第八節~決着~

 十字架と魔方陣が重なったとき、魔方陣から世界が白くなるような光が放たれた。「きゃあああ~っ!」

 巫女たちは突然の発光におどろき、とっさに目を守る。

 眼球への光の直射は防げたが、一瞬瞳をかすめた光はまぶたの裏に残り、目を固く閉ざすとちかちかした。

 ケルトは油断したのではなく、「天使の裁断」の反動から目を守っていたわけだ。さらに極光は強くなり、それが頂点に達したとき、ラファエルたちは大爆発を起こした。

 

 戦いの決着を告げるかごとく、夜空に魔方陣が浮かぶ。


 爆発のちょくご、夜空に突風と衝撃波が駆けぬけ、入里夜と暦は、飛ばされそうになる着物を必死に押さえた。

「いやあああああ~っ! 着物があ!」

「入里夜、頑張って!」

 突風はほどなくして収まったが、爆発による衝撃波は甚だ強く、館が少し揺さぶられる。

「きゃあ!」

「大丈夫? 入里夜」

 よろめいた入里夜は暦に支えられ、静寂を取り戻した夜空を見上げると、そこには美しい銀翼を展開した大将軍がただ一人いて、穏やかに息を吐きだしていた。

「お母さん、上を見て」

「はわわわ、ケルトッ!」

 入里夜が叫び、暦も空を見あげてそこに在る美男に思わずため息をついた。ケルトは昔から美少年として有名だったが、成人してから麗しさに拍車がかかっている。男らしさと神秘的な色香は強烈。

 彼の美しい長髪や衣装は夜風に揺られ、月光を反射する。美男好きの巫女たちには効果ばつぐんだ。


「入里夜、あれを見て!」

 叫んだのは暦だった。入里夜が母の指さした方角をみると、うめき声を上げながら吹き飛んで行くサタンの姿があった。

 サタンは、吹き飛ばされてなるものか、とふん張っていたようだが、館を鳴動させるほどの爆発にはさすがに耐えきれなかったらしい。

「………」

 入里夜はひとまず危機が去ったことに安堵したが、それ以上に彼女の心に残ったのはサタンに対する嫌悪感だった。

 一応落ち着きはしたが、「平和な月界での生活を奪われた」ことに対する怒りや悲しみは、入里夜の心に深く残っている。

 サタンはケルトに見送られてはるか西方のレントヴェール山へ飛んで行き、近くを悠々と流れる月光川のほとりに墜落したようだ。


 ケルトはサタンを見送ったあと、ふいに下を見て首を傾げた。

 満月の夜だが厚い雲のため、周囲は漆黒の闇。そのため誰かまでは判別できなかったが館の階段に何者かがいる。その人影は二つだった。

「いったい誰だ。わが軍は全軍出撃しているし、巫女さまたちは結界張りの儀式の準備に追われているはずなのだが……」

 ケルトはさらに考えようとしてやめた。そのようなことをしなくとも、正体を予想できたからだ。

「まさか……」

 ケルトが真紅の瞳を細めて謎の人影をよく見ると、見覚えのある形をしていて、さらに大将軍の名を持つ彼に向かって手を振り、その名を元気に呼んでいる。

 ケルトの記憶の中で、そのようなことをする人物は、月界中を探しても今のところふたりしか思い当たらない。

 ケルトの予想は正しく、雲の切れ間から差した満月の明かりに照らし出されたのは、暦と入里夜だった。

 ケルトはかなり驚いたが、二人の無事が確認できて胸をなでおろす。彼は入里夜が見とれていた銀翼を閉じて巫女たちの前に降り立ち、うやうやしく一礼した。

「暦さま、入里夜さま。こちらにおいででしたか。サタンの奇襲には肝を冷やしましたが、ご無事でなによりです」

「ケルトも無事でよかったわ。館を守ってくれてありがとう」

「もったいなきお言葉。ですが正直、間に合うかどうか危うい所でした」

「ほんと、私も驚いたわよ。ケルトが来てくれなければ、今ごろ館は全壊していたわ。サタンも強くなっているようね」

「ええ、まさしく」

 二人の顔には、まだ険しい表情がはっきりと残っている。


 暦とケルトは情報交換を行い、現状把握に努めた。

 なにせ月界が寝静まったころ突然空の結界が破壊され、おどろく間もなくサタンたちが侵攻してきたのだ。

 普段から万一の事態を警戒していた暦もケルトも、今回の一件には完全に後れを取ってしまい、各地の被害など不確定なことが多すぎる。

「サタンは弱者と抵抗無き者には手を出しませぬ。おかげで幸い死者は未だおりませぬ。ですが、彼の強さは紛れもなく本物。先程の攻撃では、一時しのぎでございます」

「そうね、すぐ結界を張るからそれまでいま少し……」

「はっ! お任せください。ドニエプルは魔力兵団を量産していますが、我が月界防衛軍の防御力を越えられるものではございません。ですが、サタンが体勢を立て直してしまうまでが勝負でしょう」

 暦はケルトの言葉に深くうなずいた。

「ええ、二つの界包結界を破壊されたのはかなり危険よ。あっ、でもケルト、一時間ほど待ってくれるかしら? 先にやりたいことがあるの」

「はい、一時間程度でしたらいかようにもなります。それではお先に失礼を。お二人も十分にお気を付けて」

 ケルトはそう言うと、早く軍の本体と合流するため天馬ペガシスを召喚した。

 入里夜たちは、彼の流れるような動作にまたまた見とれている。

 さらにケルトは、馬上から巫女たちに男らしい笑顔でうなずくと、威勢の良いいかけ声とともに天馬の横腹を蹴り、夜空に飛び立っていった。


 その一挙一動が、いかに巫女の心を射抜いているとも知らずに……。


 月宮の館には、すっかりケルトに魅了された巫女たちが残された。


 彼女たちは少しのあいだ動けずにため息を漏らしていたが、入里夜がはっと我に返り、母を現実に戻す。

「お、お母さん! こんなことしている場合じゃないよ!」

「はっ! そうだったわ、ケルトたちが精いっぱい頑張ってくれているのだから、私たちが急がないと」

 

 暦はすぐに行動した。

「入里夜、しっかり私の手を持っていてね。思いっ切り走るわよ!」

 入里夜は母の言葉を聞いていやな予感がした。暦が入里夜を見つめて笑顔で「何かしよう」と言うとき、決まって入里夜の目が回ることが始まるからだ。

 そして、今回もその予感は的中していたのである。

「ちょ、ちょっとお母さん、いったいなにを……」

 入里夜が言いかけたときにはすでに遅い。暦は慌てる娘の手をしっかり持つと魔法名を詠唱した。

短期間超速疾走アプロス・ゴッド!」

「いやあああああああ! ちょっ、むり、お母さん!」

 入里夜は叫びながら、何とかその場にとどまろうと努力はしたのだが、全く無意味だった。

 暦の詠唱が終わると彼女の体が光り輝き、その輝きが彼女の両足に集約される。暦は身体を低くし、足に飛び出すための力を集中しはじめた。

 どう見ても、入里夜の手を引いたまま階段を駆け下りようとしている。

「ちょっと、お母さんだめ! 待って!」

「えっ? なんか言った? よしっ! 入里夜、行くわよ!」

 暦は強く床を蹴り、下へと続く階段に飛び出した。そして、まるで飛行するかのような滑らかな動きと、凄まじい速度で階段を駆け下り始めたのである。

 はたからは、桃色の幻鳥が階段を超低空飛行しているようにも見えるだろう。

 

 入里夜は激しく振り回されながら母に懇願した。

「ちょっとお母さん! やめて~っ! お願いだから止まってえええ~」

「あら、入里夜ってばなにを言っているの? こういうの楽しいでしょ!」

 母の楽しそうな声を聞いた入里夜は、それ以上抵抗する気をなくしてしまった。暦の無垢な笑顔は、恐らくどのような抗議も受け付けないだろう。


 結局入里夜は目を固く閉じたまま、館の一階まで母に振り回された。

 

 巫女たちは数秒後一階にたどりつき、しっかりと足を地に着けていたのだが、平衡感覚をしっかりと保っているのは暦だけだ。入里夜の脳みそは完全に平衡感覚を失い、今にも倒れそうである。

「う~ん……ここはどこお~」

「ちょっと入里夜、大丈夫? しっかりして」

 それから二分、ようやく入里夜の脳みそが回復した。彼女の眼前には大回廊が広がり、後ろには下りてきた階段がある。

「わあ! しばらく来ていなかったけれど、やっぱり館の一階ここは広いわねえ~」

 入里夜は感嘆のこえをあげた。月宮の巫女たちは館の六階つきみやのまに住んでおり、生活の全ては六階だけでこと足りる。

 食事、入浴、遊戯、買い物、巫女の修行にいたるまで、すべての施設が揃っているのだ。

 ゆいいつ巫女や魔法の心得を学ぶときだけ、ほかの巫女や龍使いヴェンダール、陰陽師、死神などが通う学校「麗華堂れいかどう」がある三階にいく。

 それ以外となれば重大な儀式でもない限り、館の三階より下へ降りることは稀なことだった。

 館を出るときは天馬ペガシスに乗って自室の窓から飛ぶので、館の一階は入里夜にとって、数十年ぶりの訪れになる。


「それじゃあ急ごうか、入里夜」

「うん」

 ふたりは笑顔を交わして走りだした。


 そのころ、ケルトは軍の本体と合流していた。

「皆の者、待たせたな。戦況は?」

 彼の質問に、ケンが答える。

「はい、激しい戦いになりましたが、どういうわけか三鬼士たちがとつぜん撤退したのです」

「そうか、恐らく私にサタンが吹き飛ばされたからだろう」

「さすがは、ケルトさまでございます」

 兵士たちは彼に尊敬のまなざしを向けるが、大将軍は謙遜した。

「よせ、おぬしら。それよりも、またサタンが月宮の館を襲撃するやもしれぬ。ゆえに青龍、朱雀は私とともに月宮の館へ戻るぞ」

「「御意」」

 それぞれの軍を率いる騎士団長のひじり龍華りょうかがうなずく。

「残りの部隊は引き続き分散して奴らをさがせ。見つけしだい無力化せよ」

「はっ!」


 軍が散っていくと、ケルトは青龍、朱雀の二部隊を引き連れて月宮の館へ引き返していった。


 そして、サタンは……。


「ぬううう……なんだあの一撃は。くそう、魔力が出せぬ!」

 サタンは月光川に落ち、なんとか這い上がったところだった。そこへ気配を察知した三鬼士たちが駆けつける。

「サタンさま、ご無事か!」

 三鬼士のリーダーであるヴォルガが心配そうにかけよってサタンを支えた。

「うむ、体は何ともない。だが魔力が弱まっている」

「それなら、ボクにお任せを」

 そう言った彼は、見ようによっては少女と間違えるだろう美少年だった。彼はドンといい、後方支援が役割である。

「うむ、すまぬなドン」

「いえ、ボクのすべてはサタンのものです。お気になさらず」

 ドンはサタンに治癒魔力を送ってあるじの回復に努めた。

「ドニエプル」

「はっ」

 サタンはいまひとりの悪魔に声をかける。

「俺はしばらく動けぬ。そのあいだ魔力兵団を飛ばし、手薄な神社をさがせ。月宮の巫女より価値はさがるが、月において巫女の人質としての価値はたかい」

「仰せのままに」  

 ドニエプルは巨大な紫の魔方陣を張り、下級悪魔を大量に召喚した。

「きさまら、巫女をさがせ」

 彼の単調な命令を受けると、百体ちかい悪魔たちはいっせいに月夜に飛んでいった。


 戦況はこうして一時硬直状態に入る。


 大魔界侵入後、入里夜たちにとってもっとも恐ろしい危機的状況は過ぎ去ったのだ。

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