうだね」

魔族の皇子から出た、心のきめ細かい一言が、リナには有り難かった。

(4)

 太陽が南中に差し掛かった。木漏れ日がキラキラと戦士達を照らす。照度の低い森に、何とも知れない虫の声や鳥の声に混じって、リョウの剣の唸る音が響く。切るものなど、最早、何も無い、と彼は思っているのだが、はてさて。

「リョウちゃん、」

洞窟の中で仮眠を取っていたフィアルが表に出てきた。リョウは剣の素振りを中断し、リナは南西の空を仰いだ。

「セイ、か」

リョウは剣を鞘に収めた。彼はリョウの光魔法分子を追っているようなので、リョウはあえて詠唱を始め、光魔法分子を呼び寄せた。

「リョウ、頼んだぞ」

リナは念を押す。副脳を解除できるのはリョウしかいない。必然的に、リョウとセイの一騎打ちとなる。

「ああ」

セイとのケンカなら、いくらでもやって来た。今更何も怯むことは無い。セイは得意の剣で勝負に出るだろう。そしてそれは、副脳の解除にとっては都合が良かった。

「闇魔法分子がこっちに気付いたよ」

フィアルが叫ぶ。リョウの目にも黒い竜、否、アミュディラスヴェーゼアが見えてきた。

『召喚・ラハドールフォンシーシア!』

リョウの声に集まった光魔法分子は浄の効力を帯びながら大きな剣へと姿を変えた。

「悪いケド、」

目の前に立ちはだかった自分と同じ顔の男を見て、リョウはニヤリと笑った。

「今日はオレが勝つから。」

黒い怪獣から降り、「小癪な」と呟いた弟は、魔王軍の真っ黒な制服ではなく、いつもの服――藍染のジャケットと白の外套を身に着けていた。この事が何を意味しているのかはさておいて、とにかく強烈な麻酔の匂いがリョウ達の嗅覚を刺激した。

「良くないな……」

小声でリナが呟いた。先日、セイの副脳が解除しかけていたことを受けて、麻酔の量を増やされたのだろう。これでは、副脳が解除されたとしても、果たしてセイ自身が無事なのかどうかに疑問がある。

「今日こそ引導を渡してやろう」

そう言って三人を睨んだセイの眼は、白く濁り、生気を失っている。

「早いトコ決めなきゃ、ホントに副脳無しでは生きられなくなってしまう!」

祈るような思いで、フィアルはリョウを見た。

「大丈夫。アイツ、毒吐いて生きてきたような奴だから、毒に中ることは無いさ」

というのは冗談だが、少なからずセイの持つ“闇の加護”である程度の毒は中和されている筈だ。勿論、早い解決に越したことは無い。

「コノ問題児め……」

リョウは神剣を構えた。セイもアミュディラスヴェーゼアを神剣へと換えた。


「“ただいま”ぐらい言いやがれ!」

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