第50話 禁じられた区域(懺悔)

(1)

 フォビドゥンエリアのジャングルに停泊させている飛空艇には、奇しくも闇の民二人が取り残されていた。

「大丈夫かな、あの二人?」

と、もう何度と無くフィアルが呟いている。有史以来『禁じられた区域』と呼ばれている島も夜を迎えた。鳥と虫の鳴き声が、続いていた沈黙を支配していた折りである。

「できることなら、代わってやりたいよ」

とポツリと零したリナは月を見上げた。月は何処から見てもきちんと月で、遠くに見えるかの塔を無気味に照らし出してくれていた。彼女の視線は次第にその塔へと落ち、

「それよりも、」

と話題を変えるタイミングで、月明かりに照らされて月のような色をして見えるフィアルの亜麻色の髪へと落ち着いた。

「アンタの母上は、一体何者なんだい?」

彼女の頭の中に、“賢者”の別れ際の言葉が焦げ付いていた。

「オレにも分かんない」

フィアルはベッドに仰向けになった。脳裏に浮かぶのは、先ほどの賢者が微笑みとともに別れ際にのこした言葉である。


“リノロイドは、私の一部。君が間違うのも無理は無い”


仰向けになったフィアルは、飛空艇の天窓から月を仰ぐ。賢者が、リノロイドを指して「私の一部」であるとしたのが、二人にとって、大きな懸念となっていた。

「あの賢者も、お袋と同じように、光の民を殲滅させる気でいるのかな?」

フィアルは大きく溜息をついた。

「もしそうだとしたら、あのまま二人を行かせて良かったのかどうか……」

古い書簡に依れば、“賢者”とは、「神の意を知る者。世を導く者にして、聖者」である。段々と、リナの分析はこの戦いの核心に迫るものとなってきた。

「たかが一闇の民に過ぎないリノロイドが、何故“四天王”という大砦を創り出せたのか、もっと真剣に突き詰めておくべきだったのかもしれない」

リナは四天王の一角・フィアルを見つめた。勿論、四天王に選ばれた者達は、そもそもそれ相応の魔法キャパシティーを持った世界屈指の術者(ユーザー)である。しかし、それを考慮しても、たかだか数年で魔族専住地(サテナスヴァリエ)固有の国土の回復を完遂させ、この数十年間無敗を誇る戦力を与えたことを鑑みるにつけ、不自然なまでに魔王の支配するチカラは強大であったのだ。

「つまるところ、――リノロイドも神に通じるチカラを持っていると言わざるを得ない」

もしかすると、そこが一番肝心なところだったのかも知れない、とリナは眉を顰めた。

「ランダ様がリノロイドを封印することしかできなかった理由は、これだったのか」

リナの出したこの結論に、思わず、フィアルが身体を起こした。

 世界は、一種を――光の民を殲滅する方向に向かって進んでいるということなのだろうか。だとすれば、その定立に“反”していこうとするリョウとセイは、いわゆる『神』に反する異端分子だという評価を受けてしまうのだろうか。

「それは、絶対に違う!」

フィアルは首を振る。

 復讐の連鎖に疲れきっていたソニアの心を動かし、実父の仇・ディストさえも救ったリョウ。手にかけざるを得なかったアリスを悼み続け、戦う目的を見失いそうになりながらも何とか剣を取り続けているセイ。

 ――光と闇は、分かり合えるものであることを教えてくれた彼等が、どうして『神』に裁かれようか。

「だよな。あの子達ならきっと、大丈夫」

何の根拠も無かったが、リナは言った。

「大丈夫だ」

それは自分に言い聞かせているのかも知れなかったが。

(2)

 セイはゆっくり目を開けた。一度このゲートの中に入った経験があるので、傍らに兄が居ない事には何の疑問もなかったが、何度来ても周囲の暗黒には慣れない。

「(アイツは何処だ?)」

以前、この暗黒の中には暗黒護神使がいた。自分に“闇の加護”を与えてくれた代わりに記憶の封印を施した者である。セイは周りを見回してみた。といっても背景全てが黒一色のため、上下左右が何処に当たるのかは全く分からないが。

 ふと、セイは殺気を感じ、防御のため剣を鞘から抜いた。その刃は、丁度こちらに向かってきた敵の攻撃を弾き返す。

「お前は……」

セイは我が目を疑った。何と自分の眼前に、レンジャビッチで戦った赤毛の女・ファリスが立っていたのだった。

「何故、お前が此処に?」

問い掛ける前にファリスが剣を繰る。セイはもう一度その刃を弾き飛ばすと、素早く彼女の右手死角に回りこみ、剣を振り上げた。

「(何だ?)」

しかし、斬り付けた感触はあったのに、そのファリスは断末魔も上げることなく消えた。返り血まで跡形も無く、である。

「(幻か?)」

答えが出ないまま、剣を収めかけようとしたセイであったが、鞘に手が伸びる前に、再び殺気を感じた。

「(今度は複数か)」

セイは背後から来た何者かを斬り付けた。やはり、ちゃんと斬った時の手応えはあるので、幻影を見ているわけではないようだ。どれもこれも最近斬った覚えのある顔ぶれだったが、やはりそれらもトドメを刺すと消えてしまう。しかし、またも何処からとも無く、次から次へと魔物が現れた。

「クソッ!」

これでもかというほど魔物が出てくるので、これでもかというほど魔物を斬っていくしかなかった。そんな事を何度と無く繰り返しているうちに、セイは、自分が何を斬っているのかに気が付いた。彼等の正体とは、即ち……

「(今までオレが殺った奴等か?)」

何時だったか、レンジャビッチのフォーリュが、この『禁じられた区域』を“死人の魂が集う”場所だと説明していたのを思い出した。セイの予想が正しければ、あながちそれは迷信では無いということか。

「(奴め、一体どういうつもりだ?)」

セイの怒りの矛先は、必然的にこの空間を司る暗黒護神使へと向けられた。どうやらすぐに彼には会わせてもらえないようだ。それならば、彼により与えられたチカラで魔物達の供養をするしかない。これが暗黒護神使の仕組んだ余興だとしたら、さぞ皮肉であろうが。

『闇よ、その殲滅のチカラを経て、今ここに降臨せよ!』

セイは両腕を高く上げた。それは、闇魔法分子を扱ったことの無いセイに、暗黒護神使が教えてくれたものである。

『地獄の王の侮蔑(ハデスインサルト)!』

振り下ろされた両腕から黒き光が駆け出す。触れようものなら魂ごと食い尽くされそうな禍々しき黒き結晶は、辺りの闇とはまた違う“闇”であった。一体何十体の魔物が潰えたのかは知る由もなかったが、セイは改めて考えた。

「(待てよ、)」

今まで一体どのくらいの数の魔物を葬ってきただろう、目に留まる魔物の全てを否定してきた――セイは空(とはいえ、何処を見たって同じような暗黒だったが)を仰ぐ。すぐに絶望的な数字がセイの脳裏を横切っていった。

「怠ィな」

うんざりしたセイの周囲を、数十、数百体の魔物が取り囲んでいた。

(3)

 白。――そこは笑えるくらい白い世界だった。

「(そうそう、こんな感じの世界だったな)」

久しぶりの亜空間に、リョウだって、この期に及んで怯みはしない。

 飛空艇の屋根によじ登った時からずっと裸足でいたことを思い出したリョウは、腰のベルトとサイドバッグの連結部分に簡単に繋いでいたブーツを履き直し、この白い世界を揺蕩う。踏みしめる地面など無い為、これでも「歩き回っている」といったところなのだろうか。

「(明護神使サン、今日は何処にいるんだろう?)」

“光の加護”を授けられた際、彼は己の瞼の裏にいた。それを思い出したリョウは一度目を閉じてみた。今日は何も見えない代わりに、前方に殺気を感じた。

「うっ!」

咄嗟に防御に出た右腕を浅く切ったと思った瞬間に、リョウはそのまま引き倒されてしまった。

「お……っと!」

リョウは振り下ろされる魔物の大きな拳を、履き直したばかりのブーツの底で受け止めた。

「せーのッ!」

リョウは蹴り上げた力でそれを押し返すと、すぐに後転して大きく間合いを取った。というより、軽やかに逃亡を図った。

「(何で、こんなトコに魔物が?)」

回復呪文を唱えながらリョウは走る。しかし、

「何で?」

数え切れないほどの魔物が、前にも、後ろにも現れた。いつぞやのように、リョウは威嚇を試みたが、どうもそれで引き下がる連中ではないようだ。

「……何で?」

この大量の魔物が殺意を剥き出しにこちらに向かってくる。目的は、分からない。リョウがその気になりさえすれば、この魔物の大群の殲滅は時間と体力の問題であろう。しかし、光と闇の区別がよく分からなくなってから、そして、大切な人を失ってから、リョウはなかなか「その気」にはなれずにいた。


“この”チカラ”で闇の民を追い詰めるようなことはしないで欲しいの。”


リョウの脳裏に、平和を願う人魚の声がまだ強く残っているのだった。

「(来るなよ)」

リョウは拳を握りしめた。唯々、平和という目的の達成の為に払わなければならない犠牲と抱え込む痛みの大きさを鑑みた瞬間、リョウは頭を抱え込んでしまった。

「(来るんじゃねえよ!)」

リョウの願いも虚しく、大量の魔物達がこちらに押し寄せてくる。

「何でだよ? 何だっつーんだよ!?」

自分の繰り出す攻撃魔法は、激しい痛みを伴い絶命する恐ろしい呪文だ。それに怯まず、魔物はどんどん間合いを詰めてくる。死ぬか生きるか。生きるか死ぬか。選択肢は二つあるようで、現実的には一つ。

「オレだって、」

両腕に光魔法分子が集約されていく。術者であるリョウでさえ、見た事も感じた事も無い莫大な負のチカラが充填してきた。止むを得ず始めたリョウの攻撃呪文の詠唱は完結していないにもかかわらず、群がっていた魔物達が、リョウの呼び寄せた負のチカラの斥力に次から次へと弾き飛ばされていく。それなのに、魔物達の侵攻は止まらない!

「オレだって、こんな所じゃ終われねえんだよ!」

リョウは右手を高く上げた。

『荒ぶる神の悪意(デストラクティヴアルェス)!』

(4)

 地べた(と思われる部分)に強く打ち付けられたセイは、痛みに身を捩らせた。

「クソッ!」

セイの眼前には、まだこれでもかという程の魔物の群れが見える。独りで数千、数万にも上る数の魔物を相手に戦う彼の疲労は、既に限界に達していた。

『死神の微笑(デスクレスト)!』

セイは仰向けのままその場しのぎの攻撃呪文を繰り出すと、血塗れの腕を地に叩きつけた。この常闇と言うべき空間で、セイの召喚した闇魔法分子は幾らかの魔物の命をかき消しただろうか。

「っう……!」

防御と次の攻撃の為、セイは立ち上がる。途端に強い目眩を感じた彼は、暗闇に引きずり込まれて行きそうな錯覚に陥った。ぼんやりとかすみ始めた視界には、まだこちらに向かって来る魔物の群れが数百、数千――

「(暗黒護神使め!)」

抽象的な世界に弄ばれている気がしてならないセイは、苛立ちをむき出しにしてこのフィールドの主を探した。

「(相変わらず癇に障る野郎だ!)」

セイは剣を取った。魔法を連続使用し過ぎている自覚があったからだ。光の民であるセイには、闇魔法分子を扱うだけでも体に負担が蓄積されてしまう。これが度重なると、取り返しのつかない事態に陥ることを、彼はよく知っていた。

 斬って、斬って、斬って――こんな風に、一体どのくらい立ちはだかる者を傷付けて来たのだろう。我ながら、セイは呆れ返ってしまっていた。自分の剣はただ殺戮を繰り返していただけだ。父の敵を討ったわけでもなく、苦しむ者を救ったわけでもない。

「ぐっ!」

かすんでいたセイの視界が、とうとう白く歪み始めて来た。意識を持ち直す、そのほんの僅かな不意を討たれ、セイは殴り倒されてしまった。暗く浮かび上がった魔物の刃がとどめを狙ってセイに振り下ろされる!

「っざけんな!」

セイは身体を捻り起こし、何とかそれを躱わすと、辛うじて右手が掴んでいた剣で囲んでいた魔物達を凪ぎ倒した。

「(あと、どの位だ?)」

押し寄せていた魔物の数自体は大分減ってきてはいた。今見渡して確認できる程度の魔物の数なら、体調さえ万全なら、あと数回の攻撃呪文の詠唱で片が付く量である。しかし、タイミングはこの“今”である。

「(今やると、意識がブッ飛ぶだろうな)」

既に、一度に自分の身体が受容できる闇魔法分子の許容量を超える量を扱っていて、彼の意識は朦朧としてきていた。丁か半か一か八か――次の攻撃呪文は、博打のネタには充分なりそうだった。

 それは、丁度そんな駆け引きの最中に聞こえてきたのだ。

「(ん?)」

疲労に朦朧としているセイの聴覚が、辛うじて女声を聞きつけたのである。

「(あの声……)」

甲高い、少女のような声は、確かセイには何処か聞き覚えのある声で、何故だか胸の奥の奥に痛みさえ感じさせるほど鋭利な刺激を脳に伝えてきた。

『飛竜の狂舞(ドラゴニックロンド)!』

まさか――と、セイは思った。セイはありったけの腕力で魔物達をかき分け、声の主を探した。丁度、魔物の群れの中から電光と共に爆発音が轟いた。この闇魔法分子を呼び寄せたのは、勿論セイではない。

「アリス!」

セイの声が聞こえたのだろう、飴色のウェーブのかかった長い髪の女性が振り返った。

(5)

 光が辺りを白く押し潰して消え、影は跡形もなくなった。

リョウの持つ光のチカラは、彼自身の迷いと周囲の者の親切心より、未だに一度も開放されたことが無かったのだが、リョウにとっては、この白い空間の中で、どのように光が染み渡ったのかなどは興味にもならなかった。

「……ゴメン、な」

その極めて攻撃的な光の中に、リョウは立ち尽くしていた。一度に数百、数千体の魔物の命をかき消してしまえるこの光は、優れた攻撃呪文ではあるのだろうが、リョウは罪深さしか感じない。

「(オレの代わりに、皆が背負ってくれていたものがコレなんだよな)」

これは善か悪か――まだ迷うし、答えは見えない。

 ふと、何処からだろう、音楽が聞こえてきた。それは、何処かで聞いたような、優しい音だった。

「琴の音……」

撫でるように弦を奏でる優しい音と、叩くように弦を弾く強い音――二つの音がそれぞれ階名を持ち、複雑に絡み合って美しい旋律となる。リョウは目元を手のひらで覆い隠した。その音が、嬉しくて、懐かしくて、切な過ぎて……

「カナッサ」

リョウのすぐ後ろに、彼女は立っていたのだ。

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