第46話 王子様と剣(2)
(1)
暫く、沈黙が続くと思われた。
「セイさん、」
しかし、意外にも直ぐにサランが口を開いた。
「2,3日、時間を下さい」
第一王子はそう言うと、すぐにあの練習室に駆け込んでいったのだった。
「あーあ、煽っちゃった」
苦笑交じりでリョウは頭を掻いた。
「他に思い浮かばねえよ」
あれが一番手っ取り早い上達方法だろう、とセイはまた一つ溜息をついた。どうやら彼の経験則であるようだ。
「ま、お前が直接教えるよか平和的ではあるな」
これはセイとの剣術の練習が一番嫌いだったリョウの、率直な意見だった。
「あの坊ちゃんにはあれくらい釘刺しておかねぇと、お前みたいな“甘チャン”になっちまうだろうしな」
「相変わらず一言余計ですこと」
訓練施設から、サランの怒号と剣の唸る音が聞こえてきた。きっとサランは大人し過ぎる自分の性格が好きではなくて、何処かで変われるきっかけを探していたのではないか―――リョウにはそんな風に思えてきた。「面倒臭ぇ」と空を仰いだセイがぼやいて、本日何度目となるか分からない大きな溜息をついた。
「まァ、そう言うなって」
ひょっとすると、セイも変わりたいと思っているのかも知れない。彼が苦々しく振るっていた剣を、何か、新しいものに。
「案外良いコンビかもな」
「あぁ?」
太陽が西へ傾きかけていた。
(2)
第一国王は、吏員図書館二階の突き当たりの非常階段の中二階にリナとフィアルを案内した。よくよく見ると、アイボリーの柔らかな白塗りの壁の、向かって左の隅には小さな穴がある。どうも鍵穴のようだ。小さく感嘆の声を上げたリナとフィアルに、国王はニコリと微笑んだ。
「ランダ殿とセレス君が使っていた部屋だ。私には、二人が何を調べていたのかなど検討も付かんがな」
国王は懐から金の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
鈍い音とともに開かれた扉の向こうは、勿体付けた割には何の変哲も無い部屋だった。隠し部屋なので窓が無いというだけで、赤い絨毯が布かれた床の真ん中にある大きな机の上に、何十枚と破かれて殆ど厚みの無くなってしまったノートが一冊。その横にターコイズで飾られた銀の小箱がぽつんと置いてあるだけだった。
「世界を変えかねないものでも入っておるんじゃろう?」
国王はリナに金の鍵を託し、次のように詫びた。
「リョウとセイが此処へ来るまでは誰も通してはならないと、セレス君に言われておったのでな、私もなかなか切り出せずにおったのだよ」
リナは小さく驚いた。セレスと話す機会は多かったが、彼から直接そんな話を聞いたことは無かった。リナは戸惑いながら薄いノートを広げた。ざっと斜めに目を通しただけで、彼が何を研究していたのかがよく分かった。そして、このノートをセレスが秘匿していた理由をも――
「知りたいことは全て此処にあるみたいだ」
と、リナは結論付けた。それを聞いたフィアルもノートを覗き込む。すぐに『フォビドゥンエリアの結界の解除方法』と言う題目が目に飛び込んできた。その下からは右上がりの特徴ある筆跡で、細かな文字がびっしり書き連ねてあった。
「これはすごい!」と顔を上げたフィアルは、直ぐに双子を呼びに、駆け足で退出した。
律儀に深く一礼をして階段を駆け上がったフィアルを見送った国王は、
「あの子が、魔王の子か」
と口元を緩めていた。
「あの子が魔王に就く時には、最早新世紀となっているのだろうな」
――それは果たして光の民の世なのか、それとも闇の民の世なのか。或いは全く予期できない新時代が到来するのか。まだ誰も知らない。
「長生きしてみるもんだろ?」
勿論これからも、とリナは笑った。
「全くだ」
せめてランダ殿の分まで、と国王も笑った。
気密性は高い筈の隠し部屋から、外の音がよく聞こえてきた。入口の扉が開け放たれている所為だろう。
階段から吹き込んできた秋口の風は、少なくとも17年前の佇まいを閉じ込めていたこの部屋の空気を鮮やかに今に塗り換えて吹き抜けていった。
中庭で誰かに声を掛けられたのか、フィアルの明るい声が聞こえてくる。
「お前にフラれてから、だいぶ経つのだな」
まさか初恋の相手に長生きを労われるとは思いもよらなんだ、と国王は笑う。
「そんなこともあったかね」
光の民は闇の民よりも時の影響を受け易い、とリナは心得ている。例えば、出会った頃は変声期も過ぎたばかりのあどけない少年だって、そうこうしている内に酸いも甘いも噛み分けた物分りのいい老人になっていたりするのだ。
「好い人は居ないのか?」
見栄えだけは随分変わった目の前の高貴なる男も、一闇の民にしてみれば長くもない時の流れの中から透かして見える内面に、変化という変化は無いように映る。
「私には、殖えない為の工夫が施されている」
リナの告げた言葉に嘘はなく、リナとしてはそれについて思うこともないのだが、国王は困惑の表情をくれた。
「大丈夫だよ。私は、」
風に乗った古いノートの頁が音を立てた。リナはノートを閉じると、その上にターコイズの装飾のされた銀の小箱を乗せた。曰く。
「幸せになるために生まれてきたわけじゃないから」
(3)
それから間もなく、リョウとセイも吏員図書館の中二階の隠し部屋に合流した。
「結界の解き方、分かったんだって!?」
それは世紀の大発見と言うべきものだった。何せ、その結界の所為でこれまでかの地には誰も足を踏み入れたことが無かったのだから。リョウのボルテージは上がりっぱなしである。
「ランダ様とセレス様のお陰だよ」
リョウに急かされ、リナは黄色く変色しかかったノートをリョウとセイにも見せた。
「で?」
極めて短い言葉で、セイは首尾だけを問う。重要拠点であることは彼も承知だが、正直、抽象的過ぎてあまり関心は無い。全く以って対照的な双子達であるが、今に知ったことではないので、リナは構わず話を進めた。
「大いなるチカラを許されし二子達よ、聖域に参られよ。金の光と銀の光が神の都に導くであろう」
リナから突然飛び出した文語調を聞くなり、
「ん? 何かそれ聞き覚えがある!」
などと首を傾げるリョウに、
「アホ。レンジャビッチのフォーリュから受けた神託だろ」
セイが答えを出した。
「まあ、つまりそういうことだ」
リナはノートをめくりながら説明を始めた。
ランダの調べによると、“金の光と銀の光”とは金のブレスレットと銀のブレスレットと言う二つのツールを指しているのだという。
「金のブレスレットって、それじゃあ……」
リョウには思い当たるフシがあった。
「そう、アンタが出かける前に私につけてくれた、このブレスレット」
リナは、今は自分の首に煌めいているそれを指でつついて見せた。
「そんなたいそうな代物だったとは!」
リョウは母の形見だとしか認識していなかった。ノートの記載によると、ランダが見つけ出した「金のブレスレット」は魔王軍に発見されないように、一度サンタバーレ城に寄贈されたものらしい。何らかの経緯でリョウ達の母・レジェスに渡り、リョウが持っていたことになる。
「じゃあ、あとは銀のブレスレットを探せばいいんだな?」
高貴な身分であるが、冒険は好きなのだろう。フィアルは目を輝かせた。
「オレそういう旅専門にやりたかったんだ!」
同じく高貴な身分であるが、まだそれに慣れないリョウも目を輝かせた。
「まぁ、そういうことなんだけどな」
リナはノートに「銀のブレスレット」に関する記載が無いことを確かめる。
「明日からでも行く? あ、待てよ、食糧もちゃんと準備しなきゃ!」
「もう一週間待てば飛空艇ももらえるし、それを待ってからでも良くないか?」
「いやあ、旅の醍醐味はアウトドアだって!」
盛り上がっているリョウとフィアルであったが、
「あ、」
これまで全くの無関心を決め込んでいたセイが、ふと声を上げた。
「――銀のブレスレットって、これか?」
セイは外套の結び目で単なる止金に成り下がっていた(!)銀色のブレスレットを、初めて公にした。
「あ!」
「え?」
「あーあ」
驚くリナがそれを取り、リョウとフィアルは落胆した。
「でも、何でお前がそれを?」
ランダが記した(と思われる)そのノートにはただ、「銀のブレスレットは探索中」としか記されていない。リナ含め、一同に説明するのも面倒臭かったセイは、「さあな」と視線を逸らして銀のブレスレットをリナに差し出した。
「マオにでも聞いてくれ」
こう言われては、リナは推察するしかなかったのだが、推察自体はさほど難しくはない。ランダがとうとう見つけられなかった「銀のブレスレット」は、後にセレスが見つけ出し、マオを通してセイに渡されたのだろう。「金のブレスレット」も彼の指示でサンタバーレからレジェス、そしてリョウに渡ったと見るべきであるようだ。
「ランダとセレスには、『禁じられた区域(フォビドゥンエリア)』に立ち入らなければならないことが分かっていたんだな」
フィアルがふとそんなことを呟いた。
考えてみればそれも不思議な話である。『禁じられた区域』という抽象的な世界をいとも簡単に暴き、リョウとセイに指針を与えてくれているのだ。そう言えば、リョウとセイに『絶対元素』の盟約を結ばせるよう伝えたのも彼等であると、旅立ちの前にマオから聞いていた。
「ランダじーさんは、オレ達に一体何をさせる気なんだろ?」
リョウがぽつりと言った。大きなチカラが動き出そうとしている――それは何の為だろう。やはり光の民の為なのだろうか。それとも闇の民の為にもなることなのだろうか。
「オレ達って、一体、何?」
リョウは肌寒ささえ感じていた。得たチカラの為に、抽象的なものがどんどん動いていくのだ。国家、民、光と闇、そして神。
「本当に、『勇者』なんだね」
フィアルはニッと笑った。
「伝説の、『双子の勇者』!」
『双子の勇者』という単語が出たところ、リョウとセイは顔を見合わせてしまった。
――文明初期というべき時代の話である。白きチカラと黒きチカラで大陸を二つに分け、二種の戦いを鎮めたと言われている、伝説の『双子の勇者』がいたという。名をそれぞれ、ドゥーヴィオーゼとミッディルーザといったか。
バカな、とセイが笑った。
「こんな貧相な『勇者』がいてたまるかよ!」
さもおかしそうに笑うのであった。
「確かにそうかも!」
フィアルもつられて笑った。
「神サマ史上最大の失敗だな!」
リョウも笑った。笑い飛ばして、少しでも軽くしたかったのだ。使命とか、責任とか、不安とか、戸惑いとかを。
「黄金(こがね)白銀(しろがね)の光共、数多(あまた)に天空を射て、閉ざされたるを破る――このノートは、そう結んである」
静かにリナは、ノートの最後のページを読んだ。
「一週間後、飛空艇の準備が出来次第、フォビドゥンエリアに向かう」
心の準備をしておけ、とだけリナは言った。
(4)
もう日が暮れかかってしまっていた。
サンタバーレ城の中枢では国王を交えた軍事会議と政策会議が同時進行でなされている。これを「国家戦略会議」と呼ぶらしいが、そんな大それた会合に、リナとフィアルは出席することになったらしい。リナはオブザーバーとして、フィアルはゲストとしてである。
「フィア、大丈夫かなァ」
サンタバーレ城3階のバルコニーに、リョウとセイは何をするでもなく、そこにいた。
「大丈夫だろ。ココの連中は平和的な奴が多いからな」
図書館の隠し部屋から帰る時にリナから渡されたターコイズの小箱を掌に抱み込むように、セイはゆっくり座り込む。
「それに、こんな会議くらいは慣れてるだろうよ」
セイはその箱の青い石を指でカタカタと弾く。「そうだな」と、リョウの声が遅れて続く。
日差しに呑み込まれる景色が、優しいオレンジ色に染まってきた。木漏れ日がきらきら眩しくて、背を向けたリョウも、セイと並んで座り込んだ。
「あれ、もう一度見せてくれないか?」
兄に促されるまま、セイは抱え込んでいた小箱の蓋を開けて、中に収められていた手紙を取り出し、兄に渡した。彼は再び硝子に映る夕暮れをぼんやりと見つめる。
『――親愛なる我が息子達へ』
それから始まる手紙は、母から送られたものだった。
***
――親愛なる我が息子達へ。
我が息子リョウとセイへ。君たちとおしゃべりも出来ないまま、お別れをしてしまう事をどうか許して下さい。君たちの母親である私が回復しない病に侵されていた事は、よく知っているのでしょうけれど、どうしても君たちに直接伝えたくて、こうしてペンを執りました。
君たちは大切な使命と大きなチカラを持って生まれてきたので、魔王から命を狙われています。私とお父さんは、君たち二人を別々に育てることにしました。そして、その時にはもう、私もお父さんも君たちの傍にさえ居てあげる事が出来ません。今は、一時でも君たちの傍を離れたくなくて、一日中抱き続けています。
君たちは、たくさんの人間の未来とその倍以上の苦しみを背負うことになるでしょう。君たちのまだ小さい手足を見つめていると、それがとても可哀相で、つい、泣き出しそうになってしまいます。今、この手紙を読んでいる君たちが、少しでも大きく、たくましく、健やかに育っていてくれていることを祈ります。
昨日、お父さんが君たちに
・ 金と銀のブレスレット
・ 剣
を託しました。大きくなった君たちを一目でも見られたならこんなに辛くは無いのでしょうが、「戦え」「殺しあえ」、なんて私には到底言えません。ただ、君たちは、互いに互いを助け合うべく、同じ時を選んで産まれてきました。どんな困難に見舞われても二人で力を合わせ、君たちの信じる未来を切り開きなさい。私が君たちに言えるのはこれだけです。
本当に無力な母を許してちょうだいね。せめて天国から、私は君たちを見守り続けています。
***
リョウは黙したまま、母からの手紙をセイに渡した。セイも黙したまま、手紙を小箱に仕舞い込んだ。彼はまた、小箱の青い石を指でカタカタ弾き始めた。
紫色に薄くオレンジ色の雲が浮かぶ空である。リョウは空を見上げ、息が詰まった窮屈な心をそこへ溶かそうとしていた。一方のセイは、指では箱に触れていたものの、その目は兄と同じく宵に差し掛かる空を眺めていた。
「母さんのコト、覚えてる?」
唐突にされた兄の問いに、セイはただ首を横に振った。
「別に、どうでも良いんだけどな」
記憶に無い母の面影。それは寂しい事ではないと思っていたのに、今のこの、何とも言えない気持ちに、リョウもセイも戸惑っていた。
「嘘つけ」
どうでも良いわけではなかろうに――セイは呟いてみた。ぽっかりと開いた心に、その声が反響している。今まで、母親の喪失というものをこんなに実感したことは無い。修行や使命の重たさのお陰だろう。世界の冷徹さのお陰だろう。周りにいてくれた人達の思いやりと優しさのお陰だろう。でも、彼等は母親の顔すら知らない。
――リン、
と不意に金属音(といっても、剣と剣がぶつかった時のような鋭い音ではなく、音楽的に計算された、心地良い音)が聞こえてきた。小さく驚いたリョウとセイはその小箱を見た。
「それ、ひょっとしてオルゴールなんじゃない?」
リョウはセイから小箱を受け取ると、あちこち見回してみた。
「オル、ゴオル?」
オルゴールそのものを、セイは知らない。育ってきた環境が全く違った二人だから、こんなことは珍しくは無かった。
「こういう箱のこと」
リョウは一番大きな青い石を右にひねった。音を立てて回る石から手が離れた瞬間、小箱は琴のような美しい音を奏で始めたのだ。
「へえ」
小箱の奏でる旋律がバルコニーに緩やかに広がる。この箱の名などはもう忘れたセイだが、この箱が奏でる音楽には聞き覚えがあった。セイはもう一度、星の輝き始めた空を見上げた。
オルゴールの旋律は、セイが小さく口ずさんだ詞(うた)とピタリと合った。小さい時、母親の代わりに、マオが歌ってくれた歌だった。その小さな声に、リョウは自分の声を重ねた。小さい時に、ベルシオラスの義母がよく歌ってくれた歌と同じ歌だったからだ。
――オルゴールが止んだ。
セイは声にならなくなった詞を呑み込み、一度下を向いた。
「リョウ、」
喉の奥から搾り出すようなやたら小さな声だな、とその時リョウは思ったのだ。
「オレより先に、死ぬんじゃないぞ」
「え?」
弟の声は聞こえていたが、思わずリョウは聞き返してしまった。
「何だって?」
兄の焦りを知ってか知らずか、きっとリョウには届かなかったと思い込むことにして、セイは少しだけ笑った。
「腹減ったな、って言ったんだよ」
先に戻る、と言って立ち上がったセイは、音を止めた銀の小箱を兄に押し付けると、やや急ぎ足で歩き出した。
「あ、オレも行こうかな」
リョウも後を追った。
母からの手紙――捨てることはないだろうが、読み返すことはもうないだろう。もし、読み返すことがあったとしても、もう少し強くなってからだろう。双子達はそれぞれそう思うのである。
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