第四節~いにしえの魔導書~

 娘の新たな決意を聞いた暦は、笑顔で少女に向きなおった。

「入里夜ならきっと、私以上の大巫女になれるわよ」

「ありがとうお母さん、えへっ!」

 入里夜は嬉しそうに笑って見せた。

 

 さて、落ち着いた二人は、封印が解かれた石の大扉のまえに立った。

 入里夜は一歩下がり、暦はついに扉を開けようと、両手を扉にあて、持てる力の全てを込める。

 しかしその扉は永いあいだ開かれていなかったらしく、暦一人の力では微動だにしない。

「うっ、思ったより固いわねえ」

 暦は、驚きが混同したうめき声をあげ、なおも扉を押し続けた。しかし同じことを繰り返しても、とつぜん結果が変わるはずがない。

「お母さん、私も押してみる!」

「うん、お願い」

 入里夜が暦の横に並び、二人で息を合わせて押してみたが、扉は固く結果は変わらない。二人の道は相変わらず固く閉ざされている。

 二人の中に少しずつ焦燥が湧き上がってきたとき、暦が難攻不落の城を突破する鍵を見つけたかのようにはっと顔を上げた。

「お母さん、どうかしたの? 何か思い出した?」

「ええ、こういう扉の本当の開け方を思い出したの。私ったら、二日前に読んだ書物の内容をもう忘れていたなんて……」

 暦は嬉しそうに、だが少し恥じらいが混ざっているような顔でそう言った。

「でもお母さん、どうやって開けるの? 結界はもう解いたのよね?」

「ええ。でも最高機密を隠している部屋には、月宮の巫女の中でも大巫女にしか解除できない隠し結界があるの。恐らく他の誰も知らないわ。ほら、あれ見て!」

 暦が指さしたのは扉の上部だ。

「あれは……」

 入里夜の口から驚きと興味の声が上がる。彼女の碧の瞳には二つの物が映った。

 一つは扉上部に浮く金色の小さな台。小さいと言っても、入里夜は訳なく座れそうな大きさだ。

 そしてもう一つはその台の上にあった。しかし、薄闇の中では実態を掴みづらい。入里夜は正体を知ろうと目を凝らした。どうやら黄金の龍像のようだ。

 しかし永い年月をその場所で過ごしていたらしく、全身ほこりまみれではないか。

「うわあ、ホントに龍だ!」

 暦よりやや遅れて正体を確信した入里夜が声を上げる。古来より月界では、龍は神聖な生き物とされ、龍使いだけでなく全ての民により、神と共に祀られてきた。

 むろん入里夜も龍という存在には愛着がある。

 興奮ぎみ娘をみて暦がうなずいた。

「ええ、あの金の龍こそ隠された第二の結界なのよ」

 入里夜の目線を独占している金色の像は、まさしく隠された宝物というに相応しいものだ。

 純金製のその龍は、赤水晶の立派な角、碧玉のような美しい光を放つ月界真珠の眼を持ち、その手には銀の燭台が握られていた。

 小さいながらにとぐろを巻くその姿からは、言葉では形容できない威厳が満ちあふれ、扉へ近づく者を監視しているようだ。

 入里夜はその見えない気迫に押され、少し恐怖を感じて思わず下を向いた。彼女の身に異変が起こったのはそのすぐ後だ。

 とつぜん鼻に違和感を覚えたかと思うと、くしゃみが元気よく躍り出た。

「な、なに? どうして? 私風邪なんてひいてないのに……ふぁ……くしゅん!」

 入里夜はおどろき、やってきた二発目のくしゃみを就寝用の衣の袖で制した。それからどういう訳か謎のくしゃみは一向に止まる気配を見せない。

 入里夜は不思議に思いながら、衣の袖から引っ張り出した布で大惨事となった鼻を拭いた。

 彼女はふと母親のことが気になり、上を見上げた。その行為により入里夜はくしゃみの原因を知ることになる。

 少女が見上げた先には、龍の台に上がって濡れた布で口をしっかりと覆い隠し、もう片方の手には小さなほうきを持ち、真剣な顔つきで龍にまとわりつく埃を払っている暦の姿があった。

 暦によってうち払われた埃の粒子が、入里夜の小鼻の神経を刺激していたのだ。

「ふえっ? なにこれ!」

 入里夜が慌てて周囲を見回すと、空気中に白いものが多く浮遊している。入里夜は口をふさぎ、母に早急に今の動作をやめるよう談判した。

「ちょっ、ちょっとお母さん! もう綺麗になってるからやめて~」

 入里夜の叫び通り、埃まみれだった龍の像は本来の美しい金色の体を取り戻していた。

 しかし暦は、月の世界において音に聞こえた綺麗好きだ。

「そうかしら? う~ん、でももう少しきれいにしないと……」

 暦はまるで、何かに集中して言うことを聞かない子どものような口調で入里夜の談判を拒否すると、すでに綺麗になっている龍像の清掃活動を続けた。

「も~、お母さんてば」

 ため息をついた入里夜は、無意味な談判を中断した。暦が何かを始めると、納得いくまでやらないと気が済まない頑固者だと知っているからだ。

 入里夜は諦め、鼻拭きに使った布を適当な大きさに折って口をおおい、母の気が済むのを待つことにした。


 二、三分が経過したころ、入里夜はそろそろかと思って顔を上げたが、母はまだ清掃中だ。おまけに持っていたほうきを手放し、今度は布を出してきて鼻歌交じりに龍の像を拭いている。 

 入里夜の口からまたため息が漏れた。


 そして五分後、満足した様子の暦は台の上から娘に向かって元気よく手を振った。

「入里夜~っ、お待たせ~終わったよ」

「は~い……」

 入里夜は半ば呆れながら答える。そして暦は。

「よいしょっと」

 子どものような声を出して龍像の横に座ると、そこから無謀にも飛び降りようとしているではないか。

「ちょっと、お母さん!」

 入里夜は思わず叫び、本能的に両目をおおった。その叫びを聞いた暦は、眼下で両目を伏せている入里夜を見て、娘の心中を察したようだ。

「入里夜、大丈夫よ。別に飛び降り自殺するつもりはないから」

 暦が微笑しながら言うと、入里夜は恐る恐る手を開き、指の隙間から母を見上げた。

 心配そうな顔で入里夜が見ていると、暦は台から飛び降りる瞬間、首にかけていた魔法石をそっと握った。

「うわあ~!」

入里夜が両手を目から放し、感嘆の声を上げた。

暦が魔法石のついた首飾りを握ったその瞬間、暦の手から……正確には暦の右手に握られている魔法石からまばゆい金色の光が放たれ、暦の体はふわっと浮き上がった。

「お母さん、凄~い!」

 入里夜が目を輝かせている間に、暦は舞い落ちる羽毛のようにゆっくりと入里夜の前に降りてきた。

「ねっ、大丈夫だったでしょう」

 暦が得意げに言うと、入里夜はうなずいて母に駆け寄った。

「すごいねお母さん! そんなことできるんだ!」

 人が魔術で浮遊するなど生まれて初めて見たので、入里夜は碧い瞳をより輝かせた。

「じゃあ今度こそ、最後の封印を解くわよ!」

「うん!」

 入里夜がうなずくと、暦はまた『爆炎術ソウルバーン』を使い今度は龍の像が持つ燭台に火を灯した。火が灯ると龍の瞳が赤い光を放つ。

 暦が嬉しそうに「よしっ!」と言い、入里夜がびくっとして一歩後ずさった。

 やがて龍の瞳の光に呼応するように赤水晶の角も輝きを放ち、龍の頭上に「可」の文字が浮き上がった。

 この結界は、暦のことば通り限られた部屋にのみ張られ、「月宮の巫女が使う『爆炎術』以外では解除できない」最強の結界である。

 

 それから起きた変化に巫女たちはおどろかされた。その変化が起きたのは、先刻、暦がいくら爆炎術を使ってもまったく反応がなかった天井の松明だ。

「うわあ~」

「すご~い!」

 二人が口を上げて天井を見上げていると、石の大扉上部から、通路の出口に向かって順番に連鎖するように火が灯り、全ての松明に火が灯ったのだ。

 その連鎖反応は実に圧巻だった。

 天井付近には五十をゆうにこえる松明が存在し、暦の作り出した松明の灯りでようやく辺りが見えていた廊下は、永い年月を経て明るさを取り戻したのだ。

「きゃあ! なにこれえ!」

 入里夜が興奮のあまり叫ぶと、暦も感心したように天井を見上げた。

「ほんとにすごいわねえ~。きっとさっきいくらやっても火が付かなかったのは、松明が魔法で守護されていたのよ」

「なるほど!」

 疑問が一つなくなってすっきりした入里夜である。


 明るくなった天井を見上げた巫女たちは、さらに目を見張った。

 これまで漆黒に包まれていた壁や天井は黄金の板で、その一枚一枚に古代の壁画と「月光文字」で「禁術月界魔法ゲネシス・シャルヴァーレ」の取得方法が記されている。

「お母さん、周りの絵や文字はなあに?」

「あれは恐らく、古代の壁画と月光文字だわ。きっとここの部屋での魔法習得方法ね」

「月光文字って?」

 今は無きその文字を知らない入里夜が尋ねた。

「月光文字は遥かむかし、占星術師ウラヌスが作った文字と記録にあるだけで、今となっては、ぜったい解読不可能な忘れ去られた古代文字よ」

「んっ? ?」

 入里夜が不思議そうに首をひねった。それでは矛盾しているではないか。

 暦がまた得意げな顔をしている。

「私も以前は読めなかったんだけど、数年前に館の地下深くでこの魔導書を見つけたの」

 暦が右手に魔方陣を宿し、そこから一冊の古い魔導書がゆっくりと現れた。

 これは『コネクション』という魔法。魔法使いであれば大抵使える力で、その最たる例が魔導書や武器を出し入れすることだ。

 異次元空間にあらゆるものを収納し、魔方陣からいつでも取り出せる。また望む場所と繋げてものを引き寄せることも可能だ。

「その古そうな本はなに?」

「私も見つけたときは何の本か分からなかったんだけど、数年間調べたら月光文字について記された書物だとわかったの。簡単に言うと月光文字の説明書ね」

「なあ~んだ、じゃあ月光文字は忘れ去られた文字じゃないじゃん」

「私しか読めないんだからそれに近いでしょ。じゃあこの場所での魔術習得法を調べてくるからたいまつ持ってて」

 暦は娘に松明を渡し、ふいに魔法名を詠唱した。

分身魔法トミリックス

 すると彼女の体がいっしゅん光り、その後暦の分身が百体ほど現れた。

「わあ、すごい!」

入里夜は驚いて目を丸くした。分身魔法を見るのは初めてだ。


 暦は古い魔導書を辞書がわりに持つと、分身を壁や天井に分散して一、二分という短時間のうちに、大量の金の板に記された禁術月界魔法の習得方法を、丸暗記してしまった。

 入里夜はあっけにとられて戻ってきた母に視線を向ける。

「あの、お母さん、今ので全部覚えたの?」

 入里夜が半信半疑で尋ねると、暦は胸を張ってうなずいた。

「もちろんよ! じゃあ手順を言ってみようか? まず中に入ったら儀式用の魔方陣を張るでしょう。それから奥にある浄めの泉で身を清めるの。そうしたら次に……」

「う、うん分かったわお母さん。すごいんだね」

 暦が得意げに語りだしたところで、入里夜がそれを制した。

 暦の口は実におしゃべりが大好きで、止めておかなければ話がそれて数時間と語りかねない。これまでの人生経験から、入里夜はそれをしっかり学習していた。

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