第51話 禁じられた区域(人魚と聖女)

(1)

 生前と変わらない屈託の無い笑顔で、「セイ!」と歓声を上げたアリスは、自分を殺した男を会心の笑顔で迎えてくれたのだった。

「私に手伝わせて頂戴ね」

彼女はセイを魔物達から庇うように前に出た。この場所がどういう場所なのか、まだセイは掴みかねているのだが、どんなに悲観的な想像をしても、この聖女は自分を怨みはしないのか、とセイは自己嫌悪すら抱く。そんな彼に、彼女は慈悲深い微笑みをくれた。

「ここはこうして、貴方の罪を軽くする場所よ。そしてこの魔物達は、貴方の中の罪悪感」

アリスの説明が抽象的だった上、意識が混濁していることもあり、セイは語句の意味を追いかけるのがやっとであったが、

「私も、貴方の中では罪悪感になっちゃったみたいね」

と悲しげに彼女が呟くものだから、やおら、彼の思考力は鈍ったようだ。

「(罪悪感?)」

彼女にその言葉の真意を問う前に、セイは気を失いそうなほどの強い目眩に襲われた。膝から崩れた身体を優しく支えられたことに気がついて、セイは何とか我に返るも、

「今は何を言っても仕方なさそうね」

アリスからそんな言葉が聞こえてきた。それ以降、何が起こったのか、セイは知らない。

(2)

 自分のすぐ傍に、失ったと思っていた大切な存在が控えていたのだ。

「生きていてくれたんだね!」

――良かった! 本当に良かった! と心の底からリョウは神に感謝した。

「人魚は不老不死よ。陸(おか)の民が歴史を重ね、どんな呪文を繰り出したところで、人魚の宿命にはかなわない」

白い空間に、琴の音の旋律が吸い込まれて消えた。なかなか冷静になれなくて、リョウは彼女を振り返れずにいたのだが、人魚は冷徹であった。

「“ゴメン”だなんて、誰に云ったの?」

人魚は、そんな他愛も無い質問を投げかけては、また琴の弦を弾くのであった。

「そうだな、」

と、リョウは旋律に設けられたブレスの位置で呟く。

「色んな人の顔が浮かんだよ」

大量の魔物の命を消し飛ばした自分の両手を見つめたリョウは、一つ、溜息をついた。

「洗脳されて町を襲撃させられている魔物には、いつもそう思ってしまうし、オレがこんなんだから、弟にはいつも剣を取って貰っていたし。それなのに結局、戦争を終わらせる為にどうすれば良いのか全然答えが分からなくて、」

丁度、旋律の最後の音にフェルマータがかかったところ、人魚は顔を上げた。

「でも今――オレは戦うことと向き合っていなかったんだな、ってつくづく思い知らされたよ」

白い空間に、リョウのその声がやたら通る。

「グズだの低能だの甘チャンだの、散々良いだけ言われてたけど、なんだかんだで、結局、オレ、守られてたんだな。ずっと」

リョウから出た懺悔に、カナッサは口元を緩めた。

「残念ながら今は、貴方のように“誰をも傷付けたくない”と堂々と言える世界じゃない。それだけに、貴方を守る価値を皆が認めているのでしょうね」

傷付けられて生きてきた分、リョウは誰よりも他人の痛みが解るのだ――カナッサはそれをよく理解していた。

「ゴメンなさい、と言わせて貰えるなら、私も」

琴の奏でる音楽が完全に停止したところである。カナッサはそのまま続けた。

「貴方にチカラを返してしまえば、貴方は変わってしまうのではないかと思ってた」

リョウは、リョウを傷付けた全ての存在に報復するのではないかと、彼女は思っていたのだ。そう、多くの光の民は、もっと簡単に闇の民を傷付けてしまうものであり、闇の民もまた然りである――不死の民であるカナッサは、飽きるほどそれを見せられてきたのだ。

「でも、貴方ときたら……」

それ以上は言えず、代わりにカナッサは微笑んだ。再び琴の音が一つ、二つ、三つ、白い空間に染み渡り始めた。

「だから、」

リョウは、これを訊くべきかどうか迷っていた。随分と間を置いて、リョウはやっと切り出すことにしたのだ。

「だから、オレの記憶を消してたの?」

人を食すとはいえカナッサは、リョウにとっては、すがる者の無かったあの時代に現れた、たった一人の心の救世主だったというのに……

 琴の音の五つ目、六つ目が音階を上る。漸くそこで、人魚からの返事が「いいえ」とあり、七つ目の琴の音も白い世界に吸い込まれて消えた。

「人魚との思い出を持っている人間なんて不自然だから、私は貴方から人魚との思い出を抜き取ったの」

人魚は人を喰う。だから、近付いてはならない――それが光の民の共通認識である。

「オレが低能だからって、油断してると思うケド、」

リョウは何とかカナッサを振り返ると、そんな風に切り出した。海の色をした人魚の双眸が俯いた。彼女のその仕草で、何故、彼女が此処に現れたのかを確信したリョウが声を上げた。

「また、オレの記憶を封じに来たんだろ?」

想像以上に碧い眼が、想像以上に悲しげだったが、リョウもここで怯むわけにはいかなかった。

「そうはいかないからな」

人魚は捕食者であり、人間は被食者である。それ以外の何でもあってはならない。だから、こんな事がある度に、人魚は人間の記憶を消してきた。ヒトはヒトを愛するために、人魚は不老不死であり続けるために。

「今の貴方なら、流石に理解してくれると思っていたのだけれど」

人魚は琴を持つ手を下ろした。

(3)

 意識が朦朧としていた為、セイはきちんと確認できなかったのだが、残っていた魔物達はアリスが一掃してくれたようだった。

「それにしても、貴方はいつも傷だらけね」

アリスからそんな風に声をかけられたので、

「偶々だ」

とは言えただろうか。せめて「そんなことはない」とぐらいセイは言い返したかったのだが、現状では全く説得力はないし、何とか腕ずくで起き上がってみようとしたが、どういうわけか、指一本動かすこともできなかった。

 今、見えているアリスが夢幻だとして――セイは思う。彼女といた時間は、17年と少しの自分の人生のうち、6日に満たない程度であるが、大きな罪悪感の塊になってしまっているのは、間違いないことである。

「これ以上、ヒドイ無茶しないでね」

と、やたら甲斐甲斐しいその罪悪感の塊は、いつか役に立つかもしれないなどと言って、「回復呪文の極意」なるものを縷々語っている。

「ねえ、ちょっと。ちゃんと聴いてる?」

どうやら、この聖女の幻は、今はそんな些末な事を案じてくれているようだった。

「ん?」

無論、聞いていないと白状するわけにもいかず、セイは黙り込むしかなかったが、自己の罪悪感が作り出した夢だの幻だのにしては、都合が良すぎるくらい、彼女はアリスそのものだった。

「貴方は罪悪感に囚われ過ぎよ。だから身動きが取れないのね」

このまま此処でこうしているわけにはいかないでしょう、とアリスがセイの手を取った。

「こんな所からだけど、私は、相変わらず、貴方の平穏無事を祈っているの。それだけは忘れないでね」

アリスはセイの左掌に、指で何やら紋を描いた。アリスの指を追うように青白い光が軌跡を結び、一度強く発光する。正のチカラを強く感じるので、回復呪文の類だろうとセイは解釈した。

「はい、終わり」

アリスはにっこり微笑んでいる。治療か何かが終わったのだろうと、またもセイは解釈したところ、いくら相手が夢だろうが幻だろうが、セイには言わなければならない言葉があった。


「アリガトウ、な」


――初めて治療してもらった時も、今際の際にまで治療をさせてしまった時も、セイはアリスにこれを言いそびれていた。

 今はあまり口元さえうまく動かず、左の手はアリスに取られたまま、それをどうすることもできないセイとしては、これさえ伝えられれば会心であった。

「セイ、」

アリスの声が震えた。何かが彼女を傷つけたのか、と粗忽でガサツで不器用を自認するセイとしては気が気でないのだが、どうやら違うようだ。彼女は、セイの左手に指を絡めると、

「今はまだ、罪悪感でもなんでも良いから、」

とセイの背にもう片方の腕を回す。セイより一回りは短くて小さい両腕が、

「困った時には私を呼んで――」

と果敢無げながら勇ましく勇者を包み込んだ。驚いて目を見開いたセイに構わず、アリスは彼の顔に口元を寄せると、

「私も貴方と共に、戦うから」

と宣言し、彼の下瞼あたりに口づけた。

(4)

 「記憶を消す」と簡単に、そして淡々と人魚は言い放った。ただ、リョウとしても二度も甘んじて記憶を奪われるのは堪らなかった。

「記憶を消す?」

リョウは静かにカナッサに歩み寄った。

「良いよ、出来るものなら」

しかし、彼はカナッサの目をしっかり見て、次の通り宣言したのだ。

「オレは、今度は絶っ対に忘れない。――忘れるもんか!」

強気なリョウの姿勢が健気に見えて、カナッサは懐かしさを感じていた。融通の利かない彼の幼さは、世界の理(ことわり)を嫌になる程見続けさせられてきたこの人魚の目には、何処か儚く映る。

「無駄よ。貴方は私を忘れて、そして、“人間らしく”生きなさい」

カナッサはリョウの額に向けて、手をかざした。

「無駄かどうか、やってみてよ。」

リョウは目を閉じた。

「強情ね。良いでしょう」

一つ、二つと重なるカナッサの言霊が、記憶の封印を司る魔法分子を呼び寄せ、結晶化したそれは強い光を放ち始めた。

「うっ!」

その光の余りの眩しさに、リョウは強く目を閉じた。頭の中がごちゃごちゃして、何だか重たさを感じる。でも……

「(消えないでくれ!)」

リョウは強く、強く念じた。

「報われたいなんて、思わないから!」


――こんな自分だって、誰かを愛していたことがあるということを、忘れたくはないだけなんだ!


「どうかしてるわ」

人魚はつくづくそう思う。

“私は人を喰らうのよ?”

一度、釘を刺しておいた筈だった。彼にも、自分にも。


「――っ!」

急に頭の重さが取れたような気がして、リョウはゆっくり目を開けた。

「カナッサ?」

彼女の事を忘れていないことに安堵する前に、目の前に力無く佇む彼女の涙に動揺してしまった。

「どうしたの?」

自分の言動は彼女を傷付けてしまったのだろうか。いや、どうやらそうでは無いようだ。

「貴方には分かり得ない。永遠の命が齎す残酷など……」

カナッサは傍に来てくれたリョウの胸を借りた。

「どんなに誰かを慕っても、そのヒトは私よりも先に老い、朽ちていくのよ?」

一時の幸せは不死の悲しみに変わる。あれから少し大人になったリョウは漸く理解した。だから、何も言い返せなかったのだ。

「何度も死に巡り逢ってきた。悲しみに耐え切れずに、自ら不死の運命を放棄した仲間達とも何度と無く擦れ違ったわ」

マーメイドは絶滅したとも言われている。船乗り達が航海中に人魚と遭遇する機会がめっきり減ったからだ。人魚が減ったと言われるのは、その繊細なココロの所為だったのかも知れない。不老不死を全うすると言うことは、生きることに貪欲にならなければ叶わない筈だから……

「軽口叩いて、苦しめてたんだね――ゴメン」

つくづく、リョウは自分の“低能”に嫌気がさしてくる。

「オレ……色んなことあったし、もう、このまま誰も愛せないんじゃないかって、勝手に意地になってたんだと思う」

自分の胸に顔を埋めた人魚が、親切にも首を横に振ってくれた。その優しさが有り難くて――リョウは、決意を固めた。

「その記憶の封印、自分にかけることはできないの?」

驚いて顔を上げた彼女に、リョウは微笑を返した。

「オレのことや、大切な人を失った悲しみを、片っ端から消しちゃえば良いんじゃない?」

“記憶を消す”などという恐るべき呪文は、人魚が不老不死を全うする為に編み出した、苦し紛れの魔法なのだろうとリョウは思う。

「オレは、カナッサのコト忘れないよ。もう絶対、死ぬまでずっと」

命の恩人だし初恋のヒトだから――理由は些末でありふれているが、もうそれだけが拠り所になってしまった奥行のない人間なのだから、仕方がないだろう。我ながらお粗末な男だな、とリョウは自嘲したが、妥協した。だからこそ、できる親切だってあるからだ。

「それでも、カナッサがオレのコト忘れてくれるのは、別に構わないから」

リョウは精一杯の笑顔を作って見せた。大切な人に忘れられてしまうことは、切なくて悲しいコトだけど仕方がない。それが不老不死たる人魚の為になるのだということは、いつも冷徹な彼女がいつに無く見せた涙を見れば明白なことであったからだ。

「大丈夫。オレ、片思いとか、そういうのは慣れてるから」

つい最近も、弟から「理想が高すぎる」などと叱られたばかりだ。改善するかどうかなど、知ったことではないが。

 しかし、彼女は白状してしまったのだ。曰く。


「――貴方を忘れてまで生き続けようなんて、思わない」


それは、この人魚の最も強い思いでもあったのだ。彼女にしてみれば不覚だろう、出会った時は、食糧でしかなかった人間の子供に、これほど自分のスタンスを崩されるのは――

「つまりさ、」

申し訳なさは感じつつ、リョウは己の小さな幸運に気が付いた。

「オレもカナッサも、同じこと考えてたんだね」

それ以上は望まないようにしよう、とリョウはそっと彼女から手を離した。

「リョウ、せめて、貴方が目指す世界を創って……」

カナッサはリョウの目をしっかりと見つめた。

「その世界の中で、私は生きていくから」

そうすれば、不老不死のこの想いだって、少しは報われるかもしれない――今はまだ、リョウの優しさに触れると、人魚は心が痛む。申し訳なさを感じつつ、カナッサは彼から離れた。

「そうだな」

リョウは頷いた。

「どの海からでも良いから、見ていてよ」

そして、気丈にも笑って言ってのけたのだ。

「あんなバカもいたなって……出来れば、ちょっとでも思い出してくれたら嬉しいよ」

またフラれたな、とあまりの切なさに、リョウは一度強く目を閉じたが、不意に、誰かに呼ばれた気がして、もう一度目を開けた。きっとそれは明護神使だろう。

「さあ、お行きなさい」

カナッサもそれに気が付いていた。

「本当の試練は、これからよ」

送り出す言葉に祈りを込めた――彼がこの先迷わぬように、と。

「カナッサ!」

ふわりと体が浮いた気がした途端、振り返った彼女はもう小さく見えるだけだったので、リョウは何とか声を上げて「約束」した。

「また、逢いに行くよ!」

だから絶対に、生きて戻るから、と。

(5)

 導かれるまま目を開けたリョウの視界が、やおら光に溢れた。眩しさを感じるのは、確かに光のある世界だからという事なのだろう。それにしても、ふわふわした先程の白一色の世界の感覚がまだ残っている所為か、体のだるさを感じたリョウは、暫く横になっていたいとさえ思った。

 そうこうしている内に、リョウの目ばかりは光に慣れて、この世界にも順応をし始めてきたのだが。

「お?」

そこは、先程までいた白い世界とはまた違う世界であった。

 先ず、自分が今まで寝かされていたのは、古代文字が掘り込まれた円形状の大きな石の床の上なのである。天井も壁もあるのかどうかは分からない。真っ白ではなく、淡い東雲色の仄かな優しい光の照らす場所だった。

 この大きな白い石の円盤は、どうやら東雲色の空にぽっかりと浮いているらしく、直径20尺強程の床の向こうは、何処まで落ちるのか分からない無辺の世界が広がっていた。

「(ここは、きっと空の上の世界なんだろうな)」

見たこともない景色である。塔の上にいるという認識しかないリョウは、最早、そう解釈することしかできなかった。


 疲れに任せて茫然とその世界を眺めているリョウの傍らに、間もなく、“片割れ”が召喚されて来た。そう、彼の双子の弟である。

「セイ! おーい! 生きてっか?」

斯様な訳の分からない世界である。自分の天敵とはいえ、顔見知りと再会したリョウは、安堵のあまり嬉しささえ感じていた。リョウは弟の身体を揺さぶって、強引に起こす事を試みる。

「ん……?」

気が付いたセイと目が合った。

「うっ……!?」

何故だか皆目見当もつかないが、リョウは一度思いっきりセイに顔を背けられた。

「(どうしたどうした?!)」

兄としては傷つくが、耳まで真っ赤になっているセイを見たことがないリョウは、話しかけるに話しかけられず困惑する。

「クソが、見飽きたツラか!」

やはり何故だか皆目見当もつかないが、起き抜けの弟に罵倒される格好となり、リョウは早速だがフラストレーションを溜め込んでいた。

「見飽きた顔だろ、ざまァ見ろ!」

激高するリョウの相手もそこそこに、「ここは?」と、起き上がったセイも東雲色の世界を眺め回す。古代文字の刻まれた白い石の床。ただそれだけがある世界だ。

「さあ。オレも今来たトコで、何が何だか」

――ちなみに、ここに辿り着くまでの間に何があったのかは、暗黙の了解で、お互い問わないことにした。

「なんだ。使えねえ奴」

セイはあっさりリョウから目を逸らした。

「お前って、ホント、オレの血圧上げるの生きがいにしてるだろ?」

リョウは頭を抱え込んだ。

「適当に血圧上げて、“朝、ぶちキレながら起きる病”(命名;セイ)を治せばどうだ?」

セイは、一々起こすのに時間のかかるリョウの寝起きの悪さを詰った。

「お前の相手で十分上がってる」

リョウは言ってやった。

「成程、オレにケンカを売ってるようだな?」

「先に毒吐くのはお前だろ!」

得体の知れない場所ではあるが、両者の口述の応酬は留まる事を知らない。

「毒でも吐かなきゃ低能菌が伝染っちまうからな!」

「今、低能は関係ねえだろ!」

「万年低能じゃねえかよ!」

「万年低能の双子の弟が偉そうじゃねえか!」

 ――双子は取っ組み合いの最中だが、ふと、視界に別の人影が過ぎった。リョウとセイは慌てて振り返る。

「……どうやら、気付いたな」

「そうみたいですね」

リョウとセイの背後には、待ちくたびれたと言わんばかりに暗黒護神使と明護神使が呆れ顔で控えていたという。

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