第二節~無慈悲の猛攻~
入里夜が神社の真下まできたとき、激しい衝撃が彼女に襲いかかる。
「くはっ!」
入里夜は、強烈な衝撃に耐えきれずに魔法を解除してしまい、いきおいよく石段に激突した。
「ああっ! いったあ……」
引きずるようにして身を起こすと、そこには、彼女にすさまじい手刀を浴びせた正体が佇んでいる。
それは、体長二メートル以上になる、巨大な赤鬼だった。その手には、巨大な戦斧が握られている。
「――っ!」
入里夜は一瞬で恐怖にかられた。先ほどまでの赤鬼たちに何とか対抗できたのは、レンの護符に加えて、相手の大きさがまだ許容範囲だったから。
だが目の前に立ちはだかる相手は、すべての規模が破格。巫女は生まれて初めて自分の声を聞いた気がした。
早く逃げて! そうしないと殺される! と。
だか入里夜は、もとの性格に「怖がり」と「ビビり」が入っているので、逃げるなどほぼ不可能。
足にまったく力が入らないし、全身の震えが止まらない。
「あ、あなたはだれっ!」
ようやく絞り出した、入里夜の震える声に対し、赤鬼は悪意に満ちた声で答える。
「俺は、この月麗山を支配している
「な、なぜ……ですか」
巫女がカタカタ震えながら聞くと、ヴァデルと名乗った鬼は彼女をのぞき込んだ。
「……ああ」
恐怖で顔をひきつらせ、ペタンと座り込んだ入里夜の目から、恐怖の涙が静かに溢れる。
「……ほう。きさま、知らぬとは言わせぬぞ。先ほどきさまは、俺の大切な仲間を次々葬ってくれたではないか。その埋め合わせはきさま自身がするというのが世の理であろう?」
「……ッ!」
鬼ともあろうものに世の理を語られ、何やら納得のいかない入里夜だが、鬼たちを殺したのは事実。
そして、正当防衛だろうと、相手が鬼だろうと謝ってしまうのが、入里夜という巫女である。
彼女は震えながら立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 確かに鬼さんたちには酷いことをしたわ。でも……」
私も自分を守ることに必死で、と、入里夜は続けようとしたのだが、それはヴァデルによって制止される。
「でも、だと?」
鬼の瞳に殺気の毒炎が揺らめいた。その瞳は入里夜を殺すことしか見据えていない。
「――っ!」
彼女はすさまじい殺気に襲われ、慌てて
しかしヴァデルの跳躍力は、入里夜の想定をはるかに超えたもの。
彼は両足に力を込めて跳躍し、四十段の石段と鳥居を飛び越え、月読神社に上がってきたではないか。
入里夜は生まれて初めて腰を抜かした。
「いや~っ、来ないで~っ!」
彼女は泣きながらお札を構えるが、その行為はさらなる恐怖の引き金となる。
「
鬼の口から魔法名が流れだし、彼がかっと目を開くと、入里夜の手にあった門番の護符は、燃えてなくなってしまう。
「――っ!」
「門番の護符など使わせぬ。次によからぬことをすれば、今度はきさまの身体に火が付き、ここでいま俺の酒の
ヴァデルの爆炎術は暦とちがい、対象を見つめることで発火するものだった。
「あっ……」
入里夜はがくりと座りこんで震えあがる。本能にしたがい、なんとか逃げようと頭では考えるのだが、身体が言うことを利かない。
「……さあ、覚悟せよ!」
ヴァデルは、ご自慢の跳躍で入里夜の背後に迫ると、恐怖でうずくまる彼女の背に、すさまじい手刀を容赦なく浴びせる。
「かはっ、あぐうっ!」
重々しい異音とともに、入里夜の背に赤い手がめりこみ、少女の口と目から大量の水が飛び出した。
「ああ………ッ!」
入里夜の背骨に、割れるような痛みが走る。
彼女はその勢いのまま吹っ飛び、鳥居に激突した。鬼というだけあって、容赦のかけらもない一撃。
「けほ、げほっ、ごはっ! 痛い……」
参道に落ちた入里夜が、激しく咳きこんでいると、彼女を見たヴァデルは、感心したような声をあげた。
「ほう、さてはきさま月宮の巫女だな? 俺の手刀を食らって死なぬとあれば、それは神か月宮の巫女しかいない。しかし、至高の巫女だろうときさまはここで殺す!」
「いやああああっ! やめてえ、許してえ!」
「だまれ!」
ヴァデルは鋭い口調で言い放ち、重厚なさまで入里夜に歩み寄っていく。
「ああっ! いやあっ、やだよう」
「さあ、泣きわめくが良いぞ」
「お願い、もう許し……きゃあっ!」
恐ろしい形相のヴァデルは、入里夜の脚を掴んで乱暴に振りまわすと、彼女を鳥居や参道に激しく叩きつけ、少女がぐったりしたところで夜空に蹴り上げた。
「――かっ! ゔあぁ」
激しい連撃を受け、入里夜はうめき声とともに倒れこむ。
――だが。
「……ごほっ、かはっ……うぐっ」
うずくまって半泣き状態の巫女を前に、ヴァデルは歯を軋ませた。
「きさま……なぜ、なぜまだ生きている! 月宮の巫女とはこれほどのものなのか。ならば」
ヴァデルが、ふたたび入里夜に手刀をはなつべく腕を振りあげたとき、彼女は泣きながら叫んだ。
「いやっ! お願い、もうやめてえ! もうやだあ」
「やめてだと? きさまは俺の仲間を
「――っ!」
入里夜はヴァデルの一言で、彼に命乞いなど無意味だと悟り、最後の力をもって立ち上がった。
こうなっては、魔力の消費を覚悟で『
死んでしまってはもとも子もないのだから。
だが、ヴァデルの手刀の方がわずかに早かった。
「っ! 『
「空間移動か、そうはさせぬ!」
入里夜が詠唱しかけたとき、無防備な彼女にヴァデルの手刀が炸裂し、少女の腹に鬼の太い手が深くめりこんだ。
「ッ!? ――がはっ!」
巫女の表情が、激しい苦痛の色で満たされ、ヴァデルはさらに腕に力を込める。
「ふふ、柔らかい腹だな」
「あぐう……っ!」
入里夜は、内臓が跳ね上げられる感触に襲われながら、本堂へ吹き飛ばされた。その勢いは甚だ強く、彼女の身体は本堂前に置かれていた賽銭箱に激突する。
「かは……っ!」
激しい衝撃で賽銭箱を粉砕した入里夜は、それでもなお勢い余って本堂の扉をも砕き、本堂のなかへ転がり込んだ。
「
彼女の口から、多量の鮮血が
「えっ? な、なにこれ……私の血!? うぐっ、おなか……おなかいたいよう」
少女にとって吐血も初体験だった。全身……とくに腹部の痛みが激しく、彼女は自分の体が床に倒れ込むという、たしかな感覚をおぼえる。
本堂へ歩いてきたヴァデルは、血だらけで倒れている入里夜を見て、感嘆の声を上げた。彼にとって眼前の光景は、まったく想定していないものだったらしい。
「なんと! きさま……いやおぬし、大した奴だな! 俺の全力を急所に食らってまだ生きておるのか……」
「っ! はあ……はあ……」
鬼のすさまじい殺気で、入里夜は何とか意識を回復し、身を引きずって本堂の奥へと進んだ。この間にも、少し回復はしたが、早く月読を呼び出さなければ、今度こそ命が危うい。
「っつ! はやく……しない……と」
「ほう、まだ動けるか」
ヴァデルは、手にした戦斧を一振りした。本堂の床が一瞬で砕け、斧が生み出したすさまじい衝撃波が瀕死の巫女を襲う。
「きゃあああ!」
入里夜は吹き上げられ、本堂おくの祭壇に激突した。そこに配置されていた神具が、音を立てて巫女とともに散らばる。
「ううっ……」
「なんと……まだ息があるか! そうだ!」
信じられない生命力と回復力をみて、ヴァデルの脳裏に昔の記憶がよみがえる。
「たしか月宮の巫女は、基本的に傷を負わぬうえ、死ぬ確率は
それを彼に教えたのは月読だった。ヴァデルと月読は以前、派遣をあらそい激闘を繰り広げたことがある。
当時のヴァデルは、月宮の館を攻め落とそうとたくらんでいたが、彼を負かした月読は、その考えを笑って一蹴した。
「月宮を攻めるだと? ふっ、やめておけ。彼女たちは特殊だ。その身は華奢に見えて、並みの体術ではまったく傷つかない防御力を誇り、回復力もまた驚嘆すべき。そして致命傷になりうる一撃は、すべて結界に防がれる。殺すなど不可能だ」
憎き宿敵の言葉を思い出し、ヴァデルは改めて入里夜を見た。彼女に負わせた腹部の傷は、すでにあらかた治っているではないか。
「なんと……ならば一撃で!」
「きゃあっ!」
ヴァデルはいきなり、入里夜の頭に戦斧を振り下ろした。防御結界が張られるより早く、頭部を潰そうと考えたわけ。
だがうめき声をあげたのはヴァデルだった。凶器が直撃する刹那、巫女の周囲に金の結界が張られて戦斧を簡単にはじき返す。
「なんと、これが結界か。……速すぎる。ええい、くそう!」
怒りでヴァデルが手刀を振るえば、それは入里夜に容赦なく炸裂して、巫女は再び吹き飛ばされる。
「いやあ~! あうっ、ぐうう……げほっ、げぼっ………」
また血を吐き、虚ろな目でピクピクと痙攣している巫女みて、賢いヴァデルは彼女を倒す絶望的な仮説を立てた。
「……傷は回復するが、確実に弱っている。殺せぬ訳ではない。こやつの身体的防御力を上回りつつ、致命傷にならず結界が出ない絶妙な力。そして回復の
つまり現状で仲間の仇を殺す方法は、致命傷にならない手刀をひたすら撃ちこみ続けること。
「しかし、実質不可能だ」
ヴァデルが思考に余り、彼が見せたすきを入里夜は逃さない。儀式の方法は、今まで忘れていたが、数日前に学校で学んでいた。
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