第二節~絶叫~

 雷羅はヴァンドールを激しく動かしてサタンと距離をとり、瞳を金色に輝かせて叫んだ。

「ヴァンドール! 汝の力持てわれらに道を開け!『雷神鳴聖撃ヘイリング・ディオ・サンダー』」

 ヴァンドールはあるじに呼応するように軽くうなずくと、天に向かってすさまじい咆哮を放った。衝撃波が周囲にひろがり、空気が波打つように振動する。

「……なんだ今のは。ただの咆哮ではあるまい、注意しろ」

 サタンは三鬼士たちにそう促して周囲を警戒する。


 雷龍の雄々しきうなり声が美しい夜空に響きわたると、いままで晴れていた天空がまたたく間に厚い雲におおわれ、すさまじい電撃が夜気を引きさいて放たれた。

 すさまじい電撃は、はずすことなく大魔界の王の身を直撃する。

「ぐっ! きさま、姑息な真似を!」

「ごぶじか、王!」

 三鬼士のヴォルガが電撃で怯んだサタンに飛び寄った。悪魔の王は傷ついた衣装を手ではらい、魔剣を構えなおす。

「問題ない、このていどの生ぬるい電撃などこのサタンには……」

 不敵な笑みで雷羅をにらむサタンだが、とつぜん彼の動きが止まった。

「な……に、体が動かぬ! きさま、なにをした!」

 サタンの闘志は呪縛の雷撃をくらってなお失われず、怒りをむき出し、毒気に満ちた赤い眼光を雷羅に突きつけた。雷羅のほうも、向けられた眼光は決して心地よいものではなかったが、それに臆するほどの弱者でもない。

「今の電撃は敵を魔力で呪縛する神の咆哮。少しの間そうしていてもらうぞ」

「き、きさまっ!」

 サタンは耐えがたい破壊衝動にかられたが、いかに大魔界の王といえども呪縛魔法はそう簡単に解けるものではない。

 雷羅は絶望的に短い猶予のなか、入里夜と真剣な顔でむきあった。

「入里夜ちゃん、君を守ると言ったその言葉に何の変更もない。だがいまの状況は非常に危険なんだ! 空間移動プールワーテルのやり方を教えるから、早く門へ行ってくれ。門番に事情を説明すれば、然るべき儀式を取り計らってくれるはずだ」

 雷羅の言うことは分からないでもないが、入里夜は性格上、誰かをおいて自分だけ危険から身を引くことなどできない。

「でも雷羅はどうするの!? 私ひとりで逃げるなんてできないよ!」

「入里夜ちゃん、これは逃げるんじゃない、旅立ちだよ。いまきみを失えばそれこそ月界は終わる。きみは最後の希望なんだ。それに俺は、こんなところで果てるような男じゃないさ」

「っ! でも!」

「たのむ、入里夜ちゃん」

 少女は反論しようとしたが、雷羅の真剣な顔をみて深くうなずいた。彼女も自分が足手まといになることは、心のどこかで気づいていたのだ。

 入里夜のうなずきを見て、雷羅は心の底から笑顔を作った。

「ありがとう、入里夜ちゃん」

「ううん、私もごめんね」

「君が謝ることじゃない。その優しさは、どうかいつまでも持ち続けてほしいな」

 ふたりはせつなのあいだ笑みを交わしあった。


 だが。


 大魔界の王はそういつまでも待ってくれるものではない。ついにサタンが再び動き始めた。

「この龍使い風情が! よくもこの俺に醜態をさらさせてくれたな、きさまら、楽に死ねると思うなよ!」

「きゃああ! 雷羅、サタンが」

「くっ、思ったより早いな! 入里夜ちゃん早く! てみじかに言うからしっかり聞いて」

「う、うん! 分かった」

 入里夜と雷羅がむきあったとき、サタンが上空へ舞いあがり、たくましい左腕を振り上げた。

 雷羅はおどろいてサタンを追って顔をあげる。呪縛から解放されたとはいえ、悪魔が動けるようになるまで速すぎた。おまけに、攻撃の気配を感じられる。

「な、なにを……!」

「なに、ほんの小手調べだ」

サタンがにやりと笑ってそういうと、かれの頭上に一瞬赤い魔方陣が浮かび、それが消えると先ほどの魔槍が大量に現れた。

「くそう! なにが小手調べだ!」

「ふっ、これしきの攻撃を凌げないようでは、戦う価値もないということだ。さあ行くぞ! 『告死の魔槍アズラエル・デス・ランス』!」

 サタンは魔法名を詠唱し、悪意に満ちた笑みとともに左腕を勢いよく振りおろした。

 かれの腕に合わせ、大量の魔槍が空気を引き裂いて入里夜たちに襲いかかる。

「まずいっ!」

 雷羅は苦い顔をしながらも、すぐに魔龍剣を構えなおした。

「雷羅! あぶないよ」

 入里夜が絶叫したとき、大量の槍は敵のもとに到達した。

「くっそう! なんて数だ!」

 雷羅は激しく刀を振って懸命に死槍をはじく。しかし、入里夜と雷羅に向かってくる魔槍はなんとかはじき返せるが、サタンの魔槍は広範囲だった。

 長い体を持つヴァンドールを守ることは不可能にひとしく、ほどなくしてヴァンドールを魔槍の雨が直撃する。

 ヴァンドールも撃ち払えるものは自分で払いのけるが、すべての魔槍に対応できるわけなく、金色の龍は槍に撃たれ、苦痛の咆哮をあげてのたうち回った。

 それは、龍に乗っている者たちにとっても重大なことだ。入里夜たちを激しい振動が襲う。

「きゃあああっ! 雷羅ぁ落ちる~!」

「入里夜ちゃんっ!」

 ヴァンドールが激しく動いたことで入里夜が均衡をくずし、雷羅は慌てて彼女を支えた。だが休むひまもなく、彼は魔龍剣を構えてふたたび襲いくる魔槍を払う。

「くそう!」

「きゃあっ!」

 入里夜の眼のまえで激しい火花と衝撃音が無数に飛び交った。


 ――ッ! このままじゃダメ! 


 入里夜は雷羅にしっかりとへばり付きながらも、龍使いに問う。

「雷羅、空間移動術プールワーテルってどうするの!? このままじゃ私が邪魔で雷羅も動けないでしょ」

 雷羅はなおも槍を撃ちはらいつつ、非常におどろいていた。愛らしくもドジっ娘で、すばらしいほど怖がりな幼なじみの口から出た発言とは思えないようだ。

 だがそれは嬉しいおどろきでもある。

「……わかった、説明するよ。『空間移動術プールワーテル』は魔力を全身に放出しながら詠唱して、行き先を強く念じるんだ!」

「い、『異界の門』って言って分かるの? 私行ったことないけど」

「ああ、この魔法は行ったことのない場所でも問題ない。それから、門に着いたらここにサタンが迫っていることを門番に伝えてくれ、頼む!」

「う、うん、分かった! 雷羅も絶対あとで来てよ。間違っても死んじゃダメだからね!」

「ああ、分かってる」

 雷羅がうなずいて入里夜が魔力を放出しようとしたその時。


 上空に紫の光がいっしゅん輝いた。

 入里夜たちがその正体を確認する間もなく、その正体……つまり最後の巨大な魔槍がすさまじい速さで飛来し、ヴァンドールの体を貫いて突き刺さった。夜空に龍の絶叫がこだまする。

「なっ!? ヴァンドール、大丈夫か‼」

「いやあ~~っ!」

 入里夜が衝撃的な光景に叫び声をあげ、ヴァンドールは激しい咆哮を続けて身をくねらた。その勢いで入里夜は、ヴァンドールから振り落とされる。

「入里夜ちゃ~~んっ‼」

「雷羅ぁ~~っ‼」

 二人は思わず叫んだが、ヴァンドールの咆哮のほうがはるかに激しい。

 そして、入里夜の碧く美しい瞳に受け入れがたい景色が映った。

 彼女は龍から振り落とされ、とっさに飛行術を発動させて垂直落下は免れたわけだが、ヴァンドールに突き刺さっていた魔槍が夜気を震わせて大爆発を起こしたではないか。

 激しい爆音とともに巨大な爆煙が周囲に広がり、ヴァンドールの姿はそのふかいヴェールにおおわれて姿を消した。入里夜の長麗な髪が爆風に揺らめく。

「っ! そんな……いやよっ! 雷羅――っ‼」

 入里夜は、天地を引き裂くような悲鳴を上げた。いくら雷羅でも、今の爆発は耐えられるわけがない。簡単にそう悟ってしまう爆発だった。

「……雷羅、いま、いまさっき死なないって約束したじゃない……雷羅っ」

 入里夜はこの場で涙が乾ききるまで泣きたいところだが、そうもいかなかった。

「きゃああっ!」

 目のまえで起きた爆発は思いのほか強く、爆発から数秒後に強烈な爆風が入里夜に襲いかかる。

 とつぜんのことで入里夜は飛行術を解除してしまい、再び垂直落下を始めてしまったのだ。

「――っ!」

 入里夜はもういちど飛行術を使おうかとも考えたが、現状いま空間移動術プールワーテルで異界の門へ向かうほうがよさそうという結論に至り、悲しみを抑えて魔法名を詠唱した。

「プールワーテル、異界の門へ!」

 詠唱が終わると、入里夜のすがたはその場から完全に消えている。


 月麗山の月光杉たちは神秘の月光を一身に受け、なお蒼く美しい輝きを放っていた。

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